2021年9月30日木曜日

イエスについていく

 9月30日(木) イエスについていく

だれでもわたしについて来たいと思うなら、

自分を捨て、自分の十字架を負い、

そしてわたしについて来なさい。


     マルコの福音書8章34節



イエス・キリストは弟子を招かれる時、

上手い話や誇大広告を出されたりはしませんでした。


「わたしについてきたいと思うなら、

 自分を捨て、自分の十字架を負い、

 そしてわたしについて来なさい。」と言われたのです。


弟子になりたいなら、自分を捨てなさい、

つまり自分のやり方や考え、自分の計画を捨てて、

神さまが語られ導かれる道を選んでいく、

そこには自分の十字架があります。


それを負ってついてきなさいと言われました。


でも、自分を捨てて自分の十字架を負う時、

一番素晴らしい人生を歩むことができます。


あなたのことを本当に愛し

知っておられる方についていくことは、

間違いなく、最善にして、最高の人生だからです。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。


2021年9月28日火曜日

神に仕える者は祝福される。

 9月28日(火) 神に仕える者は祝福される。

だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。

一方を憎んで他方を愛したり、

一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。

あなたがたは、

神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。


         マタイの福音書6章24節



地獄の沙汰も金次第、

そんなことばを聞いたことはありますか。

これは聖書の言葉ではありません。


でも、この地上では残念ながら

お金があれば何とかなることがあるのも事実です。

もちろん、お金では決して買うことのできない

大切なものも間違いなくたくさんありますが。


私たちが

イエス・キリストを信じて人生を歩きだすと、

それまでとは

全く違った価値観の中に生きるようになります。


永遠なるお方である神を第一にして生きるので、

地上のことに振り回されなくなってくるのです。

そして地上で価値あるお金から解放されて

自由になっていきます。


でも生活の中で神を見失うと、

再びお金が大切になり

お金に振り回され始めます。

お金があると安心し、お金がないと心配する。

まるでお金に仕え

富に仕えているようになるのです。

その時、私たちは祝福を失います。


主を愛して、神に仕え、

イエス・キリストに信頼して、

聖霊の導きに従って生きる時、

私たちは神の愛と真実を

具体的に生活のただ中で見るのです。

主の祝福を豊かに受けるのです。


主イエスは、

決してあなたを見捨てることなく、

どんな時にも助け導いて、

豊かに祝福してくださいます。



イエス・キリストは、あなたを愛しておられます。

2021年9月27日月曜日

神がすべて備えてくださる

 9月27日(月) 神がすべて備えてくださる。

だから、

神の国とその義とをまず第一に求めなさい。

そうすれば、それに加えて、

これらのものはすべて与えられます。


    マタイの福音書6章33節



神は私たちのことを愛して

本当に気にかけてくださっています。


ですから、

私たちの必要を知っておられ

備えてくださいます。


また

私たちの日ごとの糧を用意しておられます。


この主なる神に信頼して、

この方を第一にするなら、

何を食べようか、何を飲もうかと心配し、

何を着ようかと思い煩う必要はありません。


主があなたと私の必要を、満たしてくださるのです。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。


心から愛しておられます。


2021年9月26日日曜日

年老いても、みずみずしい

 9月26日(日) 年老いても、みずみずしい

彼らは年老いてもなお、実を実らせ、

みずみずしく、おい茂っていましょう。


      詩篇92篇14節



イエス・キリストを信じる者は、

