2020年5月26日火曜日

5月26日(火) 天国に行くことは最高の祝福

天国に行くことは最高の祝福


もし、

あなたの足があなたのつまずきとなるなら、

それを切り捨てなさい。

片足でいのちにはいるほうが、

両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、

あなたにとってよいことです。

                              マルコの福音書9章45節


死は終わりではありません。
天国は本当にあります。

誰もが天国に行けるわけではありません。

いえ、それどころ、
人は誰一人として
天国に入ることはできないのです。

死は滅び、地獄、
ゲヘナへの旅立ちなのです。

しかし、イエス・キリストが、
私たちが自分で
どうすることもできない罪の身代わりに、
十字架ですべての罪を背負い、
罰と呪いと病気を身代わりに
引き受けて死んでくださったので、
私たちが自分の罪を悔い改め、
イエス・キリストの十字架を信じたとき、
天国への道が開かれるのです。

イエスは言われました。
「もし、あなたの手が
 あなたのつまずきとなるなら、
 それを切り捨てなさい。
 片手でいのちにはいるほうが、
 両手そろっていてゲヘナの
 消えぬ火の中に落ち込むよりは、
 あなたにとってよいことです。
 もし、あなたの足が
 あなたのつまずきとなるなら、
 それを切り捨てなさい。
 片足でいのちにはいるほうが、
 両足そろっていて
 ゲヘナに投げ入れられるよりは、
 あなたにとってよいことです。
 もし、あなたの目が
 あなたのつまずきを引き起こすのなら、
 それをえぐり出しなさい。
 片目で神の国にはいるほうが、
 両目そろっていてゲヘナに
 投げ入れられるよりは、
 あなたにとってよいことです。
 そこでは、彼らを食ううじは、
 尽きることがなく、
 火は消えることがありません。」と。

片手、片足、片目になっても、
ゲヘナ、地獄に行くよりは
天国に行くことが
はるかにまさっていると。

そうなのです。
天国に行く。
それに勝る喜びと祝福はありません。

もちろん、この地上でも
主イエスは祝福してくださいます。

でも、永遠の祝福、
天にまさるものはありません。

主イエスを信じて永遠の命を得、
天国のものとなりましょう。

イエス・キリストは
あなたを愛しておられます。

2020年5月25日月曜日

5月25日(月) イエスの心は狭くない

イエスの心は狭くない



わたしたちに反対しない者は、

 わたしたちの味方です。


   マルコの福音書9章40節



弟子のヨハネがイエスに言いました。
「先生。先生の名を唱えて
 悪霊を追い出している者を見ましたが、
 私たちの仲間ではないので、
 やめさせました。」

しかし、イエスは言われました。

「やめさせることはありません。
 わたしの名を唱えて、
 力あるわざを行ないながら、
 すぐあとで、
 わたしを悪く言える者はないのです。
 わたしたちに反対しない者は、
 わたしたちの味方です。」

私たちは、自分たちだけが
正当で正しいと思いがちです。
弟子たちは、
自分たちの仲間でない人たちが
悪霊追い出しをしていたのを
やめさせました。

でもイエス・キリストは、
イエスの名を唱えて、
力あるわざを行なっているなら、
やめさせることはないと言われました。

自分たちだけという風に
弟子たちは思いましたが、
イエスは他の人であっても、
イエス・キリストの名によって行い、
キリストに反対しないならば
敵ではなく味方ですと言われました。

気をつけましょう。
私たちも自分たちだけが正しいと思い、
他の人たちを排斥し否定することは
しないようにしましょう。

大切なことは
イエス・キリストを本当に信じ、
このイエス・キリストの名によって
行なっているかどうかです。

イエス・キリストは
心の狭い方ではありません。

イエス・キリストが
宣べ伝えられ
福音が語られているならば、
喜ばれるのです。

イエス・キリストは
人々が救われ、いやされ、
神の愛の中を歩むようになることを、
心から願っておられるからです。

2020年5月24日日曜日

本当に偉い人は・・




「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、

   みなのしんがりとなり、

    みなに仕える者となりなさい。」


          マルコの福音書9章35節



イエスは弟子たちに
「人の子は人々の手に引き渡され、
 彼らはこれを殺す。
 しかし、殺されて、三日の後に、
 人の子はよみがえる」
と十字架と復活のことを話されました。

ところが、
弟子たちは、道々、
だれが一番偉いかと論じ合っていました。
そこで家に入ると、
イエスはおすわりになり、
十二弟子を呼んで、言われました。

「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、
 みなのしんがりとなり、
 みなに仕える者となりなさい。」

弟子たちは、
神の子であるイエスが、神に捨てられ
最も低くされる十字架を語った直後に、
自分たちの中で、誰が一番偉いかを
論じ合っていたのです。

でも、これは
弟子たちだけの話ではありません。
私たちも神の愛を知り、
イエス・キリストを信じて救われていても、
人と比べ、競争する世の中の生き方から
なかなか抜け出せないでいることが
しばしばあります。

