2020年8月31日月曜日

No.61 イエスのことばの権威と力

イエスのことばの権威と力



それから、イエスは百人隊長に言われた。

「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」

ると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。

           マタイの福音書8章13節




しもべの癒しを求めて、
イエスのところにきた百人隊長。
彼は「一言、語ってください。」
とイエスに言葉を求めます。

イエスは、
百人隊長に向かって言われました。

「さぁ、行きなさい。
 あなたの信じたとおりになるように。」

イエスがそう言われると、
ちょうどその時、
百人隊長のしもべはいやされました。

百人隊長の信仰は
イエス・キリストを驚かせました。
そして、その信仰を
イエス・キリストはほめられたのです。

私たちも彼のように、
信仰をほめられる者になりたいものです。

百人隊長は
イエス・キリストの権威を
知っていました。
そして言葉を求めたのです。
わざわざ来て下さらなくても、
ことばを一言頂ければ、
それで、
このしもべは直ると信じたのです。

私たちも
イエス・キリストの権威を信じて、
大胆にキリストとに
「ことば」を求めましょう。

キリストのことばには
権威とは力があります。

キリストのことばは
病気をいやし、悪霊から解放します。

キリストのことばは、
無から有を創造し、
壊れた関係を回復し、

キリストのことばは、
サタンの支配を砕き、
あなたとあなたの愛する者に、
勝利と栄光をもたらします。

イエス・キリストは、
あなたに今日も語ってくださいます。
「あなたの信じたとおりになるように」と。


イエス・キリストは、あなたを愛しておられるからです。

2020年8月30日日曜日

一言でいい。ONLY ONE WORD




ただ、おことばをいただかせてください。

そうすれば、私のしもべは、直りますから。

       マタイの福音書8章8節後半




しもべのために
イエスのもとに
癒しを求めてきた百人隊長。

彼はとても謙遜で、
すぐに来てくださる
と言われたイエスに、
自分にはイエスを家に
お迎えする資格はありません、
と言いました。

しかし、
イエスを屋根の下に
お入れする資格はないと言いましたが、
さらに続けてこう言ったのです。

「ただお言葉をいただかせてください。」

これは、
もう少し原語に近いニュアンスにすると、

「一言でいいのです。
 一言仰ってください。
 そうすれば私のしもべは直りますから。」

と言ったのです。

一言でいい。Only One Word と。
イエス・キリストが一言語られれば、
それで、このしもべは直る
と百人隊長は信じていました。

なぜ、彼はそう信じることができたのでしょう。
続けて百人隊長は、こう言っています。
「と申しますのは、
 私も権威の下にある者ですが、
 私自身の下にも兵士たちがいまして、
 そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、
 別の者に『来い。』と言えば来ます。
 また、しもべに『これをせよ。』と言えば、
 そのとおりにいたします。」

当時のローマの軍隊は最強でした。
強い軍隊の特徴は
秩序がしっかりしていて、
命令が通るのです。

百人隊長は百人の部下がいましたが、
その部下に『行け』と言えば行くし、
『来い。』と言えば来る、
さすがはローマの軍隊です。

私でさえ、そうなのだから、
ましてイエス様、
あなたには権威がある。
病気であろうと、
悪霊であろうと、
自然であろうと、
その法則であろうと、
イエス様、あなたが一言、仰っれば、
一言命令してくだされば、
私のしもべは直るのです。
そう百人隊長は信じていたのです。

確かに
イエス・キリストには
権威があります。

天においても地においても、
いっさいの権威が
イエス・キリストにはあるのです。

この地上で
イエス・キリストの権威に
従わないものはないのです。

百人隊長は異邦人でしたが、
それを知っていました。
そして、信じていたのです。

イエスは、これを聞いて驚かれて、
ついてきた人たちに、こう言われました。
「まことに、あなたがたに告げます。
 わたしはイスラエルのうちのだれにも、
 このような信仰を見たことがありません。」と。

