2022年4月30日土曜日

大好きな仕事を捨ててついて行った弟子たち

 430() 大好きな仕事を捨ててついていった弟子たち

彼らはすぐに網を捨てて従った。


         マタイの福音書420

 


イエス・キリストは

「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

と宣教を開始した後、すぐに弟子たちを招かれます。


イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いて、

網を打っていたふたりの漁師の兄弟、

ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になり、

彼らに

「わたしについて来なさい。

 あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」

と言われました。


彼らは、すぐに網を捨てて従いました。

イエスのことばに、彼らはすぐに応答しました。


彼らは漁師の仕事が大好きでした。

しかし、

その漁師の網を捨てて、

つまり大好きな仕事を捨てて、

イエスに従いて行ったのです。


それほどに

イエス・キリストのことばと眼差しの中に、

深い愛と力強さを感じ取ったのでしょう。


この方が

待ち望んでいた救い主だと信じ、

自分の人生をかけていこう

と思える権威を感じとったのでしょう。


イエス・キリストは、あなたにも語られます。


「わたしについて来なさい。

 あなたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」と。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2022年4月29日金曜日

神の時

 429() 神の時

もはや時が延ばされることはない。


ヨハネの黙示録106

 


神さまは、天と地を創られた創造主であられます。

そして創造主である方は、時間も創られた方です。


ですから、時を支配しておられます。

時は神の手の中にあります。


神さまが定めた時が来る時、

神が約束されたことは成就し実現するのです。


全く不可能に見えても、

神が語られたならば、

神の時が来る時、それは成就するのです。


決して時が延ばされることはありません。


あなたに語られた主イエスの約束は、

主イエス・キリストご自身が

成就し、実現してくださいます。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2022年4月28日木曜日

神の計画に従う

 428() 神の計画に従う

ある夜、パウロは幻を見た。

ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、

「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」

と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、

私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。

神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、

と確信したからである。


使徒の働き169-10

 


パウロは、

アジアでみことばを語ることを

聖霊によって禁じられ、

ピシデヤに行こうとすると

イエスの御霊がお許しにならなかったので、

ムシヤを通って、トロアスに下りました。


そこで、ある夜、パウロは幻を見たのです。

ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って

「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」

と懇願しているのです。


パウロは、この幻を見たとき、

神がマケドニヤの人々に

福音を宣べさせるために招いておられると確信して、

直ちにマケドニアに出かけて行きました。


そしてそこで、

パウロは試練に会いながらも神の働きと業を見るのです。


神の計画はパウロの持っていた計画とは違いました。

しかしパウロは自分の判断や計画にこだわらずに、

それを捨てて、神の計画に従ったのです。


その時、どのような試練の中でも

神の守りと圧倒的な大勝利を見たのです。



私たちも、自分の計画や判断を捨てて、

神の計画と導きに従う時、

神の助けと守り、

そして圧倒的な勝利を見ることが出来るのです。



イエス・キリストは、あなたを愛しておられます。

2022年4月27日水曜日

ストップの後に最善の道がある

 427(ストップの後に最善の道がある

それから彼らは、

アジヤでみことばを語ることを

聖霊によって禁じられたので、

フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。

こうしてムシヤに面した所に来たとき、

ビテニヤのほうに行こうとしたが、

イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。


       使徒の働き166-7

 


パウロたちは、

アジヤでみことばを語ることを

聖霊によって禁じられました。


パウロは

アジアで福音を語り伝えることが

御心だと思ったと思います。


ところが、主は違うと言われたのです。


それで、

フルギヤ・ガラテヤの地方を通り、

ムシヤに面した所に来て、

ビテニヤのほうに行こうとました。

こちらに行くことが

導きだと思ったからでしょう。


ところが、イエスの御霊が

それをお許しにならなかったのです。


パウロは再びストップをかけられました。


パウロは、2度も主に止められましたが、

彼は、その時その道を進むことをやめたのです。


こののち、マケドニア人の幻を見て

マケドニアに主が招いておられることを確信し、

そこへ行って福音宣教をしました。



私たちの人生にも、

これが主の御心だと思っていると、

主がストップをかけられることがあります。


そこで立ち止まり、

主に従う時、

主イエスが用意してくださっている

最善の導きが与えられて、

高の道が開かれるのです。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2022年4月26日火曜日

洗礼は神の子となり喜ばれる

 426() 洗礼は神の子となり、喜ばれる

「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」


         マタイの福音書317

 