イエスは弟子たちに言われました。
「人の先に立ちたいと思うなら、
 みなのしんがりとなり、
 みなに仕える者になりなさい」

人よりも先に行くのではなく、
しんがりとなり仕える、
まさに、
イエス・キリストが
生きられた歩みです。

愛する者の生き方ですね。

私たちも主イエスに祈り、
聖霊様に助けていただいて、
イエス・キリストに従い、
この世の価値観から解放されて、
人に仕え、しんがりとなって、
歩いていきましょう。

天に宝を積みながら・・・
永遠の価値の中を、
神の愛に満たされて歩いていきましょう。

あなたにも、私にも、きっと出来ます。

イエス・キリストが、
愛してくださっているからです。

2020年5月23日土曜日

2020年5月23日(土)  赦して祈ると答えられる!

赦して祈ると答えられる!



また立って祈っているとき、

だれかに対して恨み事があったら、

赦してやりなさい。

そうすれば、天におられるあなたがたの父も、

あなたがたの罪を赦してくださいます。

       マルコの福音書11章25節



祈りのことが書いてある聖書の箇所には、
すぐ近くに赦しのことが、
しばしば出てきます。

赦さないで、誰かを恨んでいたら・・・
祈りは聞かれなくなるのです。

罪を握ったままでは
祈りは答えられないのです。

また、
二人以上の人が心を一つにすれば
どんなことでも、かなえられると
イエスは言われました。

敵であるサタンは
それを知っているので、
私たちが地上で
心を一つにして祈ろうとすると、
相手に対してカチンときたり、
腹を立てたり、
許せなくなったりして、
一緒に祈れないようにしてくるのです。

一人で祈るときも、
誰かと心を合わせて祈るときも、
恨み言があったら、
どんなことであれ、
主イエスの恵みと
聖霊の助けをいただいて
赦しましょう。

そうすれば、祈りは聞かれます。
天に届き、答えられるのです。

敵である悪魔の策略を見分けて、
許しあって、祈りましょう。

一人で祈り、
夫婦で祈り、
親子で、家族で、
神の家族の教会で、
祈りましょう。

主イエスは
祈りに答えてくださいます。

イエス・キリストは、
あなたを愛しておられるからです。

2020年5月22日金曜日

祈って受ける奇跡



祈って求めるものは何でも、

  すでに受けたと信じなさい。

   そうすれば、そのとおりになります。


        マルコの福音書11章24節



「祈って求めるものは何でも、
 すでに受けたと信じなさい」
とイエスは言われました。

あなたは、
何を、どんなことを、
祈って求めていますか。

医学的にもう治らない病気、
こじれ切ってしまった人間会計、
返済不能の負債や借金、
そういう問題がもし許されているなら、
その現実から目をそらしてはいけません。
その現実から目を離して、
神が何とかして下さるということが
信仰ではありません。
その現実としっかりと向き合い、
治らないことも、
もう解決不可能なことも
認めて受け入れるのです。

その上で、
それでも神には不可能がないことを
信じるのです。

イエス・キリストの愛は、
いやし解放し、
解決と勝利をもたらすことを
信じ期待するのです。

そして大胆に
奇跡に向かって祈り求めましょう。
それが主の御心にかなうなら、
神は必ず答えてくださいます。

私たちの信じている神である主は、
大きな方です。
主の御心は広く深く大きいのです。

主の御心だと確信できたら、
大胆に告白しましょう。
「この病気はいやされた、治りました」と。
「この問題も負債も解決し勝利しました」と。
「どんなにこじれ切った人間関係も、
 お互いに溶かされ許し合い、
 心が通えるようになった」と。
「あの頑なな人も救われ、
 共に礼拝し賛美できるようになった」と。

今そうでなくても
受けたと信じて告白し
幻を描くのです。

神には不可能はありません。
必ずその祈りは答えられ、
あなたの願ったとおりになります。
あるいは、それ以上になります。

イエス・キリストは、
あなたを愛しておられるからです。

2020年5月21日木曜日

【2020年5月21日(木)】山を動かすことば

山を動かすことば



だれでも、この山に向かって、

『動いて、海にはいれ。』

と言って、心の中で疑わず、

ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、

そのとおりになります。

       マルコの福音書11章23節



山というのは、動かないものの代表です。
戦国武将である武田信玄の
「風林火山」は有名ですが、
それは「動かざるごと山の如し」という意味ですね。

その山が動くというのです。
「動いて、海に入れ」と言えば、
つまり、命令する、
声に出して命じ告白すれば動くというのです。

ただ条件があります。
心の中で疑わず、
自分で言った通りになると信じるなら、とあります。

心の中で疑わないでいることは
限りなく不可能に近いでしょう。
特別な聖霊の助けがある時は、
不思議なぐらい信じきることができますが、
普通はそれは難しいことです。