百人隊長は
イエスから願った通りに言葉をいただき、
しもべはいやされます。

あなたもイエスにことばを求めましょう。
信じて求めましょう。

一言でいいのです。
イエスが一言語られれば、必ずそうなりますと。
信じて求めましょう。

必ずイエスは語ってくださり、
そのことば通りに癒し奇跡を行われます。

イエス・キリストは、あなたを愛しておられるからです。

2020年8月29日土曜日

No.59 へりくだる者に応えてくださるイエス

へりくだる者に応えてくださるイエス





主よ。

あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、

私にはありません。

      マタイの福音書8章8節前半




イエスが、
カペナウムに帰ってこられると
一人の百人隊長が、
イエスのみもとにやって来て、
懇願して言いました。

「主よ。
 私のしもべが中風やみで、
 家に寝ていて、
 ひどく苦しんでおります。」

しもべというのは奴隷です。
この百人隊長は、
自分の奴隷のためにわざわざ
イエス・キリストのところに来て、
直してくださいと懇願したのです。
この奴隷の青年を、
我が子のように
大切に思っていたのでしょう。

イエスはすぐに答えて言われます。
「行って、直してあげよう。」
イエス・キリストは
異邦人である百人隊長の願いに、
すぐに答えられました。

ところが、百人隊長は
「主よ。あなたを
 私の屋根の下にお入れする資格は、
 私にはありません。
 ただおことばをいただかせてください。
 そうすれば、
 私のしもべは直りますから」
と答えました。

この百人隊長は、
「とても自分の家の屋根の下に、
 イエス・キリストを
 お入れする資格はありません。」
と言っています。

百人隊長はローマ兵、
ローマの軍人でした。
つまり異邦人です。
彼は異邦人である自分には
その資格はないと言ったのです。

当時は、
ローマが
イスラエルを支配していました。
ローマの方が
イスラエルより
強く力を持っていたのです。
しかし、
このローマ兵は、
異邦人である自分は、
聖書から言えば、本来、
イエスをお迎えする資格はないと
知っていたのです。

この百人隊長は謙遜でした。
本当にへりくだった人だったのです。

百人隊長は、
イエスからことばを頂き、
しもべはいやされます。

主イエスは
へりくだった者の願いを
退けられません。
答えてくださるのです。

私たちも身を低くして、
大胆に
主イエスに求め願いましょう。
主イエス・リストは、
答えてくださいます。

イエス・キリストは、あなたを愛しておられるからです。

2020年8月28日金曜日

らい病に触れ、らい病のまま愛されたイエス




イエスは深くあわれみ、

手を伸ばして、彼にさわって言われた。

「わたしの心だ。きよくなれ。」


         マルコの福音書1章41節




らい病の人がイエスのもとに来た時、
そのらい病の人に手を伸ばし、
彼にさわり
「わたしの心だ。きよくなれ。」
と言われました。

らい病の人にふれると
ふれた人も汚れると
当時は言われていました。

しかしイエスは、
このらい病に触れられました。

それは、
このらい病の人の真剣さ、必死さ、
そして何よりも、その信仰を見て、
心の深いところから
あわれみが湧き上がってきたからです。

この深く憐れんでというのは、
言語では内臓を引きちぎるような
感情を意味します。

ですから、イエスは本当に、
このらい病人の眼差しを見、
叫びを聞いたとき、
心が沸き立って
放って置けなくなったのでしょう。

思わずも手を伸ばし、
らい病の彼にさわり、そして言われました。

「わたしの心だ。きよくなれ。」と。

イエス・キリストは、
彼に触らなくても、
「わたしの心だ。きよくなれ。」
と言えば直せたのです。
別に触る必要はなかったのです。
でもイエスは触られました

きよくなる前に、
らい病のままの彼に触られました。
「あなたは、そのらいのままで、
 わたしは愛している。
 きよめられて、らいがなくなったら、
 愛するのではなく、
 らいのある今のままで、
 わたしはあなたを愛している。」

そう言われたかったのでしょう。
らい病の人は嬉しかったと思います。
家族でさえ、
触れてはいけないと引き離されていたのに、
イエスは、このらい病の人にさわり、
それから「わたしの心だ。きよくなれ。」
と言われたのです。

イエスが、そう言われた瞬間、
この人のらいはきよめられ、癒されるのです。

イエスは、癒された彼に言われます。
「気をつけて、
 だれにも話さないようにしなさい。
 ただ、人々へのあかしのために、
 行って、自分を祭司に見せなさい。」と。

らい病がきよめられて
直ったことを宣告するのは、
祭司の仕事でした。

「その祭司に見せなさい。」
と言われたのは、
きちんと正しい手続きを踏んで、
正式に清められ、
癒されたことを認めてもらい、
社会復帰するように言われたのです。

イエスは、
このらい病の人をきよめ、
いやして家族の元へ、
社会へ復帰させたのです。

同じように主は、あなたが、
どのような弱さの中にあっても、
たとえ罪の中にあっても、
あなたが
「きっとイエスは赦してくださり、
 いやしてくださる。」
と信じてイエスのみ元にやって来るならば、
主イエスは、その叫びに答えて、
必ずきよめて、いやしてくださるのです。

