2016年6月8日水曜日

6/8(水) 主の祈りーイエスが弟子に教えられた祈り

             
 
 
 
 
だから、こう祈りなさい。
『天にいます私たちの父よ。
 御名があがめられますように。
 御国が来ますように。
 みこころが天で行われるように地でも行われますように。
 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
 私たちの負いめをお赦しください。
 私たちも、負いめのある人たちを赦しました。
 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。
 アーメン。〕     

       
マタイの福音書6章9〜13節
 
イエスは、さらに祈りについて語り続けられます。
 
「また、祈るとき、
 異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。
 彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。」
 
祈りというと、仏教の念仏のように、
同じことばをくり返して言う祈りが、確かに多いのです。
イエス・キリストは、このように同じことばを
ただくり返す呪文のような祈りを否定されました。
 
ことば数が多ければ聞かれるのではない、
とイエスは言われたのです。
 
「だから、彼らのまねをしてはいけません。
 あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、
 あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」
 
呪文を唱えるような、
ただくり返す祈りのまねをしてはいけない。
とイエスは、はっきりと言われました。
 
なぜなら、父なる神さまは、私たちやあなたが祈る前から、
あなたに、そして私たちに、何が必要かを知っておられるからです。
もう少し突っ込んでいうと、
あなたと私たち以上に神さまは、
あなたの必要も、私たちの必要も知っておられるのです。
 
だから、こう祈りなさいと言って、
イエス・キリストは、
あの有名な「主の祈り」を、教えてくださったのです。
 
天にまします我らの父よ。
願わくは、御名をあがめさせたまえ。
御国を来らせたまえ。
御心の天になるごとく、地にもならせたまえ。
われらの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。
国と力と栄えとは、ことごとく汝のものなればなり。
アーメン。
 
私たちは、いつもこう祈っていますが、
実は、この祈りは、
イエスが教えられた最も基本的な最高の祈りです。
どう祈ったらいいかわからない人は、
この「主の祈り」にそって祈るといいのです。
 
主の祈りを、そのまま祈ることも素晴らしい祈りです。
 
しかし、この祈りを理解し味わって祈ると、祈りは深くなり、
信仰も強められ、多くの祈りの答えを見ることができます。
 
「主の祈り」を少し学んでみましょう。
 
まず、
 
「天にいます私たちの父よ。」
 
と、父なる神さまに対する呼びかけから、祈りは始まります。
私たちの心を天に向け、
この地上の雑事から、私たちの目を永遠に向けて、
そこにおられる私たちの神様、私の神さまに祈るのです。
 
つまり神さまは、遠い方ではなく、
私の神、私と親しく関わり交わってくださる方なのです。
 
その方に毎日の日常から目を離して、
永遠の天に目を向けて祈るのです。
 
そしてさらに、
 
「御名があがめられますように」
 
と続きます。
ここで重要なのは、御名ですね。
御名は、つまり名前ですが、
ここに出てくる御名は、
もちろんイエス・キリストですが、
同時に父なる神の御名でもあります。
 
ヘブルの世界では、
御名、つまり名前は、その実質・本質を意味します。
 
ですから、神の御名というのは、神の実質ということです。
 
それでは、父なる神さまの御名は、何でしょうか。
 
神さまの御名の代表的なものを、
聖書からいくつか書いてみましょう。
 
アドナイ・イルエ、(主、備えたもう)
 これは創世記の21章に出てきますが、
 アブラハムがひとり子のイサクを祭壇に捧げた時に
 主が生贄の羊を用意してくださるのです。
 その時語られるのです。
 アドナイ・イルエ、「主、備えたもう」と。
 つまり、「主は備え主で、すべての必要を満たしてくださる。」
 という意味です。
 
アドナイ・ニシ、(主は我が勝利の旗)
 これは、出エジプト記18章に出てきます。
 イスラエルとアマレクが戦った時、モーセはヨシュアを遣わし、
 モーセ自身は、丘の頂きに登り、
 アロンとフルに支えられて日が沈むまで手を上げます。
 その結果、ヨシュアはアマレクとその民を剣の刃で打ち破り、
 主は、イスラエルに勝利を与えられます。
 そのとき、モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシと呼び、
 「それは『主の祭壇の上の手』のことで、
  主は代々にわたってアマレクと戦われる。」と言われました。
つまり、主が戦ってくださり勝利を与えてくださるという意味です。
 
アドナイ・シャロム、主は平安
 これは、士師記6章に出てきます。
 士師のギデオンが、神様から「勇士よ」と語られ、
 主に従ってペリシテ人に立ち向かい、大勝利をとります。
 その時ギデオンは、語られたのが本当に主ですかと主に聞きます。
 主は、それに対して、明確なしるしを与えられます。
 その時に語られた言葉です。
 アドナイ・シャロム 「主は平安」と言う意味です。
 
アドナイ・シャマ、(主はここにおられる)
 これは、エゼキエル書の最後48章に出てきます。
 その日からこの町の名は、『主はここにおられる。』と呼ばれると。
 
そのほかにも、
アドナイ・ラフェー、(主はいやし主)
アドナイ・チドケヌ、(主は私たちの正義)
アドナイ・ロイ、(主は羊飼い・ご覧になる神)
主は愛、主は聖なる方、等とあります。
 
この一つ一つの御名を、
あなたが、あがめ賛美し感謝していくと、
どんな問題の中にあっても、
必ず主が解決して、勝利を与えてくださると
信仰が与えられ、引き上げられていきます。

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