聞いた人々はみな、それを心にとどめて、
「いったいこの子は何になるのでしょう」と言った。
主の御手が彼とともにあったからである。
ルカの福音書1章66節
使命ゆえに待たされ整えられる
ザカリヤがヨハネと書いた瞬間、
口が開かれ、
神を賛美し出したのを見て、
人々は驚きました。
そして、神を恐れたのです。
このことの一部始終は、
その地方一帯に語り伝えられていきました。
そして、聞いた人々はみな、
「いったいこの子は何になるのだろうか」と言い、
この子とともにある主の御手を見たのです。
ザカリヤには、使命があったのです。
彼に与えられた子、ヨハネには、
救い主イエスさまの道備えをするという使命がありました。
これから始まるリバイバルの中で、
多くの人々が救われ、神の子とされていくでしょう。
彼らは、主の再臨の道備えをしなければなりません。
その彼らを、
主に聞きつつ、主にあって育てていくのは、
私たちの使命なのです。
それゆえ、主はザカリヤを待たされ整えられたように、
私たちをも、待たせ整えていかれるのです。
主の訓練と懲らしめは、愛以外の何物でもありません。
それは、私たちの祝福のためなのです。
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