2016年11月3日木曜日

11月3日(木) イエスが愛された愛の極み②




夕食の席から立ち上がって、

上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰にまとわれた。

それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。




ヨハネの福音書13章4・5節



弟子たちの足を洗われるイエス



イエス・キリストの回りを取り囲んで12人の弟子たちが、

みんなそろって夕食を食べていました。



すると突然、

イエス・キリストは夕食の席から立ち上がり、

上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれたのです。

それから、たらいに水を入れ、

回りにいた弟子たちの足を洗って、

腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められました。



弟子たちの足は、とても汚れていました。

当時は立派な履物などはありません。

それどころか、裸足でいた人もいたほどです。

日本でいえば地下足袋のような履物をはいていたのでしょう。

足も、今のようなズボンではなく、

むしろ女性のスカートに近いものをはいていました。



ですから、足は、とてもとても汚れていたのです。

その汚れきっていた弟子たちの足を、

イエス・キリストは、一人ずつ洗われたのでしょう。

それは弟子たちへの模範を示すためでした。

愛することの模範を示すためでした。

愛することの模範に、足を洗って弟子たちに示されたのです。



師であり、先生であったイエス・キリストが、

弟子たちの一番汚れていた場所を洗ってくださったのです。



人が、だれかを好きになり、愛していると言うときは、

その人の何かが、

あるいはどこかが、 自分の好みにあっているということです。



ですから、

しばらくするといやになってしまい、

その人の思っていたことと違って期待はずれだったりすると、

もう嫌いになってしまいます。



残念なことに、

場合によっては、愛が憎しみに変わることさえあるのです。



しかし、イエス・キリストは違います。

私たちが、何かが出来るから愛してくださるのでも、

姿かたちが格好良くて、

イエス・キリストのお気に入りのことをするから

愛してくださるのでもないのです。



それどころか、

イエスは、私たちの最も醜いところを

そのまま受け止め愛してくださるのです。

自分でも見たくないような、

見ようとしないような醜い汚れきったところを

イエスの十字架の愛と血潮で洗い流し、

清めて、きれいにしてくださるのです。



これが、イエス・キリストの示された愛でした。



これが、私たちの主、イエス・キリストです。



愛が憎しみに変わることなど、

イエス・キリストにはありえないのです。

イエス・キリストが

愛してくださった真実な愛は、

憎しみは変わることなどないからです。

0 件のコメント:

コメントを投稿