年老いて肉体が弱っていったとしても、

その人生には、実が豊かに実ります。


救いの実であり、

愛と恵み、いやしと奇跡の実が

豊かに実るのです。


そして心も体もみずみずしくおい茂るのです。

つまり、どんなに年老いても、

呟きと不満と過去の思い出だけで満ちるのではなく、

新しい心で喜びにあふれた命の中を、

主と共に歩むのです。


それはまさに、

いつも新鮮なみずみずしい歩みとなるでしよう。



あなたはイエス・キリストに愛されています。


2021年9月25日土曜日

十字架だけが誇り

 9月25日(土) 十字架だけが誇り

しかし私には、

私たちの主イエス・キリストの十字架以外に

誇りとするものが決してあってはなりません。

この十字架によって、

世界は私に対して十字架につけられ、

私も世界に対して十字架につけられたのです。


     ガラテヤ人への手紙6章14節




使徒パウロは言いました。

「しかし私には、

 私たちの主イエス・キリストの十字架以外に

 誇りとするものが決してあってはなりません。

 この十字架によって、

 世界は私に対して十字架につけられ、

 私も世界に対して十字架につけられたのです」と。


パウロは博学で、

パリサイ人であり、

またローマ市民で

サンヘドリンという立場もあり、

その気になれば

この世で誇れるものはたくさんあったと思います。


しかし

「主イエス・キリストの十字架以外に

 誇りとするものが決してあって花ません。」

と言い切っています。


これはパウロの心からの告白です。

本心なのです。

パウロは知っていたのです。

十字架がなければ救いはないことを。

十字架で解決できないことは

この地上にはないことを。


私たちもパウロと共に

イエス・キリストの十字架を

誇りとして歩んでいきましょう。


その時、

十字架の恵み、

十字架の愛、

十字架の勝利が

豊かに力強く表されてきます。



あなたはイエス・キリストに愛されています。

2021年9月24日金曜日

朝早く起きて祈る

 9月24日(金) 朝早く起きて祈る

さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、

 寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。


         マルコの福音書1章35節



イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、

寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられました。


弟子たちは、まだ起きていなかったのです。

一人で父なる神と交わり祈るために

寂しいところに出て行き、そこで祈られたのです。


まず父なる神と時間をとって祈られました。

それが主イエス・キリストの

愛と力の源だったのです。


私たちも、

まず主イエス・キリストと交わり

父なる神に祈りましょう。


その時、主イエスは語り

聖霊は導いてくださいます。


私たちが

どんなに弱く愚かで力がなくても、

父なる神は助け、聖霊の助けと愛の中で

豊かに働かれ主の栄光を現してくださるのです。


イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2021年9月23日木曜日

いつも共におられる主イエス

 9月23日(木) いつも共におられる主イエス

見よ。わたしは、世の終わりまで、

いつも、あなたがたとともにいます。


     マタイの福音書28章20節



イエス・キリストは

大宣教命令の一番最後に、こう言われました。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、

 いつも、あなたがたとともにいます。」


弟子たちが全世界に出て行き、

あらゆる国で福音を宣べ伝え、

弟子として、バプテスマを与え、

みことばを教えるなら、

イエスは世の終わりまで、

いつも共にいると言われたのです。


もちろん、自分の罪を悔い改めて、

イエス・キリストの

十字架と復活を信じるなら、

いつでも誰でも

イエス・キリストは共におられて、