そして、あなたを家族の所へ、
社会へと戻してくださるのです。

イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2020年8月27日木曜日

No 47 一番良い最高のものを備えてくださる神

キリストのもとに来てなおったらい病

8月27日(木) キリストのもとに来てなおったらい病

「主よ。お心一つで、

 私をきよめることがおできになります。」

         マタイの福音書8章2節



イエスが、
山上での説教を終えて山を降りて来られると、
多くの群衆がイエスについてきました。
イエスから離れたくなかったのでしょう。

そこへ、
ひとりのらい病人がやってきました。
らい病というのは体が腐ってくる病気です。

当時、らい病は、
肉体的にも宗教的にも汚れているとされ、
社会から隔離され、
家族から引き離されて、
らいの谷という所で
住まなければなりませんでした。

もし、誰かが、らい病の人に触れると、
その触れた人も汚れると言われていました。

らい病の人が、
どうしても人々のいるところに
来なければならない時は、
体を衣で隠し
「私はらいです。私はらいです」
と叫びながら歩かねばなりませんでした。

この時、
イエス・キリストの周りには、
たくさんの群衆がいました。

それにもかかわらず、
このらい病の人は、
イエスのところに来ました。

それは、
イエスのところに行けば、
必ずきよめて直して下さる、
と心から信じて期待していたからです。

彼はイエスのみもとに来て、
ひれ伏して言います。

「主よ。お心一つで、
 私をきよめることがおできになります。」

この「ひれ伏して」というのは、
「拝んで」と訳せることばで、
礼拝を意味します。
ユダヤ人であった彼にとって、
礼拝する方は唯一の神しかいません。
ということは、
彼はイエス・キリストが
神であると信じていたのです。

つまり、イエス・キリストこそが、
メシアなる救い主であると信じて、
イエスのみもとに来たのです。

そして、イエスを礼拝しました。
必ずイエスが
自分のらい病をきよめて下さる、
いやして下さると信じて期待して、
礼拝したのです。

「主であるイエスさま、あなたには
 私をきよめることができます。
 あなたが御心としてくだされば、
 私のらい病はきよめられるのです。」

彼は信じていました。
イエス・キリストは汚れた病である
らい病になってしまった自分を、
必ずきよめることを、
御心として下さると、信じていました。

イエス・キリストは裁くためにではなく、
救うために来てくださった、
責めるためにではなく、
赦すために来てくださったことを、
信じて知っていたのです。

「主イエスさま、あなたは、
 私をきよめることを御心としてくださいます」

心の中でそう叫びながら、
イエスのみもとにひれ伏し、叫んだのです。

イエスは
すぐに手を伸ばして、彼にさわり、
「わたしの心だ。きよくなれ。」
と言われました。

すると、
すぐに彼のらい病はきよめられ、
いやされたのです。

あなたもイエスのもとに来てください。
もう治らないと言われた病気でも、
どんな困難や問題があったとしても、
イエス・キリストのもとに来て、
ひれ伏し礼拝する時、
イエスは、すぐに手を伸ばして
病気を直し、
問題を解決してくださいます。

イエス・キリストは、あなたを愛しておられるからです。

2020年8月26日水曜日

No.55 倒れることのない土台

倒れることのない土台

8月26日(水) 倒れることのない土台

雨が降って洪水が押し寄せ、

風が吹いてその家に打ちつけたが、

それでも倒れませんでした。

の上に建てられていたからです。

     マタイの福音書7章25節



イエス・キリストは、
山上の説教の最後に、
岩の上に家を建てた賢い人と
砂の上に家を建てた愚かな人のことを
話されました。

「わたしのこれらのことばを聞いて、
 それを行う者はみな、
 岩の上に家を建てた賢い人に比べることができる。」

つまり、
イエス・キリストのことばを聞いて、
心から受け入れ信じた人は、
そのことばを行う、
イエスの語られたことばに
従って生きるようになります。

岩の上に建てた家は、
堅い岩が土台なので、
雨が降って洪水が押し寄せ、
風が吹いてその家に打ち付けても
決して倒れません。

それと同じように、
イエスのことば、
神の言葉を土台にしているならば、
どのような試練や問題という
洪水が押し寄せ風が吹いて嵐になっても、
私たちは決して倒されることはないのです。

