2016年8月31日水曜日

8月31日(水) ベテスダの池③





イエスは彼が伏せっているのを見、

それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。

 「よくなりたいか。」


     ヨハネの福音書5章6節


よくなりたいか


べテスダの池の周りには、たくさんの病人がいました。

その中に、38年もの間、病気で伏せっている人がいました。

イエス・キリストは彼を見たとき、

すぐに、それがもう長い間のことなのが、わかられたのです。

イエス・キリストは、彼に言われました。

 
「よくなりたいか」



よくなりたいに決まっているじゃありませんか。

そう思われますか。

私もかつて若い学生の頃、そう思いました。

けれども牧師になり、30年近くたった今は、

イエス・キリストが、こう聞かれたのがわかるような気がします。



考えても見てください。

38年間、彼は病気で伏せっていたのです。

生まれつきだったとしても、もう38歳です。

病気になったのが、もし成人してからなら、もう58歳、なんと60近いことになります。

私がいま、57歳なので、ちょうど私ぐらいですね。

長すぎました。

あまりにも長すぎたのです。

池の周りに来てはいるものの、

もう彼の中には、あきらめの気持ちが、きっと強くあったことでしょう。



最初のうちは、今度こそ池の水が動いたら、まず初めに飛び込もう。

そしたら直るんだ、と期待しながら、待っていたことでしょう。

でも、一回、二回、三回、四回と、いつも誰かが先に行ってしまい、

一年、二年、五年、十年と経つうちに、

もう彼の中には、

これで一生終わるのではないか、というあきらめめのようなものがあったことでしょう。



でも、そこにイエス・キリストは来られ、彼に言われたのです。



「よくなりたいか」と。



何年もの間、もう聞いたこともなかったことばを彼は聞きました。

そのとき、この38年間病気で伏せっていた人の中に、かすかな希望がともり始めたのです。



もしかしたら、この人が池の水が動くとき、連れて行ってくれるかもしれない。

本当に久しぶりに、彼は病気が直るかもしれないという期待を持ったのです。

イエス・キリストの言葉を聞いて、彼のうちに希望が与えられ、信仰が芽生えたのです。

病人は答えました。 



「主よ。私には水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。

 行きかけると、もう他の人が先に降りていくのです」



素直に「はい、直りたいです」とは答えられませんでした。

それほどに彼は、きっと痛んでいたのでしょう。

今までの悔しさ、悲しさ、苦しさを、

このことばに一気につめて、イエス・キリストにぶつけたのです。

この人が私を池の中に連れて行ってくれて直してくれるかもしれない、

という期待と信仰を込めて…。

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