26人の殉教者たちが最後の夜を過ごしたのは、 時津の海の沖でした。
1597年2月4日、
彼杵の海から3隻の船に乗せられ、 後ろ手に縛られた彼らは時津につきます。
しかし、上陸することは許されませんでした。
キリシタンの町だった時津に上陸したら、
キリシタンたちが殉教者たちを奪いにくるかもしれない、
そう思って心配した役人たちは、 彼らが上陸することを恐れて許しませんでした。
そんなテロのようなことはしないのですが・・
役人たちは恐れたのです。
凍てつくような寒い夜を彼らは時津の沖で過ごしました。
後ろ手に縛られたまま、体を寄せ合い、 賛美し祈りながら彼らは過ごしたのです。
その時津で、かつて祈ったことがあります。
「どうして26人の殉教者たちには、 このような信仰が与えられていたのだろう。
あの3人の少年たちの持っていた主への愛と信仰、
そして天国の希望はどこで育まれ培われたのだろうか」と。
私は時津の港をゆっくりと歩きながら、主に祈り主に聞きました。
その時、主は静かに、しかしはっきりと答えられたのです。
「それは家族である。」と。
殉教者たちが育まれた、 彼らの家族には神の愛が注がれていました。
主イエス・キリストへの信仰を中心とした神の愛があつたのです。
それは、
主のために自らの命を捧げて
家族を主に委ねることができるほどの信仰でした。
家族の誰かを失っても、彼らは主を信じ愛し続けました。
彼らは天国で再会できることを知っていたのです。
彼らは、この地上では旅人であり、 寄留者であることを告白し証ししていたのです。
このような信仰の家族がかつて日本にあったのです。
これは驚きであり、希望でもあります。
再び主は、このような家族を、
この終わりの時代に起こしてくださっているのでしょう。
黙示録の時代が近づいている今、
迫害と殉教時代のリバイバルの働きのために、
日本にこのような家族を、 再び建て上げてくださっているのです。