なぜなら、
堅い神の言葉が土台だからです。

一方、
イエス・キリストのことばを聞いても、
それを信じず、受け入れないで、
行わない、つまり従わないでいるなら、
砂の上に家を建てた愚かな人のように、
雨が降って洪水が押し寄せ、
風が吹いてその家に打ち付けると、
倒れてしまうのです。
しかもひどい倒れ方をするのです。

人生の歩みの中で、
試練や困難という雨が降り洪水になり、
問題や混乱という風が吹き嵐になる時、
私たちは立っていられなくなり
倒されてしまいます。

それは神の言葉である
イエスの語られたことばを聞いても行わない、
つまり信じないで従わなかったからです。

私たちは、
イエスの語られていることばに耳を傾け、
そのことばを信じて従う時、
豊かな恵みを受け、
どのような試練や問題、困難の中にあっても、
必ず勝利と祝福を受けるのです。

しかし、
神のことばを信じず、
蔑(さげす)み、従わないでいるなら、
神の用意された祝福と勝利を
受けることなく、
困難や問題が許される時、
その苦しみの中に飲み込まれてしまうのです。

イエス・キリストが語られた
神の言葉に心をとめ、
信じて従って行きましょう。

その時、
どのような困難や問題が許されても、
神は、必ずあなたに勝利と祝福を
豊かに与えてくださいます。

イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2020年8月25日火曜日

NO 54 天国に誰が行く

天国に誰が行く




わたしに向かって、

『主よ、主よ。』と言う者が

みな天の御国にはいるのではなく、

天におられるわたしの父の

みこころを行なう者がはいるのです。


     マタイの福音書7章21節




イエス・キリストは、言われました。
わたしに向かって、
『主よ、主よ。』と言ったからといって、
天の御国に入れるわけではないと。

これはどういうことでしょうか。
『主よ』と祈っても無駄なのでしょうか。
もちろん、そういうことではありません。
イエスは続けて、こう言われました。
「わたしの父のみこころを行う者が入るのです。」

では、御心を行わないと
天の御国には入れないのでしょうか。
もし、御心を
間違えてしまったらどうなるのでしょう。

真面目に誠実に歩んでいるクリスチャンほど、
自分は御心を行っているだろうかと
不安になってしまうかもしれません。

実は、この後、
イエスが言われた話にポイントがあります。

「その日には、
 大ぜいの者がわたしに言うでしよう。
『主よ、主よ。
 私たちはあなたの名によって預言をし、
 あなたの名によって悪霊を追い出し、
 あなたの名によって
 奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』
 しかし、その時、
 わたしは彼らにこう宣告します。
『わたしはあなたがたを全然知らない。
 不法をなす者ども。
 わたしから離れて行け。』」

イエス・キリストの名によって、
預言をし、悪霊を追い出し、
奇蹟を行ったと言った人に、
「わたしはあなたがたを全然知らない」
と答えられました。
これは普通ありえない答えです。
私のこどもが
私のところに来た時、
全然知らないとは言いません。

我が子を、叱ったり
戒めたりすることはあるでしょう。
しかし、全然知らないとは言いません。

つまり、この人たちは、
イエス・キリストの名を使っていても
キリストを信じてはいない人たちなのです。

だからイエス・キリストは、
『全然知らない。』と言われ、
奇蹟や悪霊追い出しをしたのに、
『不法をなす者ども。
 わたしから離れていけ。』
と言われたのです。

つまり、
キリストを信じていないので、
当然『主よ。』と祈っていても、
それは、本当の主である
イエス・キリストには向かってはいないのです。

ですから当然、
主の御心がわかりませんし、
主のみこころを行うことはできないのです。

イエス・キリストを信じている私たちは、
『主よ。』と祈る時、
主イエスに心を向けて祈ります。

そして主から語りかけを受け、
主の言葉を頂くのです。

もちろん、
すぐには従えないこともあるでしょう。
でも主にすがりながら、
主の導きに従って行く時、
私たちは、主の御心の中を歩めるのです。
主の恵みによって、
主のみこころを行わせていただくのです。

