2020年7月31日金曜日

No.29‬‪ やり返さず、 ‬‪左の頬も向ける本当の強さ!‬

やり返さず、 左の頬も向ける本当の強さ!




あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。

           マタイの福音書5章39節




「右の頬打たれたら、左の頬向けなさい。」

これは、有名なイエス・キリストの言葉です。
そして、とても誤解されている言葉です。

高校生の頃、漫画を見ていると、
イエス・キリストが白い衣を着て、
右の頬を打たれて倒れ、
弱々しく左の頬もむけて、
こちらも打ってください
というふうに描かれていました。

おそらく、
これが多くの日本人が持っているキリスト教、
イエス・キリストに対する
イメージなのだと思います。
どこか弱々しくて女性的なイメージです。

でも、これは100%間違っています。
全くの見当外れなのです。

人間というのは罪深い者で、
右の頬を打たれたら、
相手の右の頬も左の頬も打ち返し、
ひどい場合は
相手が倒れて気絶するまで
打つ人もいるのではないでしょうか。

旧約聖書では
「目には目、葉には歯」
と神は語られていますが、
これは
やられたらやり返せという意味ではなく、
それ以上はしてはいけない、
つまり、右の頬を打たれたら、
右の頬を打ち返す以上は
してはいけないということなのです。

しかし、イエス・キリストは、
全く違うことを言われました。

「右の頬を打たれたら、左の頬もむけなさい」と。

これは弱々しい女々しい態度ではありません。
右の頬を打たれたら、
しっかり相手を見て、左の頬を向けて
「気がすむまで打つがいい」
と相手に向かって言うことです。

これは、本当の強さです。
弱々しさではありません。

イエス・キリストを信じる者には、
このように本当の強さが与えられるのです。

でも実際には、
このようなことは、人の力では出来ません。

私たちがイエス・キリストにより頼む時、
聖霊様の力が注がれて、
左の頬を向けることが出来るようになるのです。

私たちにも、本当の強さが与えられるのです。

イエスは、さらにこう言われました。
「あなたを告訴して
 下着を取ろうとする者には、
 上着もやりなさい。
 あなたに
 一ミリオン行けと強いるような者とは、
 いっしょに二ミリオン行きなさい。」と。

下着を取ろうとする者には、
怒らずに上着もあげなさい。
一ミリオン行けと強いる者とは、
つぶやかずに、
いっしょに二ミリオン行ってあげなさい。
そうイエスは言われたのです。

そして続けて、
まるで結論のように、こう言われました。

「求める者には与え、
 借りようとする者は断らないようにしなさい。」

イエス・キリストは、
本当の強さを語られたのです。

でも、これは簡単にはできません。
実際に行おうとすると、
難しくて、なかなか出来ないのです。

でも、イエス・キリストに祈り、
聖霊様の助けがあるならば出来ます。

あなたもチャレンジしてみてください。

本気になって、
右の頬を打ち返す、やり返す人生から、
左の頬を向ける人生、
つまり本当の強さを持って
積極的に愛する人生に、
挑戦してみてください。

本気でチャレンジすれば気づくはずです。
人には出来ないということを。
そして、
イエス・キリストを求め始めることでしょう。

そして、
イエス・キリストには
おできになることを知り、
キリストを信じる者にも、
その力が与えられることを知って、
感動されることでしょう。

イエス・キリストは、あなたを愛しておられます。

2020年7月30日木曜日

‪No.28‬ ‪仲直りする‬

仲直りする




まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。

       マタイの福音書5章24節




イエスは、こう言われました。

「昔の人々に『人を殺してはならない。
 人を殺す者は裁きを受けなければならない。』
 と言われたのをあなたがたは聞いています。
 しかし、私はあなたがたに言います。
 兄弟に向かって腹を立てる者は、
 だれでもさばきを受けなければなりません。
 兄弟に向かって『能無し』と言うような者は、
 最高議会に引き渡されます。
 また、『ばか者』と言うような者は
 燃えるゲヘナに投げ込まれます。」

実際に人を殺さなくても、
心の中で腹を立て、
『能無し』とか『ばか者』と
相手を罵(ののし)り、嘲(あざけ)るなら、
そのこと自体が罪なのです、
とイエスは教えられたのです。