決して離れることはありません。


しかし、主のことばに従って、

主イエスの命令に従って出ていく時に、

いつも共にいる主イエスを、

とても深く強く、実感として

感じ体験することができるのです。


あなたも

主イエス・キリストの大宣教命令に

応答して、全世界に出て行きましょう。

主イエスが

いつも共にいてくださることを

さらに深く強く体験することでしょう。


イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2021年9月22日水曜日

権威ある方

 9月22日(水) 権威ある方

わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。


マタイの福音書28章18節



イエスは弟子たちに大宣教命令を語られる時、

最初に言われたことは

「わたしには天においても、地においても、

 いっさいの権威が与えられています。」

ということでした。


「それゆえ、あなたがたは行って、

 あらゆる国の人々を弟子としなさい。」

と続けられたのです。


つまり、天においても、地においても、

いっさいの権威が与えられているから、

出て行きなさいということです。


イエス・キリストには

天おいても、地においても、

いっさいの権威が与えられているのです。

病気も、サタンも、悪霊も、

海も山も風も嵐も波も、

どんな自然も、被造物の全ては

イエス・キリストに従うのです。


だから、私たちは恐れることなく、

この権威あるイエス・キリストを宣べ伝えるのです。

イエス・キリストの御名には権威かあります。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。


2021年9月21日火曜日

疑った者にさえ

 9月21日(火) 疑った者にさえ

そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。

しかし、ある者は疑った。


        マタイの福音書28章17節



イエスの言われたガリラヤに行き、

イエスの指示された山に登った12人の弟子たちは、

イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝をしました。


復活されたイエスと

アルベル山で礼拝をささけだのです。


深い感動と臨在が注がれたと思います。


しかし、ある者は疑ったのです。


私は聖書が好きです。

それは聖書が

実に正直に弟子たちの姿を描いているからです。


復活したイエスに出会ったにもかかわらず、

ある者は疑ったのです。


しかし、イエスはこの後、

その疑った者にも他の弟子たちと同じように

大宣教命令を語り与えられるのです。


主イエスの度量の大きさと深さを思います。


あなたが疑うことがあったとしても、

イエス・キリストは、

この大きな深い愛であなたを愛してくださり、

あなたにも語られ命じられます。


その言葉はあなたの生涯にとってかけがえのない使命となります。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。


2021年9月20日月曜日

生涯の使命が与えられる場所

 9月20日(月) 生涯の使命が与えられる場所

十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、

イエスの指示された山に登った。


    マタイの福音書28章16節



弟子たちは、

ガリラヤに行くように伝えられていました。

「そこでわたしに会える」と言われたのです。


それで、十一人の弟子たちは、

ガリラヤに行って、

イエスの指示された山に登りました。

この山は、おそらくアルベル山だと思われます。


そこで、

彼らはイエス・キリストから

大宣教命令を語られ命じられるのです。


弟子たちが

イエスの言われたガリラヤに行き、

指示された山に登った時、

イエス・キリストから

生涯にわたる召しである使命を語られたのです。


私たちもイエス・キリストの語られることに従い、

主イエスが言われるところに行く時、

神はあなたにも語ってくださるのです。

生涯の使命である召しを!