私たちは天の御国に入ることができます。
イエス・キリストを信じているからです。

私たちの内に御霊が住まわれているので、
主の御心を行わせてくださるのです。

イエス・キリストは、あなたを愛しておられます。

2020年8月24日月曜日

見分ける




 あなたがたは、実によって

彼らを見分けることができるのです。

       マタイの福音書7章20節




イエス・キリストは、
見分けについても語られました。

「にせ預言者たちに気をつけなさい。
 彼らは羊の形をしてやってくるが、
 うちは貪欲な狼です。」

偽預言者に気をつけなさい
とイエスは言われましたが、
どうすれば、
偽預言者を見分けることができるのでしよう。
イエスは続けて言われました。

「あなたがたは、実によって
 彼らを見分けることができます。
 ぶどうは、いちじくからは取れないし、
 いちじくは、
 あざみから取れるわけがないでしよう。」

実を見ればわかると言われたのです。

「同様に、
 良い木はみな良い実を結ぶが、
 悪い木は悪い実を結びます。
 良い木が悪い実を
 ならせることはできないし、
 悪い木が良い実を
 ならせることもできません。」

その実を見れば、良い木なのか、
悪い木なのかがわかるように、
偽預言者かどうかも、
実を見ればわかるのです。

でも、
注意しないといけないことがあります。
それは、本物の預言者でも、
まだ信仰生活の成長の過程の段階では、
聖霊の実が十分についていないように
見える時があります。

それを見て、
すぐににせ預言者だというのは間違いです。

特に、感受性が豊かで、
目に見えない霊的な世界に対しても
敏感に反応しやすい人が、
成長の過程で、
信仰の浮き沈みが激しく、
感情の安定に欠く時があります。

それを見てすぐに、
実がついていないから、
偽預言者だというわけではありません。
ここでイエスが言われたかったのは、
このあとイエスが言われていますが、
にせ預言者には、
神を信じていれば、
当然ついてくる実がついていない、
つまり、
にせ預言者は救われていない、
イエス・キリストを、
本当は信じていない偽りの預言者なのです。

私たちは、
主イエスに祈り、聖霊の助けをいただいて、
偽預言者を正しく見分け、
真の預言者をとうして
神からの預言、
神の言葉を受けていきましょう。

神は必ず見分けさせてくださり、
神のことばを語ってくださいます。


イエス・キリストは、あなたを愛しておられます。

2020年8月23日日曜日

狭い門から天国へ




狭い門からはいりなさい。

    マタイの福音書7章13節




イエスが言われた
「狭い門からはいりなさい。」
という御言葉は、
フランスのアンドレ・ジイドが
小説の題にした有名な言葉です。

でも、
この御言葉を正しく理解している人は
多くはないような気がします。

「狭い門から入りなさい」とは、
どういう意味なのでしょうか。

「狭い門」とは「天国への門」のことです。

罪を持ったまま、
自分のやりたいようにしようとする
肉の欲望を持ったままでは、
この天国への狭い門には
入ることが出来ません。

その一方で、滅びの門、
つまり地獄への門は大きくて、
その道も広いのです。

罪を持ったまま、
自分のやりたいことを欲望のままに
好き勝手にしながらでも
十分に入ることができるのです。
そこを通っていく人はたくさんいます。

しかし「狭い門」である
「天国への門」を通っていく人は
まれにしかいません。

どうすれば
この「狭い門」から入って
天国へ行けるのでしょう。

それは
「永遠のいのち」を受けることです。

イエス・キリストの
十字架を信じるとき、
復活の命、永遠のいのちが与えられます。

自分の中に罪があり、
自分のしたいようにしたいという
欲望があることを認めて、
神の前で、十字架の前で、
悔い改めるのです。

その時、
罪が赦され、罪の縛りから解放されて、
狭い門から入ることが
できるようになります。

イエス・キリストの赦しと
復活の命をいただき、
「永遠のいのち」が与えられます。

狭い門から入りましょう。
天国が待っています。


イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2020年8月22日土曜日

No.51 失敗を恐れないで愛する

失敗を恐れないで愛する




それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、

ほかの人にもそのようにしなさい。

これが律法であり預言者です。

     マタイの福音書7章12節




子どもの頃、
先生に当てられて間違えると
恥ずかしく思いました。
間違えたらいけないという思いが
いつもあったからです。

多くの日本人は
「他人からされたくないことは、
 あなたも他人にはしてはいけません」
「自分がされて嫌なことは、
 あなたも人にはしないこと」
と言われて育ちました。