ただ信じる立場に立ち、
自分の言った通りになると、
言葉でも、態度でも、示し続けるなら、
確かに山でさえ動くことはあります。

神を信じて、
つまり神が語られた言葉を信じて、
どんなに不可能だと思っても、
そのことを告白し、
そこに立ち続けるなら、
奇跡は起こるのです。

神はあなたを愛しておられます。
この愛の中で、
あなたの前にある山に向かって
キリスト・イエスの御名によって
祈り命じましょう。

山が動き始めます。
神には不可能はありません。
あなたの前の山は動き、
圧倒的な勝利と解決が与えられます。

イエス・キリストは、
あなたを愛しておられるからです。

2020年5月20日水曜日

2020年5月20日

神のことばを信じる



神を信じなさい。

マルコの福音書11章22節



イエスは答えて言われました。
「神を信じなさい。」と。

「神を信じる」とは
どういうことでしょう。
神様は愛の方だから最善しかなさらない。
永遠という価値の中で
最高を与えてくださる。

もちろん、その通りです。
でも具体的に「神を信じる」とは
どういうことなのでしょう。

それは「神の言葉」を信じることです。

まず第一に聖書に書かれている言葉。
そして、
聖書から心に強く深く迫ってくる御言葉。
さらに、メッセージや預言のことば。

本当に神が語られたのかの吟味は
慎重にしなければいけません。

でも確かに神は語られるのです。
その言葉、
言い換えれば約束を信じることです。

人は、どんなに誠実であつても
約束したことを守れないことがあります。
語った言葉を忘れたり、
記憶から消えたり、
無くなったりすることさえあります。

でもイエス・キリストは、
語られた言葉を忘れられません。
約束は必ず果たしてくださいます。

時が来ると
神の言葉と約束は
必ず成就するのです。

神の言葉は真実で、裏切ることはありません。

イエス・キリストは、
あなたを愛しておられるからです。

2020年5月19日火曜日

祈りによって、悪霊は追い出せる!



「この種のものは、祈りによらなければ、

 何によっても追い出せるものではありません。」

          マルコの福音書9章29節



イエスが口をきけなくする
悪霊を追い出されたので、
この子は話せるようになりました。

イエスはそれから、
家にはいられました。
すると、弟子たちが
そっとイエスに尋ねたのです。
「どうしてでしょう。
 私たちには追い出せなかったのですが」

すると、イエスは言われました。

「この種のものは、
 祈りによらなければ、
 何によっても
 追い出せるものではありません。」

この種のもの、
つまり悪霊が関わっているときは、
祈りによらなければ、
何によっても追い出せない
とイエスは言われたのです。

弟子たちは議論していました。
全く祈っていなかった
わけではないでしょう。
彼らなりに、
この子のために祈り、
すぐに出ていかないので、
その理由と原因を
探していたのでしょう。
そして議論になりました。

私たちは何か問題が起こると、
犯人探しを始めます。
でもそれで問題は解決はしません。

悪霊が関わっているとき、
議論をするのではなく、
祈りましょう。

主イエスに祈り、
主イエスに聞きましょう。
どうすればいいのか、
イエスが語られ教えられるまで
祈り続けましょう。
そして語られた言葉に
その通りに従うとき、
神の業が起こります。
悪霊は追い出され、
解放が起こるのです。

祈るだけでいい時も、
イエスの名によって命じれば
解放される時もあるでしょう。
語られた言葉に従う中で
自由になる時もあります。

祈りによって追い出せるのです。

なぜなら、
悪霊が追い出され、
解放されることは
主の御心だからです。

そのためにも
イエス・キリストは
十字架にかかってくださいました。

イエス・キリストは
あなたを愛しておられるのです。

2020年5月18日月曜日

イエス・キリストを信じる者には、どんなことでもできる



「できるものなら、と言うのか。

 信じる者には、どんなことでもできるのです。」

          マルコの福音書9章23節



人々はイエスのところに
口をきけなくする霊につかれた
その子を連れて来ました。

その子がイエスを見ると、
霊はすぐに彼をひきつけさせたので、
彼は地面に倒れ、あわを吹きながら、
ころげ回りました。

イエスはその子の父親に
「この子がこんなになってから、
 どのくらいになりますか。」
と尋ねられると、父親は答えました。
「幼い時からです。
 この霊は、彼を殺そうとして、
 何度も火の中や水の中に投げ込みました。
 ただ、もし、おできになるものなら、
 私たちをあわれんで、お助けください。」