そしてその罪は、
実際に人を殺すことはしなくても、
神様の前で裁かれ、ゲヘナ、
わかりやすく言えば地獄に
落とされてしまいます。
と警告されたのです。

 人を殺したことのある人は、
平和な今の時代には、
ほとんどいないと思います。

でも、
人に腹を立て、
ばかにしたり、
嘲ったりしたことは
あるのではないでしょうか

私たちはこのままでは、
決して天の御国に入ることは
できない存在、罪人なのです。

イエスは続けて言われました。

 「だから、祭壇に供え物を
 捧げようとしているとき、
 もし兄弟に恨まれていることを
 そこで思い出したなら、
 供え物はそこに、
 祭壇の前に置いたままにして、
 出て行って、
 まずあなたの兄弟と仲直りしなさい。
 それから来て、
 その供え物をささげなさい。」と。

供え物をささげるより、
まず恨まれている兄弟と
仲直りをしなさいと言われました。

もちろん、
自分が恨んでいる兄弟がいるなら、
その兄弟を赦して、
仲直りしなさいと言われているのです。

イエス・キリストを
信じて生きるというのは、
難しい真理を解明することではなく、
実際に生活している職場や学校、
家庭や地域という現場で、
日々起こってくる
色んないさかいや問題の中で、
イエス・キリストの恵みを受け、
イエス・キリストの愛の中で、
お互いに赦し合いながら、
ともに和解しあって、
仲良く暮らし、
生活していくことなのです。

そしてそれには、
イエス・キリストの助け、
神の霊である聖霊の力が必要なのです。

イエスはさらに、こう続けられました。

 「あなたを告訴する者とは、
 あなたが彼といっしょに
 途中にある間に
 早く仲良くなりなさい。
 そうでないと、告訴する者は、
 あなたを裁判官に引き渡し、
 裁判官は下役に引き渡して、
 あなたはついに
 牢に入れられることになります。
 まことにあなたに告げます。
 あなたは最後の一コドラントを払うまでは、
 そこから出ては来られません。」と。

誰かに訴えられたなら、
その人に告訴される前に、
とにかく早く仲良くなりなさい。
と言われています。

 イエス・キリストは、
自分が赦すことと同時に、
自分が誰かに対して罪を犯し、
失礼をした場合には、
きちんとあやまり、謝罪して、
自分も相手から赦されて、和解して、
仲良くなることを言われているのです。

赦しあうこと、
和解すること、
そして仲良くすること、

人が集まると、
必ずぶつかりや軋轢(あつれき)が生じます。
親しい人であればなおさら、
気を許して言いたいことを言ったり、
甘えが出て失礼な態度を
とってしまったりすることもあるでしょう。

私たちは弱い罪人なのです。
でも、だからこそ、
互いに赦し合い、和解して、
仲良く暮らし生活していくことが、
とても大切なのです。

そして、それは
私たちの自分の力でするには
限界があります。

だからこそ、
イエス・キリストを信じ、
十字架で赦しを与え
和解を与えてくださった
このイエス・キリストの恵みと愛の中で、
聖霊様の力をいただいて、
赦し、赦され、和解して、
仲良く暮らしていきましょう。

 夫婦が赦し合い、
親子が和解し、
家族が一つになって仲良く暮らす。

 職場で同僚と赦し合い、
上司や部下と和解し、
本当に良い仕事をするために、
仲の良い明るい職場になる。

学校でクラスメートや友達と仲直りし、
先生と和解し、
みんないっしょに仲良く勉強し、
いっしょに遊ぶ。

イエス・キリストは、
私たちの生活の現場に
本当の幸せ、
赦しと和解、
そして仲良く共に生きることを
与えてくださるのです。

イエス・キリストは、あ

2020年7月29日水曜日

‪No.27‬ ‪キリストが成就してくださる!‬

キリストが成就してくださる!




まことに、あなたがたに告げます。

天地が滅びうせない限り、

律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。

全部が成就されます。

                              マタイの福音書5章17・18節




イエス・キリストは、
人が救われるのは、律法によってではなく、信仰によって救われると語られました。

律法は、とても大切です。律法がなければ、人は罪がわかりません。律法は必要なのです。

しかし、律法を完全に守ることは
人間にはできません。どんなに誠実な人でも、ある程度しか守れないでしょう。もし仮に、ほとんど守る人がいたとしても、やはり完全に守り通すことは無理なのです。

人は罪人だからです。

律法を守れない人間は、
本来、天国には行けないのです。



しかし、
神のひとり子であるイエス・キリストが、
人となって来てくださり、
人として律法の全てを、
完全に全うして生きてくださったのです。
そして
私たちの罪の身代わりとなって、
十字架で
私たち人間の犯した全ての罪の代価を、
その命によって、支払って下さったのです。

