
さて、ある人が病気にかかっていた。
ラザロといって、マリヤとその姉妹マルタとの村の出で、ベタニヤの人であった。
イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。
<主に愛されていた
マルタとマリヤ、そしてラザロ
エルサレムから3kmほど離れたところに、ベタニヤという町があります。
そこに3人の兄弟姉妹が住んでいました。
マルタとマリヤという2人の姉妹と弟のラザロでした。
彼らは、イエス・キリストを、とても愛していました。
もちろん、イエス・キリストも、彼らのことを、こよなく愛していました。
ところが、ラザロが病気になってしまったのです。
しかも、それはとても重い病気でした。
主を愛し、主に愛されているラザロが、病気になってしまったのです。
おかしいと思いませんか。
ラザロは、こんなに主を愛しているのに、
主も、ラザロを愛されているのに、
なぜ健康ではなく、病気がやってくるのでしょう。
祝福ではなく、
災いとしか思えないようなこんなに重い病気がやってくるのでしょう。
私たちにも、神様がいるなら、神様が愛なら、
なぜ、こんなことが許されるのだろう…、
そう思いたくなるようなことが、許されることがあります。
主に従っているのに、
なぜ、神さま、こんなことが起こるのですか、
と言いたくなるような時があります。
しかしそこには、私たちの考えよりも、もっと深い神の愛と計画があるのです。
ラザロの場合もそうでした。
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