されて嫌なことはするな。
これは否定、否定の教えです。
されたくないこと、嫌なこと、
という否定的なことは、
自分も他人にしないという
否定で教えられてきました。

多くの日本人が
この否定、否定の教えの中で育まれました。

これはマイナス、失敗を避ける考え方です。
こういうふうに育つと、
できる限りミスをしないように、
失敗しないようにという
考え方になっていきます。

これは言い換えれば律法的、
こうしてはいけない、
こうしなければいけない、
という思いに支配されてしまいます。

私は、
それで間違えると恥ずかしい思いになり、
いつも間違えてはいけないと
思っていたのでしよう。

でも聖書は、全くその逆なのです。

何事でも、
 自分にしてもらいたいことは、
 ほかの人にもそのようにしなさい。」

つまり、肯定、肯定なのです。
自分にしてもらいたいという肯定を、
ほかの人にもそのようにする
という肯定なのです。

このように聖書の教えは、
肯定、肯定ですから、
とても積極的になって行きます。

他の人にしてもらって嬉しかったことは、
自分も他の人にしてみようと前向きになり、
とにかく失敗を恐れずに良いことに
チャレンジするようになるのです。

自分にしてもらいたいことを
積極的に他人にもすることが、
神の教え、
つまり「これが律法であり預言者です。」

そしてそれは
イエスが示してくださった
「愛」と同じなのです。

イエス・キリストに従って、
恐れないで、
自分がしてもらいたいと思うことを
他の人にも同じようにすることに
チャレンジしていきましよう。

イエス・キリストの「愛」を示すために。
必ず主イエスは助けてくださり、
その愛を与えてくださいます。


イエス・キリストはあなたを愛しておられるからです。

2020年8月21日金曜日

No. 50 必ず答えてくださる神

必ず答えてくださる神

8月21日(金) 必ず答えてくださる神

求めなさい。そうすれば与えられます。

       マタイの福音書7章7節



友人の父が癌と言われた時、
友人は妻と共に毎日、
父が癒されるように、
癌が消えてなくなるように祈ったそうです。

ある日、聖書を読んでいると
「あなたの祈りを聞いた。
 涙も見た。もう15年を加えよう」
という言葉が心に響いてきたそうです。

その時から父の癌は癒されて行ったのです。
そして15年以上生きて
天国に帰って行きました。

祈りは聞かれたのです。
求めた時、答えられました。

あなたも父なる神に
イエス・キリストの名によって、
求めてください。

遠慮しないで、
厚かましいぐらい大胆に、求めましょう。
素直に、あなたの願いを
主イエス・キリストに求め、
神の愛の奇跡を見せていただきましよう。

イエス・キリストの名によって祈る時、
神は必ず答えてくださいます。

もしかしたら、
すぐに答えられない時があるかもしれません。
でもあきらめないでください。

この「求めなさい」という言葉は
原語のギリシァ語では
「求め続けなさい」という
継続を表す言葉です。

答えられるまで「求め続けましょう」
必ず神は答えてくださるので、
信じて求め続けましょう。

忍耐を働かせて求め続けるのです。
1日、1週間、1か月、1年、10年、
神は一番最善な時に答えてくださいます。


イエス・キリストはあなたを愛しておられるからです。

2020年8月20日木曜日

No.49 聖なるもの

聖なるもの




聖なるものを犬に与えてはいけません。

また豚の前に、真珠を投げてはなりません。

それを足で踏みにじり、

向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。

           マタイの福音書7章6節




「猫に小判」と言う言葉がありますが、
それと同じような言葉が聖書にあるのです。
イエスが言われた言葉です。

「聖なるものを犬に与えてはいけません。」

聖なるものであっても、
犬にとっては聖なるものではないのです。
犬には
役に立たない価値のないものなのです。

ですから、
犬に聖なるものを与えても、
それは生かされません。

同じように、
豚の前に真珠を投げても、
真珠は価値ないものとして、
踏みにじられてしまうのです。

しかし、
真珠をアクセサリーとして
ふさわしい場所につけていけば、
それは価値あるものとして
生かされます。

私たちは、
聖なるものを、
聖なる神のものとして、
正しく生かされ用いられるところ、
つまり
主イエス・キリストが導かれ
示されるところに与えるなら、
神がその聖なるものを用いて
神の栄光を現し
祝福してくださいます。


イエス・キリストはあなたを愛しておられます。