律法は狭く言えば、
モーセの十戒ですが、
広く言えば聖書です。

聖書の原語は、
新訳聖書はギリシャ語で書かれていますが、
旧約はヘブル語で書かれています。
ヘブル語というのは、
一点一画が違うと、全く違うことばと意味になります。

 「律法の中の一点一画でも
 決してすたれることはありません。
 全部が成就します。」

とイエスは言われました。
つまり神の言葉である聖書は、
一点一画として、
永遠に変わることはない真理の書であり、
神の言葉なのです。

 だから、
この聖書の教えである戒めの
どんな小さいものの一つでも、
これを破ったり、
また、
破るように人に教えたりする者は、
天の御国で、
最も小さい者と呼ばれるのです。

しかし一方で、
この聖書の教えを守り、
また人に守るようにと教え導く者は、
天の御国で、
偉大な者と呼ばれるのです。

当時、律法学者やパリサイ人は、
最も律法を守ろうとする人たちでした。

でも、
「もしあなたがたの義が、
 その律法学者やパリサイ人の義に
 まさるものでないなら、
 天の御国には入れません。」
とイエスは言われました。

律法学者やパリサイ人にまさる義、
人が肉で義を行おとするなら、
つまり
律法を自分の力で完全に守ろうとするなら、
それは不可能です。

 パリサイ人にまさることも難しいでしょう。
では、どうすればいいのでしょうか。

イエス・キリストは律法を全うし、
義において完全なる人でした。

このイエス・キリストを信じて、
自分の罪を悔い改める時に、
私たちは罪を赦され、
キリストの義をいただいて、
義において完全なる者、
つまり一度も罪を犯したことのない者
と見ていただけるのです。

そして天の御国に行くことができるのです。

イエス・キリストを信じる時、
あなたの義も、
私の義も完全なものとなり、
律法学者やパリサイ人にもまさる義となって、
必ず、天国に行くことができるのです。

イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2020年7月28日火曜日

‪No.25‬ ‪地の塩となるために‬

あなたも私も世界の光!!!




あなたがたは、世界の光です。

山の上にある町は隠れる事ができません。


       マタイの福音書5章14




イエスはさらに言われました。

「あなたがたは、世界の光です。
 山の上にある町は隠れる事が出来ません。」と。

イエス・キリストを信じた時、
あなたも私も世界の光となりました。
光であるキリストが
あなたと私の内に住まわれたからです。

だから頑張って
世界の光になる必要はありません。
もう「世界の光」になっているのです。

 男性の人は頑張らなくても男性です。
日本人の私たちは、
普通にしていても日本人です。

イエス・キリストを信じた時、
私たちの内にキリストが住まわれたので、
私たちは「世界の光」となったのです。

ですから、もう頑張らなくても、
普通にしていれば「世界の光」なのです。

イエスは、さらに続けて
次のように語られました。

「あかりをつけて、
 それを枡の下に置く者はありません。
 燭台の上に置くでしょう。
 そうすれば、
 家にいる人々全部を
 照らすことができるからです。
 同じように、
 あなた方の光を人々の前で輝かせなさい。」と。
 
あなたがたの光を
人の前で輝かせるには
どうすればいいのでしょうか。

それは
「人々があなた方の良い行いを見て、
 天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」
とイエスは言われました。

つまり「良い行い」をすることです。
良い行いをすることは
そんなに簡単なことではありません。
正直に言って
私は全然自信がありません。

イエス・キリストは
私たちにできないことを言われたのでしょうか。
それとも、
頑張って良い行いをするように
努力しなければいけないのでしょうか。

イエス・キリストを信じた時、
私たちの内には
イエス・キリストが住んでくださいました。
このことを「キリストの内住」と言います。

その内住しておられるキリストが
私たちを通して「良い行い」を
なしてくださると聖書は語ります。

これは福音です。
希望です。

そのことを信じるなら、
私たちの内に住み、
私たちと共に歩いてくださるキリストが、
聖霊を通して、
私たちを良い行いへと導いてくださるのです。

信じることが鍵です。
だから、キリストを信じて、信頼し、
聖霊様の導きに従って歩んでいきましょう。

その時、
燭台の上に置いてあるあかりが
家にいるすべての人を照らすように、
私たちの内に住まわれるキリストが
私たちに「良い行い」をさせてくださり、
人々は、そのキリストの光に照らされて
天におられる私たちの神さま、
真の神さまをあがめるようになるのです。

