2016年6月17日金曜日

6/17(金) さばいてはいけません。さばかれないためです。



「さばいてはいけません。さばかれないためです。」
            マタイの福音書7章1節

日本の諺?に、
「人のふり見て我がふり直せ」というのがありますが、
私たちはともすれば、
他人のことをあれこれと悪く言って、
批判したり裁いたりしてしまいます。
でも、そう言って他人のことを悪く言っている当の本人が、
同じことをしていることは、よくあることです。

イエスは言われました。
「裁いてはいけません。」と
それは「裁かれないためです。」と。

さらに
「あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、
 あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです」と。

どうしても、わたしたちは他人には厳しく、自分には甘いものです。
だから、他人の悪いことにはすぐ気がつくのですが、
自分の悪いことには、なかなか気づかないのですね。

イエスは面白いことを言われました。
「また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、
 自分の目の中の梁には気がつかないのですか。
 兄弟に向かって、
 『あなたの目のちりを取らせてください。』
 なとどどうして言うのですか。
 見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。」

梁とは、分かりやすく言うと、
家などの建物の柱のことで、とても太く大きいのです。
つまり、自分の中にある梁、
大きな問題点には気がつかないのに、
他人の中にあるちり、
どんなに小さい問題点でも気がつくというのです。

確かに私たちには、そういう傾向性がありますね。
だから、
「まず、自分の目から梁を取りのけなさい。」とイエスは言われ、
「そうすれば、はっきり見えて、
 兄弟の目からもちりを取り除くことができます。」
と続けて言われました。

まず自分自身の中にある梁、
大きな問題点を神さまに祈り、取りのけてもらいましよう。
自分の中にある大きな欠けと弱さを、
神さまの大きな愛で覆っていただきましょう。

その上で、他人の中にあるちり、
小さな問題に対して、愛をもって助言をし、
小さなかけや弱さを神さまの愛をもって助けてあげましょう。

人の裁きは、神の祝福をもたらしはしません。
裁きは神のものです。

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