イエスは言われます。

「できるものなら、と言うのか。
 信じる者には、
 どんなことでもできるのです。」

するとすぐに、
その子の父は叫んで言いました。
「信じます。
 不信仰な私をお助けください。」

イエスは、
群衆が駆けつけるのをご覧になると、
汚れた霊をしかって言われました。

「おしとつんぼの霊。
 わたしが、おまえに命じる。
 この子から出て行きなさい。
 二度と、はいってはいけない。」

するとその霊は、叫び声をあげ、
その子を激しくひきつけさせて、
出て行きました。

するとその子が
死人のようになったので、
多くの人々は、
「この子は死んでしまった。」
と言いました。

しかし、イエスが、
彼の手を取って起こされると、
その子は立ち上がりました。
話せなくなっていたこの息子を
イエスは悪霊から解放し、
話せるようにされました。

この子はもちろんですが、
父親も本当に嬉しかったと思います。

でも最初父親は
「おできるものなら」
と言ってイエスに願いました。

イエスはそれを不信仰と嘆かれ
「信じる者には、
 どんなことでもできる」
と答えられました。

父親は今まで、
何をしても、どんなにしても、
息子は解放されず、
弟子たちにもできなかったので、
無理かもしれないという思いが
どこかにあったのでしょう。

でも
イエス・キリストには
不可能はないのです。

頭では
わかっていたのかもしれません。
でも、長く待たされたり、
何をしてもうまく行かないと、
いつの間にか、
もう無理かもしれないと
私たちは思い始めてしまいます。

しかし
イエス・キリストには
不可能はないのです。
イエス・キリストの愛は、
その不可能を可能にするのです。
イエス・キリストの十字架で
解決できない問題など、
この地上にはありません。

イエス・キリストを信じ、
イエス・キリストの十字架を信じて、
その愛に期待しましょう。

信じる者には
どんなことでもできるのです。

イエス・キリストは
あなたを愛しておられるからです。

2020年5月17日日曜日

議論ではなく、イエス・キリトに祈る



その子をわたしのところに連れて来なさい。

        マルコの福音書9章19節



イエスが
ペテロとヤコブとヨハネを連れて
山から降りて、
他の弟子たちのところに帰って来ると、
すぐ、群衆はみな、
イエスのところに走り寄って来て、
あいさつをしました。

イエスは彼らに
「あなたがたは弟子たちと
 何を議論しているのですか」
と聞かれました。

すると群衆のひとりが、
イエスに答えて言いました。
「先生。口をきけなくする霊に
 つかれた私の息子を、
 先生のところに連れてまいりました。
 その霊が息子に取りつきますと、
 所かまわず彼を押し倒します。
 そして彼はあわを吹き、歯ぎしりして、
 からだをこわばらせてしまいます。
 それでお弟子たちに、
 霊を追い出してくださるように
 お願いしたのですが、
 お弟子たちにはできませんでした。」

イエスは答えて言われます。

「ああ、不信仰な時代だ。
 いつまであなたがたといっしょに
 いなければならないのでしょう。
 いつまであなたがたにがまんして
 いなければならないのでしょう。
 その子を
 わたしのところに連れて来なさい。」

この後、イエスは、
この子から口をきけなくする霊を追い出し、
この子は話せるようになります。

しかし、
なぜ弟子にはできなかったのでしょうか。

それは彼らが議論して
祈っていなかったからです。

その子をイエスのところに連れていく。
つまり、祈り父なる神に
手を伸ばしていただけば病気は治り、
悪霊は出て行きます。

でも祈るのではなく、
どんなに議論しても
いやしや奇跡は起こらないのです。

私たちも気をつけましょう。
イエス・キリストのところに、
その子を、その問題を、
その病気や困難を持って行きましょう。

イエス・キリストの御名によって
祈り、求め願うのです。
その時、イエス・キリストが必ず、
いやし、解放し、
解決と勝利を与えてくださいます。

イエス・キリストは
あなたを愛しておられるからです。

2020年5月16日土曜日

イエス・キリストに聞く



「これは、わたしの愛する子である。

  彼の言うことを聞きなさい。」

      マルコの福音書9章7節



ある時、イエスは、
ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、
高い山に導き登って行かれました。

イエスがそこで祈っておられると、
彼らの目の前で御姿が変わリ、
御顔は太陽のように輝き、
御衣は、光のように非常に白く輝いていました。

しかも、
エリヤが、モーセとともに現われ、
彼らはイエスと語り合っているのです。

彼らは恐怖に打たれ、
ペテロは驚きのあまり、
思わずも口出ししてイエスに言いました。
「先生。
 私たちがここにいることは、
 すばらしいことです。
 私たちが、幕屋を三つ造ります。
 あなたのために一つ、
 モーセのために一つ、
 エリヤのために一つ。」

