すると、彼は書き板を持って来させて、
「彼の名はヨハネ」と書いたので、
人々はみな驚いた。
すると、たちどころに彼の口が開け、舌は解け、
ものが言えるようになって神をほめたえた。
ルカの福音書1章63・64節
使命ゆえに待たされ整えられる
ザカリヤがヨハネと書いた瞬間、
口が開かれ神を賛美し出したのを見て、
人々は驚きました。
そして、神を恐れたのです。
このことの一部始終は、
その地方一帯に語り伝えられていきました。
そして聞いた人々はみな、
「いったいこの子は何になるのだろうか」と言い、
この子とともにある主の御手を見たのです。
ザカリヤには使命があったのです。
彼に与えられた子、ヨハネには、
救い主イエスさまの道備えをするという使命がありました。
今、始まったリバイバルの中で、
多くの人々が救われ、神の子とされていくでしょう。
彼らは、この終わりの時代、
黙示録の時代を生きることになることでしょう。
私たちは、彼らとともに、主の再臨の備えを、
主に聞きつつ、主に従って、していく必要があるのです。
それは、この時代に生きる私たちの使命なのです。
それゆえ主は、ザカリヤを待たされ整えられたように、
私たちをも待たせ整えていかれるのです。
主の訓練と懲らしめは、愛以外の何物でもありません。
それは私たちの祝福のためなのです。
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