けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、
主イエスから受けた、神の恵みの福音を
あかしする任務を果たし終えることができるなら、
私のいのちは少しも惜しいとは思いません。
使徒の働き20章24節
パウロは、ミレトでエペソの教会の長老たちを集めて送別説教をしました。
その中で、パウロはこう言いました。
「いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。
そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。
ただわかっているのは、
聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、
なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。
けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、
主イエスから受けた、
神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、
私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」と。
パウロは、なわめと苦しみが待っているけれども、
自分の任務、使命は
主イエスから受けた恵みの福音を証しすることだから、
それをやりとげ、成し遂げられるなら、
命は少しも惜しいとは思わないとはっきりと言いました。
パウロにとって、
主イエスの恵みの福音は命をかけても伝えたいものでした。
そのためなら、なわめと苦しみが待っていても、
彼はエルサレムに行こうとしていたのです。
彼は主イエスの恵みの福音が
どんなに素晴らしいかを知っていたからです。
これ以外に救いがないことを知っていたからです。
私もこの福音のために命をかけていきたいと心から願います。
それは主イエスの恵みの福音を知っているからです。
あなたは、主イエスの恵みの福音を知っていますか。