イエス・キリストがバプテスマを受けられて、

水から上がられると、

天が開け、御霊が鳩のように下って、

イエスの上に来られました。


そして主からこう告げる声が聞こえたのです。


「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」


あなたが、イエス・キリストを信じてバプテスマを受け、

古い今までの罪人に死んで、キリストの花嫁になる時、

同じように、天から神である主は語ってくださいます。


「あなたは、わたしの愛する子。

 わたしは、あなたがバプテスマ、洗礼を受けたことを喜ぶ」と。


あなたは、神の子となりました。

そしてイエス・キリストが

あなたの内に住んでくださり、

いつも共にいてくださるのです。


あなたのことを、主は愛しておられ、

バプテスマを受けてキリストの花嫁になったことを、

誰よりも喜んでくださいます。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2022年4月25日月曜日

イエスが受けたバプテスマ

 425() イエスが受けたバプテスマ

「今はそうさせてもらいたい。

 このようにして、すべての正しいことを実行するのは、

 わたしたちにふさわしいのです。」


         マタイの福音書315

 


イエス・キリストは、

ヨハネからバプテスマを受けるために、

ガリラヤからヨルダンで

バプテスマを授けていたヨハネのところに来られました。


ヨハネはイエスにそうさせまいとして

「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、

 あなたが、私のところにおいでになるのですか。」と言いました。


ところが、イエスは答えてこう言われたのです。

「今はそうさせてもらいたい。

 このようにして、すべての正しいことを実行するのは、

 わたしたちにふさわしいのです。」


そこで、ヨハネは承知し、バプテスマを授けました。


イエス・キリストは本来

バプテスマを受ける必要はありませんでした。


バプテスマのヨハネが授けているバプテスマは、

悔い改めのバプテスマでした。


罪がなく罪を犯したことのないイエスにとって、

それは不必要なのです。


しかし、人となられたイエスは、

人間が本来通るべき道の全てを通られたのです。


だから、バプテスマを受けられました。



私たちも自分の罪を、十字架の前で悔い改めて、

イエス・キリストを信じたならば、

バプテスマ、つまり洗礼を受けることは正しいことなのです。


それは今までの罪人の古い自分に死に、

キリストの花嫁として

全く新しい永遠の命の中に生きるキリストとの結婚式なのです。


あなたも、キリストを信じてバプテスマを受け、

キリストの花嫁になりましょう。

全く新しい人生が始まります。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2022年4月24日日曜日

主は助け続けてくださる

 424() 主は助け続けてくださる

そこでサムエルは一つの石を取り、

それをミツパとシェンの間に置き、

それにエベン・エゼルという名をつけ、

「ここまで主が私たちを助けてくださった。」と言った。


      サムエル記 第一712

 


イスラエルの人々は、ペリシテ人と戦い、勝利をします。

そして、預言者サムエルが生きている間は、

ペリシテ人は、

2度とイスラエルの領内には

入ってこなくなりました。


サムエルは一つの石を取り、

それをミツパとシェンの間に置き、

それにエベン・エゼルという名をつけ

「ここまで主が私たちを助けてくださった。」

と言いました。



私たちも人生を歩む中で、いろんな戦いが許されます。

しかし、

主イエスが共におられるとき、

いつも守られ必ず勝利するのです。


イエス・キリストを信じ、

イエス・キリスト共に歩む者は、

人生の晩年を迎える時、

サムエルと同じように言うことができます。


「ここまで主が私たちを助けてくださった。」


あなたも主イエスと共に歩み、こう語りましょう。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2022年4月23日土曜日

信じる者が義とされる

 423( 信じる者が義とされる

聖書は何と言っていますか。

「それでアブラハムは神を信じた。

 それが彼の義と見なされた。」とあります。


     ローマ人への手紙43

 


アブラハムが「義」つまり正しい、
一度も罪を犯したことのない者として認められたのは、
彼が神を信じたからです。

もしアブラハムが行ないによって、
正しい立派な行いによって義と認められたのなら、
彼は誇ることができます。

しかし、神の御前では、そうではありません。
聖書はこう言っています。

「それでアブラハムは神を信じた。
 それが彼の義と見なされた。」

つまり、
アブラハムが何かをしたからではなく、
神を信じたから義とされたのです。


私たちも、神を信じるなら
「義」と認めていただけるのです。

私たちが何かをした報酬としてしてではなく、
何の働きもない者であるにもかかわらず、
不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、
その信仰が義とみなされるのです。

