2022年6月30日木曜日

目をさましていなさい

 630() 目をさましていなさい

そして彼らに言われた。

「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。

 ここを離れないで、目をさましていなさい。」


        マルコの福音書1434

 


イエスは、弟子たちの中から、

ペテロ、ヤコブ、ヨハネをいっしょに連れて行かれました。


そしてイエスは深く恐れもだえ始められたのです。

イエスは彼らに言われます。

「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。

 ここを離れないで、目をさましていなさい。」


十字架を前に、

神であられた方なのに

人となってくださったイエスが、

今度は、私たちの罪の身代わりとなり、

神であり、神の子である方が、

父なる神に捨てられようとしていました。


私たち人間には

想像できない恐るべき裁きを

イエスは引き受けようとされて、

祈り戦っておられたのです。


でも、弟子たちは、

すぐそばにいたのに、眠ってしまったのです。


目をさましていなさい。

と言われたにもかかわらず、眠ってしまったのです。


どうしてでしょう。

それは、弟子たちにとって

まだ十字架は、この時自分の問題でもなく、

イエス様が恐れ悶え悲しんでおらることは分かっても、

それが自分の問題にはなっていなかったのです。


人は自分の問題にならないと

目をさましていることが出来ません。

眠ってしまうのです。


だから主は

私たちに問題や困難を許され

自分の問題の中で

真剣に目をさまして

祈るようにと導いてくださるのです。



イエス・キリストは、あなたを愛しておられます

2022年6月29日水曜日

主の言われた場所にいる

 629() 主の言われた場所にいる

ゲツセマネという所に来て、

イエスは弟子たちに言われた。

「わたしが祈る間、

 ここにすわっていなさい。」


    マルコの福音書1432

 


イエス・キリストは

十字架にかかられる前、

ゲッセマネで祈られました。


恐れ悶え、悲しみのあまり

死ぬようになりながら祈られました。


その祈りの場所に来られて、

最初に、弟子たちに言われたことは


「わたしが祈る間、ここに座っていなさい。」


ということでした。

とにかくここにいなさい。

ここから離れずに

わたしの祈るこの場所にいなさい

ということだったのです。


このあと弟子たちは

イエス・キリストが祈り

戦っている時に眠ってしまい、

その結果、

十字架の時に逃げ出し

イエスを裏切ってしまいます。


しかし、その彼らを

主イエスは再び弟子として選び、

召し出されたのです。


この時、彼らは

ここに座っていたのです。

主の言われた場所にいるということは

とても大切なことです。



イエス・キリストは、あなたを愛しておられます。

2022年6月28日火曜日

絶えず祈る秘訣

 628() 絶えず祈る秘訣

 絶えず祈りなさい。


テサロニケ人への手紙 第一517

 


パウロは「いつも喜んでいなさい」

と言った後、続けてこう言います。


「絶えず祈りなさい。」


絶えず祈ることは不可能です。

でも、

聖霊のバプテスマを受けて

異言を語れるようになると、

絶えず祈ることが出来るようになります。


運転していても、

皿を洗っていても、

テレビやYouTubeを見ていても、

異言なら祈ることはできるのです。


もちろん、

祈りの中心はことば、

自分が理解できる言葉で祈ることです。


でも異言で祈ることにより、

絶えず霊が祈り、

内なる人が強くされ、

言葉で祈る時、

祈りが力強く導かれるようになります。


あなたも

聖霊のバプテスマを受けて、

異言で祈りましょう。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2022年6月27日月曜日

いつも喜ぶ

 627() いつも喜ぶ

いつも喜んでいなさい。


    テサロニケ人への手紙 第一516

 


使徒パウロはテサロニケにある教会に手紙を送り、

こう書きました。


「いつも喜んでいなさい。」


これは神様からのことばです。

命令と言っていいかもしれません。


でも私たちは、いつも喜ぶことは不可能です。

では、

不可能なことを神は言われ、

パウロは書いたのでしょうか。


他の箇所では、こう書いています。

「主にあって喜びなさい。」


主イエスがいつも共におられ、

キリストは、

どんなことも必ず益に変えて

祝福してくださるお方です。


だから喜ぶのです。


信仰を持って、

信仰を通して

今、許されていることを見て、

喜ぶのです。


主イエスにすがりましょう。

祈り賛美の声をあげましょう。

その時、

いつも喜ぶことができるように

主が愛と憐みを持ってしてくださるのです。



あなたはイエス・キリストに愛されています。

2022年6月26日日曜日

主は聖めてくださる

 626() 主は聖めてくださる

神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。


      テサロニケ人への手紙 第一43

 


