2016年11月23日水曜日

11月24日(木) ピラトとイエス⑤




だれも、わたしからいのちを取った者はいません。

わたしが自分からいのちを捨てるのです。

わたしには、それを捨てる権威があり、

それをもう一度得る権威があります。

わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。




ヨハネの福音書10章18節



いのちを捨てる権威



イエス・キリストは、祭司長たちの妬みの前に敗北されたのでしょうか。

ピラトの努力もむなしく、ピラトの総督としての権威は、

長老や律法学者、祭司長たちの妬みに用いられてしまい、

イエス・キリストは、彼らの思いのままにされてしまったのでしょうか。



もちろん、そうではありませんでした。

イエス・キリストは、自ら十字架の死の道を選ばれたのでした。



ピラトの弱さも、

祭司長や長老たちの妬みも、

主はすべて知っておられました。



そのうえで、

神のときが来たときに、

主イエスは、十字架の死の道を、まっすぐに選ばれ進んで行かれたのでした。



イエスは言われています。



「だれも、私からいのちを取ったものはいません。  

わたしが自分からいのちを捨てるのです。  

わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。  

わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」  



権威は、ピラトにではなく、イエス・キリストの上にありました。

イエス・キリストは、自ら進んで父なる神の命令に従い、

自分から十字架の死の道を選び、

自分からいのちを捨てる道を選んだのです。



それは、私たちへの愛のゆえでした。

この道以外には、

罪人であるあなたと私の罪をあがない救う道が

他にはなかったからでした。



イエス・キリストのうちにあふれる私たちへの愛が、

あの十字架に導いたのです。

イエスの父なる神への従順が、私たちにいのちをもたらしたのです。



ピラトの弱さも、

長老たちをはじめとする人々の妬みも、

すべては、主の手の中にあったのです。



その上に、主の計画と御手がありました。



私たちも、この主イエスに従っていくとき、

人々の妬みやピラトのような弱さのゆえに、

十字架を負わされるときがあるかもしれません。



いや必ずあるでしょう。



しかしそのとき、知ってほしいのです。

その人々の妬みも、

自分の立場を守ることしか頭にない人々の弱さも、

すべては、主の御手の中にあることを。



ですから、イエス・キリストがなされたように、

私たちも権威をもって、十字架の死の道を選んでいきましょう。

主イエスが、その中で、栄光を必ず現わしてくださいます。

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