2月28日(月) 自分を救わなかったイエス・キリスト
民衆はそばに立ってながめていた。
指導者たちもあざ笑って言った。
「あれは他人を救った。
もし、神のキリストで、選ばれた者なら、
自分を救ってみろ。」
ルカの福音書23章35節
イエス・キリストが十字架につけられた時、
民衆は十字架のそばに立ってながめていました。
そして指導者たちはあざ笑って、こう言いました。
「あれは他人を救った。
もし、神のキリストで、選ばれた者なら、
自分を救ってみろ。」
指導者たちは
イエ・キリストを妬み、あざけっていました。
しかし彼らは言っています。
「あれは他人を救った」と。
イエス・キリストのことを
「あれ」と呼ぶほど敵対し、
あざけっていたにもかかわらず、
イエス・キリストが他人を救ったことを、
彼らは知っていたのです。
認めていたのです。
そうなのです。
イエス・キリストは
他人を、人々を救いました。
病人をいやし、
心を健やかにし、
貧しい人を富ませ、
友なきものの友となられました。
しかし、指導者たちが
「自分を救ってみろ」とあざけっても、
イエス・キリストは、自分を救いませんでした。
自分を救えなかったのではありません。
イエス・キリストにとって、
十字架から降りるぐらい簡単なことでした。
しかし、
十字架から降りれば
罪人である人間に
「永遠のいのち」を与えて
救うことができなくなるのです。
この十字架以外、
人々を永遠に救う道はないのです。
だから
イエス・キリストは
十字架から決して降りることなく、
自分を救わなかったのです。
私たち一人一人を
愛し切られたイエス・キリストは
自分を救わず、十字架から降りず、
私たちの代わりの死を受け取られ、
飲みほされたのです。
これがイエス・キリストです。
ここに愛があります。
この愛で
あなたも、私も、愛されているのです。
あなたはイエス・キリストに愛されています。