2020年3月6日金曜日

他人を救っても自分を救えなかったキリストの愛


「あれは他人を救った。

 もし、神のキリストで、選ばれた者なら、

 自分を救ってみろ。」

        ルカの福音書2335



イエス・キリストが
十字架にかけられた時、
民衆はそばに立ってながめていました。
指導者たちもあざ笑って言いました。

「あれは他人を救った。
 もし、神のキリストで、
 選ばれた者なら、自分を救ってみろ」と。

これは嘲りの言葉です。
指導者たちの
イエス・キリストに対する嘲りの言葉です。

しかし、
その嘲りの中に真実が語られています。
「あれは他人を救った」
あれと言われている方は
イエス・キリストのことです。

指導者たちは
イエス・キリストを嘲りながら、
イエス・キリストが
他人を救ったことを認めているのです。

そうなのです。
イエス・キリストは他人を救いました。

しかし
自分は救いませんでした。

イエス・キリストにとって
自分を救うことは簡単なことでした。
十字架から降りていくことぐらい
たやすいことでした。

イエス・キリストには
自分を救うことはできたのです。

でも出来なかったのです。

キリストは
あなたと私を愛し、
全人類を本当に愛しておられたので、
自分を救うこと、
十字架から降りることは
出来なかったのです。

十字架で罪人として死ぬ以外、
あなたと私を救う道はなかったのです。
この十字架以外には
人間が救われる道はなかったのです。

だからイエス・キリストは
十字架から降りませんでした。

私たちを愛しておられたキリストは、
自分を救うことは出来ませんでした。

この十字架によって
この十字架の愛によって、
私たちは赦され救われて、
罪から解放され自由にされるのです。

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