イエス・キリストを信じて救われた私たちを、

神さまは、聖めてくださいます。


私たちは罪深く、

自分で自分を、聖く、尊く保つことはなかなか出来ません。


しかし、主イエスにすがり祈る時、

イエス・キリストは恵みと愛を持って、

私たちを建てあげ、聖霊によって変えていかれます。


また、もし私たちが、このようなことで、

兄弟を踏みつけたり、

欺いたりするならば、

主は、これらすべてのことについて正しくさばかれます。


そして整えていかれるのです。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2022年6月25日土曜日

放蕩息子のお兄さん

 625() 放蕩息子のお兄さん

おまえはいつも私といっしょにいる。

  私のものは、全部おまえのものだ。


       ルカの福音書1531

 


聖書の中には、有名な放蕩息子のお話があります。


ところで、その放蕩息子にはお兄さんがいました。

彼はとても忠実に勤勉に働きお父さんに仕えていました。


そのお兄さんが、

畑仕事から帰って来て家に近づくと、

音楽や踊りの音が聞こえて来ました。


それで、しもべのひとりを呼んで、

これはいったい何事かと尋ねると

『弟さんがお帰りになったのです。

 無事な姿をお迎えしたというので、

 おとうさんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』

という答えを聞いて、兄はおこって、

家にはいろうともしませんでした。


それで、父が出て来て、

いろいろなだめてみましたが、

兄は父にこう言ったのです。

『ご覧なさい。

 長年の間、私はおとうさんに仕え、

 戒めを破ったことは一度もありません。

 その私には、友だちと楽しめと言って、

 子山羊一匹下さったことがありません。

 それなのに、遊女におぼれて

 あなたの身代を食いつぶして帰って来た

 このあなたの息子のためには、

 肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』


お兄さんにしてみれば、

やりきれなかったのでしょう。

わかる気はします。


しかし父は彼に、こう言いました。

『おまえはいつも私といっしょにいる。

 私のものは、全部おまえのものだ。

 だがおまえの弟は、

 死んでいたのが生き返って来たのだ。

 いなくなっていたのが見つかったのだから、

 楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』



もしお兄さんが帰ってきて、

お父さんと一緒に弟を抱きしめて、

喜べたらどんなに素晴らしかったでしょう。

そしてお兄さんも幸せだったと思います。


どうして、それが出来なかったのでしょう。


お兄さんは、お父さんに仕えていました。

でも、愛と恵みの関係、

つまり信頼、信仰の関わりではなく、

律法的になっていたのだと思います。


またお父さんが

兄の誕生日に子牛を屠ろうとしても

「いいよ、もったいないから

 そんなことしなくてもいい」

と言ったのかもしれません。


お父さんに

素直に大胆に求めたり願ったりする

関係ではなくなっていたのでしょう。


だから、

弟が放蕩三昧して帰ってきた時、

お父さんが肥えた子牛を屠って

お祝いしていたのが許せなかったのです。



私たちも気をつけないといけません。

最初は弟のように

救われて喜んで奉仕しているのですが、

年月をへてくると

お兄さんのようになってしまいやすいのです。


信仰と信頼を持って、

愛と恵みに満ちておられる父なる神さまに

仕えて行きましよう。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2022年6月24日金曜日

飼い葉桶に寝かせられたイエス

 624() 飼い葉桶に寝かせられたイエス

男子の初子を産んだ。

それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。

宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。


         ルカの福音書27

 


イエス・キリストが地上にお生まれになるとき、

マリヤと夫ヨセフには泊まる宿屋がありませんでした。

それで、

家畜小屋である馬小屋で生まれ、

飼い葉おけに寝かせられたのです。


キリストは生まれた時から、

最も貧しい場所で生まれられたのです。

もっとも貧しく、低く、小さくなってくださったのです。


だから私たちがどんな境遇を通る時も

イエス・キリストは、あなたと共にいて

決してあなたを見放さず見捨てられないのです。


今、復活されたイエス・キリストは、

信じている私たちの心の内に住んでおられます。


あなたはイエス・キリストを

心の王座、中心にお迎えしていますか。

それとも片隅に追いやっていませんか。


この方を

私たちの人生の中心にしっかりと据えて

共に歩んでいきましょう。

最高の人生、最善の歩みをしていくために。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2022年6月23日木曜日

