2016年5月11日水曜日

5/11(水) イエスも受けられたバプテスマを神様は喜ばれる


また、天からこう告げる声が聞こえた。

「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」

      マタイの福音書 3章17節




イエス・キリストは、

ヨハネからバプテスマを受けるために、

ガリラヤからヨルダンにお着きになり、

ヨハネのところに来られました。



しかしヨハネは、

罪のないお方、

原罪もなく、

一度も罪を犯していないお方であるイエス・キリストに

バプテスマを授けることなど考えられないので、

言いました。


「わたしこそ、

あなたからバプテスマを受けるはずですのに、

あなたが、わたしのところにおいでになるのですか。」



考えてみてください。

バプテスマのヨハネが授けていたバプテスマ=洗礼は、

悔い改めのバプテスマでした。

つまり「罪」を悔い改めて、バプテスマを受けるのです。

しかしイエス・キリストには原罪もなく、

一度も罪を犯したこともないのです。

悔い改めのバプテスマなど受ける必要がありません。

だから、ヨハネはそうさせまいとして言ったのです。



しかし、イエス・キリストは言われました。



「今はそうさせてもらいたい。

 このようにして、

 すべての正しいことを実行するのは、

 わたしたちにふさわしいのです。」



イエス・キリストは、

神であられる方なのに、

私たちと全く同じ人となって、

この地上に来てくださいました。



私たち罪を犯した人間を、

罪から救い、

サタンの支配から再び神さまのご支配の中に入れて、

永遠の命、天国に預かるものとするために、

イエス・キリストは、

私たちと全く同じこの肉体を持つ人間となってくださったのです。



そして私たちが通るべきすべての人生の道を通られたのです。

そのイエス・キリストが言われたのです。



「今はそうさせてもらいたい。」と。



そして、「すべての正しいこと」と。



つまり、バプテスマを受けることは「正しいこと」なので、

罪のないイエス・キリストは受ける必要はないのですが、

私たち罪人である人間が、

本来通るべき道であるバプテスマを、

イエス・キリストは受けられたのです。



そして、

それから公生涯である神の働きに、

入っていかれました。



ですから私たち罪人である人間が、

罪を悔い改めて、

バプテスマを受けることは

「正しいこと」

必要なことなのです。



イエス・キリストに言われて、

ヨハネも承知しました。



こうして、

イエス・キリストは、

バプテスマをヨハネから受けられました。



バプテスマを受けて、

すぐに水から上がられると、

天が開かれて、

神の御霊が鳩のように下って、

イエス・キリストの上に来たのです。



その時、

天からこう告げる声が聞こえてきました。



「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」



イエス・キリストは、神さまの子、神さまの愛された子です。

イエス・キリストを、神さまは喜ばれ、

イエス・キリストがバプテスマを受けられたことを、

神さまは喜ばれました。



あなたも本当は神さまの大切な子です。

あなたが罪を悔い改めて、

イエス・キリストのように、

バプテスマを受けるなら、

あなたにも神さまは語ってくださいます。


「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と。

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