あなたはイエス・キリストに愛されています。

2021年9月19日日曜日

全世界に出ていく

 9月19日(日) 全世界に出ていく

それゆえ、あなたがたは行って、

あらゆる国の人々を弟子としなさい。


      マタイの福音書28章19節



イエスの十一人の弟子たちは、

イエスの言われたとおりガリラヤに行って、

イエスの指示された山に登りました。

おそらくアルベル山だったと思います。


弟子たちは、

イエスにお会いしたとき礼拝しました。

しかし、中には疑う者もいました。


イエスは近づいて来て、

彼らにこう言われたのです。

「わたしには天においても、地においても、

 いっさいの権威が与えられています。

 それゆえ、あなたがたは行って、

 あらゆる国の人々を弟子としなさい。

 そして、父、子、聖霊の御名によって

 バプテスマを授け、

 また、わたしがあなたがたに

 命じておいたすべてのことを守るように、

 彼らを教えなさい。

 見よ。わたしは、世の終わりまで、

 いつも、あなたがたとともにいます。」


これが有名な大宣教命令です。

この大宣教命令の中で

イエスは言っておられます。

「行って」と。

GOと言われたのです。


しかも続けて

「あらゆる国の人々を弟子としなさい。」

と命じられました。

つまり、あらゆる国に行けと言われたのです。

もちろん、イエスの導かれる国にです。


この時、弟子たちは、まだ弱く不十分で

エルサレムにある教会も小さな者でした。


しかし、主イエスは語られたのです。

「行って」と。


弟子たちが聖霊を受けたのち、

全世界に出て行ったように、

私たちも聖霊から力と愛をいただいて、

全世界に出ていくのです。


自分たちが強く

ふさわしくなってからではなく、

また教会が大きくなってからではなく、

語られている今、

聖霊の力と愛の助けをいただいて

全世界に出ていくのです。


その時、共におられる

主イエス・キリストが

働いてくださるのです。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。


2021年9月18日土曜日

命がけの愛

 9月18日(土) 命がけの愛

三時ごろ、イエスは大声で、

「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。

これは、

「わが神、わが神。どうしてわたしを

 お見捨てになったのですか。」という意味である。


       マタイの福音書27章46節



イエス・キリストは十字架に

朝の9時につけられ、3時に息を引き取られます。


その最後の3時ごろ、イエスは大声で

「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました。

これは「わが神、わが神。

どうしてわたしをお見捨てになったのですか」

という意味です。


これは本来私たち人間が

叫ばなければならない叫びでした。

でもイエス・キリストは、

神であられたのに人となり、

私たち一人一人の罪の身代わりとなって、

神であられた方が神に捨てられて

私たち一人一人のために身代わりに叫ばれたのです。

「どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と。


イエス・キリストの十字架は

お芝居ではありませんでした。

本当に神の子であられた

イエス・キリストは人となり、

父なる神に

あなたと私の代わりに捨てられて

よみに降られ

神から断ち切られたのです。


だからあなたも私も救われ

永遠の命をいただいて

天の御国、天国に行けるのです。


本来行くべき地獄、永遠の滅び

に決して行くことはないのです。



イエス・キリストはあなたを命をかけて愛しておられます。


2021年9月17日金曜日

一番後ろにいた者を

 9月17日(金) 一番後ろにいた者を

エリヤはそこを立って行って、

シャファテの子エリシャを見つけた。

エリシャは、十二くびきの牛を先に立て、

その十二番目のくびきのそばで耕していた。


     列王記 第一19章19節



エリヤが神に導かれて後継者の

シャファテの子エリシャを見つけたとき、

エリシャは、どこにいたのでしょう。


エリシャは、

十二くびきの牛を先に立て、

その十二番目のくびきのそばで耕していたのです。

人目につかない一番後ろの

十二番目のくびきの牛のそばで、

耕していたのです。


そのエリシャのところを

エリヤが通り過ぎて

自分の外套を彼に掛けたのです。


私たちも、

今いる場所が人目につかず、

注目されなくても、

忠実に仕えているなら、

神はあなたをご覧になり、

呼び出してくださるのです。


主の時に、

主イエスご自身があなたのところに来て、

招いてくださるのです。


今置かれているところで、

神の前に忠実に仕えましょう。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。


2021年9月16日木曜日

主の御心を受け取る低い砕かれた心

 9月16日(木) 主の御心を受け取る低い砕かれた心

「ほんとうに、私は主のはしためです。

どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」


       ルカの福音書1章38節



神であられたイエス・キリストが、

人となって地上に来られる時、

父なる神は処女マリヤを

その母として選ばれました。


もちろん、神に母はいませんが、

人となられたイエス・キリストの

母としてマリヤを選ばれたのです。


マリヤは神に選ばれるまで、

特に目立つような女性ではなかったと思います。

大都会のエルサレムにいたわけでもなく、

田舎のガリラヤの小さなナザレという

村に住んでいたのです。


主は、そのマリヤを選ばれました。

それは、御使いから聖霊によって

身ごもり神の子を宿すことを言われた時、

人々から誤解され中傷されても、

婚約者のヨセフが離れていったとしても、

その主の御心を受け取る

低い砕かれた心を持っていたからです。

(ヨセフは天使から主の言葉を受けマリヤと結婚します)


マリヤは御使いに答えています。

「ほんとうに、私は主のはしためです。

 どうぞ、あなたのおことばどおり

 この身になりますように。」と。



私たちもマリヤのように

主の御心を受け取る低い砕かれた心を

いただきましょう。


その時、

主はあなたを選ばれ、呼び出されて、

主の素晴らしい計画が

あなたの上に開かれ現れてきます。



イエス・キリストはあなたを愛しておられます。