背後の祈りは福音を語る力

 623() 背後の祈りは福音を語る力。

私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、

はっきり語れるように、祈ってください。


       コロサイ人への手紙44

 


パウロは牢獄の中から、

コロサイの教会の人たちに手紙を送り、

こう言いました。


「私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、

 はっきり語れるように、祈ってください。」


彼は祈りがある時、

福音を語る力が与えられ、

また人々が、その福音を聞いて

悔い改めることが出来るようになることを知っていました。


とりなしは聖霊の働きを解き放つ大きな力なのです。


あの使徒パウロも牢獄の中で恐れを感じていたのでしょう。

弱さを覚えていたのでしょう。

でも教会の祈りがあれば、

大胆に、はっきりとキリストの奥義、

福音を語ることができることを知っていました。


だから、祈ってくださいと懇願したのです。

私たちも祈りましょう。

そして福音を語りだしましよう。

きっと多くの方々が救われてきます。



あなたはイエス・キリストに愛されています。

2022年6月22日水曜日

放蕩息子

 622() 放蕩息子

この息子は、死んでいたのが生き返り、

いなくなっていたのが見つかったのだから。


        ルカの福音書1524

 

 


とても豊かな大金持ちの人に2人の息子がいました。


弟はお父さんに

『おとうさん。私に財産の分け前を下さい。』と言いました。

今では生前贈与というのはありますが、

当時は

まだ生きているのに財産を分けてくれというのは、

早く死ぬというのと同じことで、

とてもひどいことを言ったのです。


それでもお父さんは、

身代をふたりに分けてやりました。


するとそれから、

幾日もたたぬうちに、

弟は、何もかもまとめて、

お父さんのことを知らない遠い国に旅立ってしまいました。


そして、そこで放蕩して

湯水のように財産を使ってしまったのです。


彼はお金がなくなったので、

相続権のある子がはめていたとても高価な指輪を外して売り飛ばし、

そのお金も使い果たしてしまいました。

そして何もかも使い果たした時、

その国に大ききんが起こり、

彼は食べるにも困り果てたのです。

それで、

その国のある人のもとに身を寄せたところ、

その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせました。


豚の世話は素晴らしいお仕事です。

でもイスラエルでは豚は汚れた動物なので、

これは最悪の仕事という意味です。


彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどでしたが、

だれひとり、彼に与えようとしてくれる人はいませんでした。


その時、彼は、我に返リます。

そして、こう言いました。


『父のところには

 パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。

 それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。

 立って、父のところに行って、こう言おう。

「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、

 またあなたの前に罪を犯しました。

 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。

 雇い人のひとりにしてください。」』


こうして彼は立ち上がり、

自分の父のもとに行ったのです。

ところが、まだ家までは遠かったのに、

父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、

走り寄って彼を抱き、口づけしました。


息子が言います。

『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、

 またあなたの前に罪を犯しました。

 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』


ところが父親は、しもべたちに

『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。

 それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。

 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。

 食べて祝おうではないか。

 この息子は、死んでいたのが生き返り、

 いなくなっていたのが見つかったのだから。』

そして彼らは祝宴を始めた。

お父さんは、本当に嬉しかったのです。

息子が生きていたことが。

心から喜んでいました、息子が帰ってきたことが・・



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2022年6月21日火曜日

永遠に目を向けて地上を歩む

 621() 永遠に目を向けて地上を歩む

あなたがたは、

地上のものを思わず、

天にあるものを思いなさい。


   コロサイ人への手紙32

 


地上に生きている私たちは、

地上の目に見えるものに

心を奪われてしまいます。


それは普通こと、

当然のことなのかもしれません。


しかし、

私たちの生涯は地上だけで

終わるのではないのです。


地上での人生を閉じた後、

そこから永遠が始まります。

地上での生涯は

どんなに長くても100

あるいは120年ぐらいでしょう。


しかし、

その後に永遠が始まるのです。

それからの方が遥かに長く、

そして本番なのです。


だからと言って、

地上はどうでもいい

と言うわけではありません。


地上でどう生きたかが

永遠で問われてきます。


私たちは自分の罪を悔い改めて

イエス・キリストの十字架を信じ、

復活された主を心にお迎えして、

主イエスとともに

この地上での人生を歩くのです。


目に見えるものに

心奪われて歩むのではなく、

永遠に目をとめ、

永遠に価値あるものに

心を向けて歩むのです。


その時、

真に価値ある人生、

永遠に残る人生を歩めるのです。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。