しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。
もし彼が、自分のいのちを
罪過のためのいけにえとするなら、
彼は末長く、子孫を見ることができ、
主のみこころは彼によって成し遂げられる。
イザヤ書53章10節
イエス・キリストを砕いて、痛めること、
それは主の御心でした。
イエス・キリストを十字架につけ、
私たちの罪過のためのいけにえとすることは
父なる神の御心だったのです。
そうするしか
私たち罪にまみれ汚れきってしまった人間を
救い出す道はなかったのです。
キリストが十字架にかかり
自分の命を罪過のためのいけにえとするなら、
私たち人間が悔い改めて信じる時、
私たちは赦され義とされ救われるのです。
そして神のみ心は、キリストによって
成し遂げられ全うされました。
父なる神は、
一人このイエス・キリストを
砕いて痛めることを御心とされました。
それは主であられた神が
私たちを愛しておられたからです。
キリストの命を代価にしてまでも、
あなたを赦し、
私を救い出されようとされたのです。
それほどまでに、
私たち人間を愛してくださったのです。
あなたを、私を、愛してくださったのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