イエス・キリストの十字架の罪の赦しの愛、
そして復活された死に打ち勝つ力を信じましょう。
あなたは「義」とされ救われます。


あなたはイエス・キリストに愛されています。

2022年4月22日金曜日

失望に終わらない希望

 422() 失望に終わらない希望

この希望は失望に終わることがありません。

なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、

神の愛が私たちの心に注がれているからです。


         ローマ人への手紙55

 


失望に終わることのない希望があります。

それはキリストを信じた者に与えられる聖霊によって、

神の愛が注がれていることを知っている心にある希望です。


この希望は、

患難の中でさえ喜び、

そこで忍耐を学び、

その忍耐が練られた品性を育み、

その練られた品性が希望を生み出すのです。


この希望は決して失望に終わることがありません。


あなたも

イエス・キリストを信じる時、

この希望が与えられます。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2022年4月21日木曜日

えこひいきしない神

 421() えこひいきしない神

神にはえこひいきなどはないからです。


          ローマ人への手紙211

 


聖書の中にはすばらしい言葉がたくさんあります。

私の大好きな聖書の言葉、みことばの一つが、この言葉です。


「神にはえこひいきはなどはないからです。」


私は小さい頃、学校の先生が、成績の良い子や、

PTAの役員をされている方の子どもたちに対して

態度が違うのを肌で感じていました。

もちろん、そうでない先生も少しいましたが・・・


自分が大人になると、

人は好き嫌いや自分の損得、自分に対する態度で、

どうしても人を、

えこひいきしてしまうことがあるんだと、

寂しい思いになりました。


でも聖書の神はそうではありません。

えこひいきなどはなさらないのです。


イエス・キリストの十字架は、

あなたのためであり、

一人一人のためであり、

すべての人のためでした。


例外はないのです。


どんな子どもでも、どんな年老いた方でも、

お金持ちも貧しい人も、

自分の罪を悔い改めて信じる者は、赦され救われるのです。


神の愛は、すべての人にえこひいきなく注がれています。

復活されたイエス・キリストは、

どこの国の人であろうと、

今までどんな人生を歩んできた人であろうと、

信じる者の内に住んでくださり、

共に生き助けて導いてくださるのです。


神であられる聖霊さまは、

誰であっても信じる者の内に宿り、

力強く助けて勝利へと導いてくださるのです。


決してえこひいきはされないのです。


神はあなたを愛しておられます。

そして助けてくださいます。



あなたはイエス・キリストに愛されています。

2022年4月20日水曜日

主イエス・キリストはすばらしい

 420() 主イエス・キリストはすばらしい

それどころか、

私の主であるキリスト・イエスを

知っていることのすばらしさのゆえに、

いっさいのことを損と思っています。

私はキリストのためにすべてのものを捨てて、

それらをちりあくたと思っています。


        ピリピ人への手紙38

 


パウロはサンヘドリンの議員であり、

生まれながらにして、ローマ市民権を持つ超エリートでした。


しかし、パウロは

「自分にとって得であったこのようなものをみな、

 キリストのゆえに、損と思うようになった」と告白しています。


それどころか、パウロは、

「私の主であるキリスト・イエスを

 知っていることのすばらしさのゆえに、

 いっさいのことを損と思っています。

 私はキリストのためにすべてのものを捨てて、

 それらをちりあくたと思っています。」と続けて告白しています。


パウロにとってイエス・キリストを知ったこと、

キリストの愛に出会い、救われたこと、

それは、あまりにもすばらしい最高の祝福であり、

この地上のものは、ちりあくた、

ゴミみたいなものだと言っているのです。


それほど、主イエスの十字架の愛、

そして復活の力は、特別なものだったのです。



そしてそれは、

あなたにとっても、

私にとっても同じです。


イエス・キリストを、

あなたが信じて救われ、

その十字架の愛に触れ、

復活の力を体験する時、

この地上のものは、

もはやちりあくたと思えるようになるでしょう。


それほどにイエス・キリストは、すばらしいのです。



あなたはイエス・キリストに愛されています。