実のところ、
ペテロは言うべきことが
わからなかったのです。

そのとき雲がわき起こって
その人々をおおい、雲の中から

「これは、
 わたしの愛する子である。
 彼の言うことを聞きなさい。」

という声がしました。
彼らが急いであたりを見回すと、
自分たちといっしょにいるのは
イエスだけで、
そこにはもはや
だれも見えなかったのです。

旧約聖書に出てくる
大預言者のエリヤと
イスラエルをエジプトから
導き出した大指導者モーセ、
この二人はユダヤ人である
彼らにとっては特別な存在です。

しかし、父なる神様が
「これは、私の愛する子である。
 彼の言うことを聞きなさい」
と言われた時、
そこにいたのはイエスだけでした。

そうなのです。
私たちは、
イエス・キリストを愛し、
イエス・キリストに心を向け、
イエス・キリストに聞くのです。

すばらしい信仰の先輩や、
牧師、指導者が
あなたの周りにもきっといるでしょう。
彼らは私たちを助けてくれます。

しかし、
私たちが本当に聞くべきお方は
イエス・キリストご自身です。

この方イエス・キリストに聞くとき、
私たちは正しく導かれ、
神の用意した
祝福と恵みの中を歩むことができます。

イエス・キリストは、
あなたに最善にして最高を
用意しておられます。

イエス・キリストは、
あなたを愛しておられるからです。

2020年5月15日金曜日

キリストの権威ある愛の言葉は病気をいやす



ただ、おことばをいただかせてください。

そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。

         ルカの福音書7章7節



百人隊長は
自分のしもべが病気で死にかかっている時、
イエスによって、いやしていただきました。

その鍵となったのは、
イエスの言葉、神の言葉に対する信仰でした。

イエスに
わざわざ家まで来ていただかなくても、
一言、ただ一言、
イエスに言葉をいただければ、
それでしもべはいやされるという
イエスの言葉に対する信仰でした。

なぜ百人隊長が
そのような素晴らしい信仰を
持てたのでしょう。

それは、
彼が権威を知っていたからです。

百人隊長は
ローマの軍隊の中で、
上司である千人隊長の言葉には
服従します。

また彼の部隊の部下の百人は
彼が「行け」と言えば行き、
「来い」と言えば来ることを
知っていたからです。

権威あるものが語れば
そのように動くことを、
知っていました。

この百人隊長は
イエス・キリストは、
権威あるお方で
自然も病気も悪霊も、
イエスの権威の下にあり
イエスが語られれば、
その言葉に従うことを、
知っていたのです。

百人隊長は、イエスが
権威あるお方であることを
知っていました。

だから、
イエスの言葉をいただければ
それで十分、
一言で十分と、信じていたのです。

イエス・キリストは
天においても地においても
いっさいの権威を持っておられます。

あなたも、この方のところに行き、
一言、言葉をいただきましょう。

その時、すべての問題は解決し、
勝利を見ることができるのです。

イエス・キリストは
あなたにも一言、語ってくださいます。

イエス・キリストは
あなたを愛しておられるからです。

2020年5月14日木曜日

イエス・キリストのもとに行けば助けられる



百人隊長は、イエスのことを聞き、

みもとにユダヤ人の長老たちを送って、

しもべを助けに来てくださるようお願いした。

         ルカの福音書7章3節



百人隊長のしもべが、
病気で死にかけていました。
百人隊長は,
このしもべをとても大切にしていました。
なんとか助けてやりたいと
心から願っていました。

その時、イエスのことを聞きました。
病人を癒し、
悪霊に憑かれている人を解放していると。

そこで、
ユダヤ人の長老たちに頼んで
イエスに、
しもべを助けに来てくださるようにと
お願いしました。

百人隊長は、
イエスのところに行けば、
きっとしもべを直してくれる、
助けてくれると信じていたのです。

しもべに対する愛と、
イエスに対する信仰が
一つとなって働きました。

「愛よって働く信仰」を通して、
百人隊長は
イエス・キリストによるいやし、
しもべがいやされる奇跡を、
この後見るのです。


あなたも、
自分のことでも、
愛する人のことでも、
あなたにとって大切な人が
困っているときに、
何もしてあげれない時、
嘆くのでも、
あきらめるのでもなく、
イエス・キリストのところに来てください。

イエス・キリストが
あなたを救い、
あなたの大切な愛する人を
助けてくださいます。

イエス・キリストは、
あなたを、
あなたの大切なその人を、
愛しておられるからです。

2020年5月13日水曜日

弟子の道は十字架の道



だれでもわたしについて来たいと思うなら、

自分を捨て、自分の十字架を負い、

そしてわたしについて来なさい。

       マルコの福音書8章34節



この言葉は、イエスが
群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、
言われた言葉です。

イエスは無理やり従って来い
とは言われませんでした。

また、うまい話で
弟子たちを招くことも
されませんでした。

イエスに従って行くなら、
弟子となるなら
「自分を捨てて、
 十字架を負って、
 ついて来なさい」
とはっきり語られました。

十字架は、私たちには
嬉しいことではありません。
誤解されたり、
孤独になったりする道を通ることです。

でもその時、
神の愛が深く染み込んできます。

キリストがいつも共にいて、
決して自分を捨てることも
離れることもないことを知ります。

誰もわかってくれなかったとしても、
自分で自分さえ
わからなくなったとしても、
イエス・キリストは、
自分のことを知って分かって
くださっていることがわかります。

