2016年6月29日水曜日

6/29(水) 人の子であるイエスには枕する所もありません。






イエスは彼に言われた。

「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、

 人の子には枕する所もありません。」


    マタイの福音書8章20節



イエス・キリストのところに、

一人の律法学者がやって来て、こう言いました。

「先生、

 あなたのお出でになる所なら、どこにでもついてまいります。」



イエスは彼に、こう答えられました。

「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、

 人の子には枕する所もありません。」



狐には穴があって、休む場所、寝る場所がある。

空の鳥にも巣があり、帰る場所、ゆっくりと休む場所がある。

しかし、人の子には、枕する所、

つまりゆっくりと休み眠る場所もない。



人の子というのは、イエス・キリストのことです。



イエス・キリストには、

枕をしてゆっくりと休み、眠れる場所もなかったのです。



それほど福音宣教に生きていたイエスは、

人々を救い、病気をいやし、悪霊から解放し、

困っている人々を助けることに忙しかったのでしょう。



イエス・キリストが、

ゆっくりと安心して休める場所、



あなたのお出でになる所なら、どこまでもついていきます。

そう言った人に、

いやしや奇跡を行う華やかな主の栄光を見る働きの背後には、

枕する場所もない、そんな生活があるのですよ。

そんな毎日の生活に、あなたはついてこれますか。

そうイエスは聞きたかったのでしょう。



すると、また別のひとり弟子がイエスに、こう言いました。

「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。」



当然、いいですよ、とイエスが答えられるかと思ったら、

全く違う答えを言われました。



イエスは、彼に答えられました。

「わたしについて来なさい。

 死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」



イエスは、他の聖書の箇所では、

「手を鋤に付けてから振り向いてはならない」とも語られました。

一見すると冷たく聞こえる言葉ですが、そうなのでしょうか。



わたしは牧師になり、たくさんの方の葬儀に関わってきました。

また60歳近くになり、多くの方の死を、身近で見てきました。



そして思うことがあります。

正直に書くと、

多くの方は、家族や友人が亡くなり死を迎えると、

急に優しくなり、大切にする人が多いのです。

生きている時は、冷たくして、

時間をさいたり、お金をかけたりは、ほとんどしなかったのに、

亡くなると、急にお金をかけたりするのです。

でも、もうその人は、そこに生きてはいないのです。

生きている時に十分にしてあげることができなかったから、

という気持ちはわかります。

でもそれは、厳しい言い方をすれば、

残された人の自己満足でしかありません。

ひどい場合には、亡くなった方というより、

生きている人のメンツや立場のために、

死んだ人のために一生懸命している時さえあります。



イエス・キリストは、

もう亡くなって死んでしまった人のためではなく、

生きている人のために、生きなさい。と言われているのです。



もう少し突っ込んで言えば、

その人が生きている時に、

その人のために、福音を語り、主の愛を示し、

その人に仕えてあげなさい。

と言いたかったのではないでしょうか。



この人の場合は、父ですから、父が生きている時に、

父に仕え、父を敬い、愛を示して仕えてあげたなら、

もう何も思い残すことはないでしよう。

死んで天に行った父のことは、天に任せて、

あなたは今も生きている人たちのために、仕えなさい。

そのために、「わたしについて来なさい。」と言われたのです。



それに、この箇所で死んだ父は、ユダヤ人なので、

当然、聖書に書かれている唯一の神さまを信じていたと思います。ですから、天国へ旅立ったと思われます。

イエスは、天に行った彼らのことは

死人たち、天に行った人たちに任せて、

あなたは、わたしについてきなさい。



そして、まだこの永遠の命を受けていない

この地上の人たちのために働きなさい。と言われたのでしょう。



枕する所もないほどに、この地上には問題が山積しています。

天国を知らず、永遠の命を受けずに、

この世のことに振り回され、

この地上のことに翻弄されている人々が、

たくさん、たくさんいるのです。



もしわたしについてくるというなら、

まだイエス・キリストを知らず、

天国への確信のないまま、

永遠の命を受けずに生きている人たちのために、

あなたの時間を使いなさい。



そうイエス・キリストは言われたのでしょう。



そして、もしこの人の死んだ父が本当に天に行ったなら、

きっと、この人の父もそれを願っていることでしょう。



私たちは、本当に大切なものを見失わないようにして、

イエス・キリストについて行きましよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