「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、
あなたがたに知らせるために。」
こう言って、それから中風の人に、
「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」
と言われた。
すると、彼は起きて家に帰った。
マタイの福音書9章6・7節
イエスは舟に乗って湖を渡り、
自分の町、カペナウムに帰ってこられました。
すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、
イエスのみもとに運んできました。
イエスのところに連れて来れば、
きっと直してもらえると、
彼らは信じて期待して、
連れてきたのです。
イエスは彼らの信仰を見て、
中風の人に、
「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」
と言われました。
すると、これを聞いていた律法学者たちは、心の中で、
「この人は神をけがしている。」と言いました。
どうして、そんな風に思ったのかというと、
あなたの罪は赦されましたと言われたからです。
罪を赦すことができるのは、神さまだけです。
それなのに、イエスが「罪が赦されました。」と言われたからです。
もし、イエスが神でなかったら、
確かに、これはとんでもない神への冒涜ですね。
まさに神をけがしているのです。
でも、イエスがキリストで神さまなら、
これは冒涜でもなんでもなく、神の言葉なのです。
もちろんイエスは彼らの心の思いをすぐに見抜かれました。
イエスは言われます。
「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。
『あなたの罪は赦されました。』と言うのと、
『起きて、歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。」
口先だけで「あなたの罪は赦された」というのは、簡単です。
でも「起きて、歩け」と言って、起きて歩けるようになるには、
本当に言葉に権威がなければできません。
もしそれができるなら、「罪を赦す」こともできるのです。
イエスは続けて言われます。
「人の子が罪を赦す権威を持っていることを、
あなたがたに知らせるために。」
こう言って、それから中風の人に、
「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われました。
すると、その中風の人は、起きて家に帰っていったのです。
この光景を見た群衆は、恐ろしくなりました。
中風の人がイエスの一言で、
いやされ立ち上がって、
家まで歩いて帰って行ったのです。
そして、このような権威を人に、
もう少し正確に言うと、人となってくださったイエス・キリストに、
お与えになった神さまをあがめました。
イエスは神であられました。
イエスは神のひとり子です。
人間の子が人間であり、
また犬の子は犬であり、猫の子は猫であるように、
神の子であるイエス・キリストは神なのです。
イエス・キリストには、罪を赦す権威も与えられていました。
そして、中風の人をいやし立たせて歩かせることもできたのです。
私たちはイエス・キリストの権威を小さく見てはいないでしょうか。
イエス・キリストは一言で、嵐を静め、
イエス・キリストは、一言で、中風の人をいやし、
あの十字架で私たちの罪を完全に贖い赦してくださったのです。
この方、イエス・キリストに
お出来にならないことは、この地上にはありません。
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