十字架の道は弟子の道です。
そしてそれは、
主イエスの愛を
深く深く知り体験する道なのです。

イエスは続けてこう言われたのです。
「いのちを救おうと思う者はそれを失い、
 わたしと福音とのために
 いのちを失う者はそれを救うのです。
 人は、たとい全世界を得ても、
 いのちを損じたら、何の得がありましょう。
 自分のいのちを買い戻すために、
 人はいったい何を
 差し出すことができるでしょう。
 このような姦淫と罪の時代にあって、
 わたしとわたしのことばを
 恥じるような者なら、
 人の子も、父の栄光を帯びて
 聖なる御使いたちとともに来るときには、
 そのような人のことを恥じます。」

イエスの後についていきましょう。
十字架を選んで従っていきましょう。
それがいのちをえ、救われる道なのです。

イエス・キリストは、あなたを愛しておられます。

2020年5月12日火曜日

人ではなく神を思う



しかし、イエスは振り向いて、

弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた。

「下がれ。サタン。

  あなたは神のことを思わないで、

      人のことを思っている。」

          マルコの福音書8章33節



イエスの一番弟子のペテロは、
イエスに聞かれた
「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」
と言う質問に
「あなたは、キリストです」
と満点回答をしました。

するとイエスは、初めて、
自分がこれから通られる受難の道を、
弟子たちに語られ始めたのです。

「人の子、つまりイエスは
 必ず多くの苦しみを受け、
 長老、祭司長、律法学者たちに
 捨てられ、殺され、三日の後に
 よみがえらなければならない」

と教え始められたのです。
しかも、はっきりと話されました。

すると一番弟子のペテロは、
イエスをわきにお連れして、
なんとイエスをいさめ始めました。

まさか救い主のイエスが、
自分たちの希望であるイエスが
捕らえられ殺されるなんていうことは、
信じれず受け取れなかったのでしょう。

しかし、
イエスは振り向いて、
弟子たちを見ながら、
ペテロをしかって言われました。

「下がれ。サタン。
 あなたは神のことを思わないで、
 人のことを思っている」と。

とても厳しい言葉です。
でもこの言葉は
イエスの深い愛、覚悟を感じさせます。

ペテロをはじめ、弟子たちは
何も理解していないけれど、
誰一人私のこれからの道、
この地上に来た使命を本当のところ、
わかっていないけれど、
それでも私はペテロを愛して、
あなたがたを愛して、
捕らえられ十字架にかかると言われたのです。

ペテロは自分の考えと
自分のはかりで
イエスを見ていました。

私たちは、
目の前に起こること、
許されることを
人間的な地上の価値観と
計算だけで見ていると、
神の大いなる計画、
神の深い愛の逆転のドラマが
見えなくなり失敗します。

人を中心にするのではなく、
神ご自身、神の言葉を
中心にして見ましょう。

きっと、すべてのことの中に
神さまの素晴らしい計画が
隠されていることに気づくでしょう。

あなたを、
イエス・キリストは
愛しておられるからです。

2020年5月11日月曜日

イエスは救い主キリスト!!!



