それで、何事でも、
自分にしてもらいたいことを、
他の人にもそのようにしなさい。
これが、律法であり、預言者です。
マタイの福音書7章12節
日本人は、よくこう言います。
「自分が、他人からされたくないことは他人にはするな。」
「自分がされると嫌なことは自分も他人にはしない。」
これは、否定、否定の教えです。
つまり、自分が嫌なこと、されたくないこと、
という否定的なことは、
他人にもしない、するな、という否定で教えられます。
私たちは、この否定、否定の中で育まれました。
この否定、否定の教えは、マイナスを避ける考え方です。
ですから、失敗をしないように、
できる限りミスをしないようにという考え方になっていきます。
言い換えれば律法的と言いましょうか。
こうしなければいけない、
こうしてはいけないという思いに捉えられていきます。
ところが、聖書は、その逆なのです。
「自分がしてもらいたいことを、他人にもしてあげなさい。」
つまり、肯定、肯定なのです。
自分がしてもらいたいという肯定を、
他人にもしてあげる、他人にもするという肯定なのです。
このように、聖書の教えは、肯定、肯定ですから、
とても積極的になっていきます。
どうしてかというと、
他人にしてもらって嬉しいことは、自分も他人にしてみようと、
とにかく良いことにはチャレンジしてみよう、
という前向きな姿勢になっていきます。
つまり、失敗を恐れずにチャレンジするようになるのです。
そうして自分にしてもらいたいことを積極的に他人にもすることが 、
神さまの教えであり聖書の教え、 つまり律法であり預言者なのです。
そして、それは「愛」でもあります。
私たちが恐れずに、自分がしてもらいたいと思うことを、
他人にも同じようにしてあげること、
他人にもしようとチャレンジしていくことは、「愛」なのです。
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