なんという恵み、素晴らしい祝福でしょう。


イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2020年7月27日月曜日

地の塩となるために




あなたがたは、地の塩です。

 もし塩が塩けをなくしたら、

  何によって塩けをつけるのでしょう。

もう何の役にも立たず、外に捨てられて、

    人々に踏みつけられるだけです。


       マタイの福音書5章13節




イエスは言われました。

「あなたがたは地の塩です。
 もし塩が塩気をなくしたら、
 何によって塩気をつけるのでしょう。
 もう何の役にも立たず、外に捨てられて、
 人々に踏みつけられるだけです。」と。

確かに塩気をなくした塩は、
もう何の役にも立ちません。
外に捨てられてしまいます。

あなたがた、
つまりイエス・キリストを信じた者は、
地の塩なのです。

とはいえ、自分を見てみると、
自分のうちに塩気があるとは思えません。

でも、イエス・キリストが、
信じるその人のうちに住まわれるので、
私も地の塩となるのです。

なんという恵みでしょう。

イエス・キリストとともに歩む時、
私たちは塩気のある人生を
歩むことかできます。
そして多くの人に主イエスの祝福を流し、
祝福の基となれるのです。

イエス・キリストと共に歩まず、
主の道とは異なる自分勝手な道に行くなら、
私たちも塩気をなくした塩になってしまいます。

私たちが、
心の内側から聞こえてくる
イエス・キリストの声を無視して生きる時、
神さまの言葉よりも、
自分の考えを大切にして歩む時、
私たちは、塩気をなくしてしまいます。

主イエスに祈り、
聖霊に助けていただいて、
いつも主イエスの声に従って、
主イエス・キリストと共に
歩めるようにしていただきましょう。


イエス・キリストは、
私たちを見捨てたり、見放したりする事は、
決してありません。

あなたも私も
イエス・キリストが共におられるので、
地の塩です。


イエス・キリストはあなたを愛しておられます。

2020年7月26日日曜日

天の確かな報い




義のために迫害されている者は幸いです。

 天の御国はその人のものだからです。


         マタイの福音書5章10節




義のために迫害されるというのは、
日本人にはわかりにくいかもしれません。

正義を通すこともりも
「和を持って尊しとする」文化だからです。

正義、つまり正しい、
義である方は「イエス・キリスト」です。
義であるキリストのために
迫害をされている者は幸いだと
イエスは言われます。

迫害されることは辛いこと、
厳しいこと、大変なこととと
私たちは思いますが、幸いだと言われます。

天の御国は
迫害されているその人たちの者だからと。

さらに、
ありもしないことを言われたり、
悪口雑言を言われたりするときには
「喜びなさい。喜びおどりなさい。」
と言われます。

それは、
そのような迫害を受けるなら
天では大きな報いを受けるからです。

私たちが
キリストを心から愛し、
真に従って行くなら、
この世では、
迫害を受けることは避けられません。

サタンが
この地上を支配しているからです。
もちろん、
主の許しの範囲の中かでですが・・・

また実際に迫害をしてくるのは人ですが、
その背後にサタンが働いています。

ですから、
迫害する人がいなくなったとしても、
また別の形で、別の人が
迫害してくるということが起こるのです。

かつて神の言葉を語った預言者たちも、
人々から、そのように迫害されました。

時が流れ、時代が変わっても、
神の言葉を語る者の、
神の言葉に生きる者は、
必ず迫害を受け、
ありもしないことを言われるのです。
迫害されるのも、
ありもしないことを言われることも、
悪口雑言を言われることも
嬉しいことではありません。

でも喜びましょう。
喜びおどりましよう。
イエスがそう言われたのですから。
私たちは、その報いを天で受けるのです。
これは確かなことです。

そして、天の報いは最高の祝福なのです。

神さまは地上でも報いてくださいます。
しかし、
地上の報いはどんなに長くても120年、
多くの報いは、
永遠の御国である天には
持っていけないものなのです。

しかし
神さまが与えてくださる天の報いは、
永遠に残る確かな報いなのです。

天国は本当にあるからです。

あなたが自分の罪を悔い改め、
イエス・キリストの十字架を信じるなら、
必ず天に行けるのです。

そして永遠に
私たちは、そこでやがて住まうのです。
これ以上に確かな場所、
大切な場所はありません。
そして、その天国で報いを受けます。

だから、迫害されるとき、
ありもしないことで悪口を言われるとき、
喜びましょう。
躍り上がって喜びましょう。
天で大きな報いが待っているのですから・・


イエス・キリストはあなたを愛しておられます。