2021年12月9日木曜日

弱い者こそが必要なのが教会

 12月9日(木) 弱い者こそ必要なのが教会

それどころか、

からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、

かえってなくてはならないものなのです。


    コリント人への手紙 第二12章22節



教会はキリストのからだと言われています。


からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。


つまり、

からだには、器官は多くありますが、からだは一つなのです。

ですから、目が手に向かって

「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、

頭が足に向かって

「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。


それどころか、

からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、

かえってなくてはならないものなのです。


また、私たちは、

からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、

ことさらに尊びます。

こうして、

私たちの見ばえのしない器官は、

ことさらに良いかっこうになりますが、

かっこうの良い器官にはその必要がありません。


しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、

からだをこのように調和させてくださったのです。

それは、からだの中に分裂がなく、

各部分が互いにいたわり合うためです。


大切なことは、

からだの中の弱いと見られる器官が

なくてはならないものであるということです。


私たちは自分が必要ない、

いてもかえって迷惑になるだけだと感じる時があります。


しかし、イエス・キリストは

そうは言っておられないのです。


その弱い者こそ必要なのだと言われます。

その弱さの中に主イエスが働かれ、

教会の中で尊ばれ、神の愛で覆ってくださるのです。


だから弱さを覚える時、

しっかりと教会に留まり、

からだの一部として、そこにいましょう。


私たちはキリストのからだであって、

ひとりひとりは各器官なのですから。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。


0 件のコメント:

コメントを投稿