2019年3月16日土曜日

愛ゆえ厚かましいほどに求める


あくまで頼み続けるなら、

そのためには起き上がって、

必要な物を与えるでしょう。

    ルカの福音書118


イエスに、弟子のひとりが
「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、
 私たちにも祈りを教えてください」と聞くと、
イエスは、彼らにまず「主の祈り」を教えられ、
さらに続けて、こんな例えを話されました。
「あなたがたのうち、
 だれかに友だちがいるとして、
 真夜中にその人のところに行き、
 『君。パンを三つ貸してくれ。友人が旅の途中、
 私のうちへ来たのだが、
 出してやるものがないのだ。』と言ったとします。
 すると、彼は家の中からこう答えます。
 『めんどうをかけないでくれ。
 もう戸締まりもしてしまったし、
 子どもたちも私も寝ている。
 起きて、何かをやることはできない。』
 あなたがたに言いますが、
 彼は友だちだからということで
 起きて何かを与えることはしないにしても、
 あくまで頼み続けるなら、
 そのためには起き上がって、
 必要な物を与えるでしょう。」

ここから、ひつこいほどに願えば、
どんな無茶なことでも、
無理やりにでも聞いてもらうことができる
というようなことを言う人がいますが、
そうではありません。


この人は友人に、
どうしても何か食べさせてあげたかったのです。
だから、あくまで頼み続けました。
祈る時とても大切なことは、
この人が友人に食べさせてあげたいと思ったように、
愛による信仰、あるいは強い強い願いです。
だからこの人は、
あくまで頼み続けることができたのです。

原語では厚かましいほどにとも訳せる言葉です。
愛する心から生まれてくる強い強い願いのゆえに、
どうしても聞いて欲しい、答えてほしいと
答えられるまで願い続ける、
どんな不可能と思っても、
あくまで、厚かましいほどに
イエス・キリストに向かって求め続けていく、
その時、主イエスは、必ず答えてくださるのです。

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