「あなたは、キリストです。」

                   マルコの福音書8章29節



それから、
イエスが弟子たちと
ピリポ・カイザリヤの村々へ
出かけられた時のことです。

イエスは、その道の途中で、
弟子たちに尋ねて言われました。

「人々は
 わたしをだれだと言っていますか。」

弟子たちは答えて言いました。
「バプテスマのヨハネだと
 言っています。
 エリヤだと言う人も、
 また預言者のひとりだと
 言う人もいます。」

するとイエスは、
彼らに尋ねて聞かれました。

「では、あなたがたは、
 わたしをだれだと言いますか。」

ペテロが答えて
イエスに言いました。
「あなたは、キリストです。」

アーメン。
まさにその通りです。

この時、
ペテロは満点回答をしました。

イエスは「キリスト」なのです。

キリストとは、
救い主、メシアのことです。

イエスこそが、
イエスだけが、
私たちを罪から救い、
死に勝利して
永遠の命を与えて下さるキリスト、
救い主なのです。

あなたもペテロと一緒に言いましょう。
「あなたは、キリストです」と。

人々はイエスのことを預言者といい、
宗教家といい、
善人といい、
偉人といい、
いろんな風に言うでしょう。

でもあなたも私も、
そんな言葉に振り回されず、
ペテロのように、
はっきりと言いましょう。

「イエスはキリストです。
 この方、イエスだけが
 私を罪から救い、
 永遠の命を与えて下さる方です」と。

あなたは
イエス・キリストに
愛されています。

2020年5月10日日曜日

いやされるまで、何度でも祈る



それから、イエスは

もう一度彼の両眼に両手を当てられた。

そして、彼が見つめていると、すっかり直り、

すべてのものがはっきり見えるようになった。

         マルコの福音書8章25節



イエスが弟子たちを連れて
ベツサイダに着いたとき、
人々は目の見えない人を連れて来て、
さわってやってくださるようにと
イエスに願いました。

イエスは
目の見えない人の手を取って
村の外に連れて行かれ、
その両眼につばをつけ、
その上に両手を当てて
「何か見えますか」と聞かれました。

すると彼は、
見えるようになったのです。

彼は言いました。
「人が見えます。
 木のようですが、
 歩いているのが見えます」と。

それから、
イエスはもう一度
彼の両眼に両手を当てられました。

彼がじっと見つめていると、
すっかり直り、
すべてのものが
はっきり見えるようになったのです。

イエスが手を置かれたとき、
全く見えなかった目が
見えるようになりました。

最初は少しぼんやりと、
二度目には、はっきりと
見えるようになりました。

一度祈って完全に治らなくても
あきらめないでください。

もう一度祈るのです。

また
イエス・キリストのところに
来るのです。

教会に来て
イエス・キリストの名によって
手を置いて祈るのです。

ある時は一度で、
ある時は二度で、
もしかしたら、3回、4回と、
何回も祈ることになるかもしれません。
でも、必ず
完全にいやされ治る時がやってきます。

イエス・キリストは、
その病気のためにも
十字架にかかられたからです。

イエス・キリストは、
いやしてくださいます。

イエス・キリストは、
あなたとあなたの家族を
愛しておられるからです。

2020年5月9日土曜日

宗教ではなく、生きた信仰を



「まだ悟らないのですか。」

    マルコの福音書8章21節



イエスが、舟に乗って
向こう岸へ行かれた時のことです。

弟子たちは、
パンを持って来るのを忘れてしまい、
舟の中には、
パンがただ一つしかありませんでした。

そのとき、イエスが彼らに命じて、
こう言われたのです。

「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに
 十分気をつけなさい。」

そこで弟子たちは、
これはパンを持っていないからだと、
議論を始めました。

イエスは、それに気づいて言われました。

「なぜ、パンがないといって
 議論しているのですか。
 まだわからないのですか、
 悟らないのですか。
 心が堅く閉じているのですか。
 目がありながら見えないのですか。
 耳がありながら聞こえないのですか。
 あなたがたは、覚えていないのですか。
 わたしが五千人に
 五つのパンを裂いて上げたとき、
 パン切れを取り集めて、
 幾つのかごがいっぱいになりましたか。」

彼らは答えました。
「十二です。」

イエスが、また聞かれます。

「四千人に七つのパンを裂いて上げたときは、
 パン切れを取り集めて
 幾つのかごがいっぱいになりましたか。」

彼らは答えます。
「七つです。」

イエスは言われました。

「まだ悟らないのですか。」


イエスが言われたことは
パンが足りないとか、
パンをもっと持って来なさい
と言うことではありませんでした。

パリサイ人とヘロデのパン種とは、
つまり彼らの教えのことでした。

彼らの教えとは、
福音ではなく、
律法主義、形式主義、
外側ばかりをよく見せている
「宗教」でしかなかったのです。

宗教にも、
人を助けることは出来るかもしれません。
しかし、本当の救いはないのです。

イエス・キリストの十字架と復活、
この福音だけが人を救い、
永遠の命を与えることができます。

人を全く新しくすることが出来るのです。

イエスは、
その福音からズラす教えに
気をつけなさいと言われたのです。

私たちは、ある形だけ持っていれば、
それで信仰深いかのように思ってしまいます。

あるいは、
ある宗教指導者の言うことを聞いていれば
それで安心してしまいます。
逆にできなくて
不安に落ちいってしまいます。

でも、大切なことは
聖書そのものに目を留め、
イエス・キリストご自身に心を向けて、
その言葉によって、歩み生きることです。

イエス・キリストとの
生きた交わり、関わりが大切なのです。

あなたを愛しておられる
イエス・キリストと、
今日も生きた交わり、
関わりを持って歩みましょう。

イエス・キリストは、
あなたを愛しておられます。

2020年5月8日金曜日

1時間祈る



それから、イエスは戻って来て、

彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。

「シモン。眠っているのか。

 一時間でも目をさましていることができなかったのか。

 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。

 心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

          マルコの福音書14章37・38節



イエス・キリストが、
ゲッセマネで苦しみ悶え、
悲しみで死にそうになりながら
祈りの戦いをしているとき、
そのすぐそばにいながら
弟子たちは眠ってしまいました。

イエスは、
弟子たちのところに戻ってきて、
彼らの眠っているのを見つけ、
ペテロに言われました。

「シモン。眠っているのか。
 一時間でも目をさましていることが
 できなかったのか。
 誘惑に陥らないように、
 目をさまして、祈り続けなさい。
 心は燃えていても、肉体は弱いのです」と。

イエスは
「一時間でも目を覚ましていることが
 できなかったのか」と言われました。

この1時間というのが、実は鍵なのです。
ある方は
1時間は大変だと思われるでしょう。
逆にある方は
1時間ぐらい簡単だと
思われるかもしれません。

でも、1時間、
心を定めて一人で祈ることを
毎日できるようになったなら、
あなたは祈りの勇士であり戦士です。

教会で共に1時間祈ることは
そんなに難しいことではありません。
ですから、
まず教会で共に1時間祈ることを勧めます。
そして祈りの霊と力を受けて、
自分一人でも1時間祈ることを
毎日チャレンジしてみましょう。

聖霊の助けと力なしには、とても出来ません。
でも聖霊の助けがあるなら、必ず出来ます。

1時間祈ることは間違いなく主の御心なので、
あなたが
本当に1時間祈り続けたいと願うなら、
必ず答えられます。

あなたは毎日1時間、
一人でも祈り続けられるようになります。
そのとき、
祈りがどんなに聞かれ答えられるかを
怖いほど、見るようになるでしょう。

そして
主イエスの愛の大きさと深さに
驚き感動することでしょう。

さぁ、まず教会に集い、共に祈りましょう。
そして、一人で
主イエス・キリストの前に出て、
心を注いで祈りましょう。

1時間、
主の助けと力を受けて祈り続けましょう。
あなたにはできます。
そして、あなたは神の真実と愛を体験します。

イエス・キリストは、あなたを愛しておられます。

2020年5月7日木曜日

イエスといっしょに目をさます!



「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。

 ここを離れないで、

 わたしといっしょに目をさましていなさい。」

         マタイの福音書26章38節



イエス・キリストは
十字架にかかる前に、
ゲッセマネで祈られました。

イエスはそのとき、
苦しみ悶えながら祈られ、
悲しみのあまり死ぬほどになられました。

そのときイエスは、
弟子たちに、こう言われました。

「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。
 ここを離れないで、
 わたしといっしょに目をさましていなさい」

と。「わたしといっしょに」と言われたのです。
弟子たちがイエスが苦しも悶え、
悲しみのあまり死ぬほどになっていたのに、
起きていられず眠ってしまったのは、
もちろん肉体が弱いからでしよう。

でも、それとともに、
イエスといっしょに
苦しみ悶え、悲しみを
共有していなかったからです。
イエスの苦しみと悲しみを
自分のものと感じていなかったのです。

誰かが苦しんでいるとき、
それを自分のことのように感じて痛む人は、
目を覚まして祈れます。
でも、自分のことと感じれない、
もう少し冷たい言い方をすれば
他人ごとと思っているときは、
目を覚まして祈り続けれないのです。

イエスは
「わたしといっしょに」
と言われました。

イエスとともに苦しみ、
イエスとともに悲しみ、
イエスとともに痛みましょう。

そのとき、
十字架の愛の深さ、広さ、高さを知り、
神の愛に圧倒されるでしょう。

目を覚まして
祈り続けることのできる恵みと力が、
主イエスから注がれてくるでしょう。

イエス・キリストは
あなたを愛しておられるからです。

2020年5月6日水曜日

イエスのそばにすわる!



ゲツセマネという所に来て、イエスは弟子たちに言われた。「わたしが祈る間、ここにすわっていなさい。」

                                    マルコの福音書14章32節


イエス・キリストは十字架にかかる前に
ゲッセマネというところに来て祈られました。

その時、弟子たちにこう言われました。

「わたしが祈る間、
 ここにすわっていなさい」と。

そして、
ペテロ、ヤコブ、ヨハネを
いっしょに連れて行かれ、
イエスは深く恐れもだえ始められたのです。
イエスは彼らに言われました。

「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。
 ここを離れないで、目をさましていなさいと。

イエス・キリストは弟子たちに
「ここにすわっていなさい」また
「ここを離れないで、目を覚ましていなさい」
と言われました。

「ここにすわっていなさい」
という言葉を聞くと
思い出す聖書の箇所があります。
それはイエスがべタニヤに来たとき、
マルタとマリヤという二人の人が
イエスを大歓迎したのですが、
マルタはおもてなしをするために
忙しく立ち回り、心を苛立たせてしまい、
マリヤがイエスの足元に座り込んで
イエスの話に聞き入っているのを見て
怒ってしまったのです。

そしてイエス・キリストに思わず
「妹にも私を手伝うように言ってください」
マルタは言ったのです。
イエスは
「あなたはいろいろ気を使っているが、
 マリヤは大切な方を選んだ、
 どうしても必要なことは一つです。
 マリヤは、その大切な方を選んだのだから、
 それを取り上げてはいけない」
と言われました。

このゲッセマネで
イエスが悶え苦しまれて祈られている
そのそばにしっかりすわって、
私に目を向け、心を向けていてほしいと
イエスは弟子たちに言われたのでしょう。

弟子たちが、
しっかりと腰を据えてすわり、
心をイエスに向けていたら、
眠らないで
起きていられたかもしれませんね。

私たちも、
イエスのみそば近くに
いつも腰を据えてすわり、
イエスに心を向けていましょう。

あなたを愛してくださる
この方に目を留め、心を向けるとき、
私たちの祈りも人生も本当に祝福されて、
神の愛と恵みに満ちたものとなるでしょう。

イエス・キリストは、
あなたを愛しておられるからです。