2020年2月29日土曜日

忍耐の限りを尽くした祈りは必ず勝利する!



すべての祈りと願いを用いて、

どんなときにも御霊によって祈りなさい。

そのためには絶えず目をさましていて、

すべての聖徒のために、

忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

       エペソの手紙618



すべての聖徒のために、
つまり、すべてのクリスチャンのために、
目を覚まして祈りなさい。
とパウロは強く勧めました。

聖霊によって、
聖霊の導きを聴きながら、
自分がいいと思うことではなく、
聖霊がその人に臨んでおられることを
聞きながら、祈りなさいと。

しかも、
忍耐の限りを尽くしと言いました。

忍耐を持ってと言われても、
大変だと思ってしまうのに、
忍耐の限りを尽くしてです。

忍耐の限り限界まで、
時間も心も体力も使い尽くして、
ということでしょうか。

でも、
この祈りは必ず聞かれ、
聖徒たち、クリスチャンたちを
建てあげ生かすのです。

どんなサタンの攻撃の中でも
悪魔の惑わしと誘惑にあっても、
この忍耐の限りを尽くす
教会の祈りの中で聖徒たちは勝利し、
神の圧倒的な勝利と栄光を
見ることができるのです。

2020年2月28日金曜日

神のことばが敵である悪魔を打ち砕く



また御霊の与える剣である、

神のことばを受け取りなさい。

    エペソの手紙617


悪魔との格闘の時に用いる
神のくださった武具とは、
具体的には、

まず、しっかりと立ち、
これは神のことば、
あるいは約束の言葉に
しっかりと立つことですね。

そして腰には真理の帯を締め、
真理とは
イエス・キリストであり、
みことばですね。

胸には正義の胸当てを着け、
私たちは不義なる者で
正義はありませんから、
悔い改めて
主の正義を胸当てとしてつける。

そして足には
平和の福音の備えをはく。

これらすべてのものの上に、
信仰の大盾を取り、
それによって、
悪い者が放つ火矢を、
みな消すことができます。
というのは、
悪い者である悪魔が
放つ罪の火矢が
心や胸に突き刺さると、
憎しみや怒り等々の火が
燃え上がってしまうのです。
ですから、
その前に信仰の大盾で
その火矢を撃ち落とす、
それの大盾とは感謝です。

さらに救いのかぶとをかぶり、
また御霊の与える剣である、
神のことばを受け取りなさい。
と続きます。


ここで初めて
攻撃の武器が出てきます。

救いのかぶとまでは
すべて守りの武具ですが、
御霊が与える剣である
神のことばだけが
攻撃の武具、武器なのです。

この神のことばで
敵である悪魔を打ち砕くのです。

神のことばには力があり、
どんな悪魔も打ち砕いてくれます。

ここの神のことばというのは
言語ではレーマという言葉が
使われています。

つまり、その時に
神が与えてくださる言葉です。
例えば
まさに神から来た預言などは
そうですね。

神がその時
与えてくださる神の言葉が
敵である悪魔を、サタンを
完全に打ち砕き圧倒的な勝利を
与えてくださるのです。

2020年2月27日木曜日

霊的な戦いに勝利する



私たちの格闘は血肉に対するものではなく、

主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、

また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

         エペソの手紙612



聖書は、
敵である悪魔との戦いを
格闘と言っています。

しかも血肉に対するものではなく、
主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また、天にいるもろもろの悪霊に対するもの
であると言っています。

つまり目に見える世界での戦いではなく、
目に見えない霊的な世界での激しい戦い、
格闘なのです。

自分の血肉では戦いにならないのです。

ですから、
恵みによって身につけた
神の与えてくだった武器を取り、
悪魔に立ち向かっていくのです。

その時、
必ず圧倒的な主の勝利を
見ることができるのです。

2020年2月26日水曜日

悪魔に立ち向かう



悪魔の策略に対して

立ち向かうことができるために、

神のすべての武具を身に着けなさい。

      エペソの手紙611



悪魔であるサタンは
策略を持って、私たちに
主が与えてくださる祝福と恵みを
奪い壊そうとしてきます。

しかし、恐れることはありません。

私たちが、自分の力ではなく、
大能である主のもとにへりくだり、
神が与えてくださる
すべての武具を身につけて、
その大能の主の力によって強められ、
敵であるサタンに立ち向かって行くなら、

私たちは
圧倒的な勝利を
見ることができるのです。

2020年2月25日火曜日

一晩かけて祈る祝福



イエスは祈るために山に行き、

神に祈りながら夜を明かされた。

     ルカの福音書612



イエス・キリストは
12弟子を選ばれる時、
山に行き、神に祈りながら
夜を明かされました。

12弟子は、
使徒と呼ばれる
大切な弟子たちでした。

イエス・キリストは、
父なる神に一晩かけて祈り、
使徒たちを選ばれたのです。

神の働きを任せ、
初代教会の土台となる人を選ぶために、
自分の判断ではなく、
父なる神のもとに行き、
一晩かけて、父なる神に聞かれたのです。

私たちも
人生の大切な判断や決定をする時、
父なる神のみ前に出て、
一晩かけて祈りましょう。

その時、
深くお大きな主の御心を
知ることができます。

永遠であられる神の大きな愛の中で、
私たちよりも
はるかに高い確かな導きを
受けることができるのです。

2020年2月24日月曜日

朝早く主のもとに行く


  イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、

寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。

         マルコの福音書135



イエスは、弟子たちが
まだ眠っている暗いうちに起きて、
寂しいところに行き、
そこで一人で祈っておられました。

誰よりもまず最初に
父なる神の前に出て
父なる神と深く交わり
時を過ごされたのです。

そこでイエスは
賛美と感謝を捧げ、
願い求め、
時には叫びすがられたのでしょう。

朝早く、
まず父なる神のみ前に出て祈ることは、
私たちのクリスチャンとしての歩みを変えます。

生活の中で
生きて働かれる神を現実に体験し、
神の愛を深く具体的に
日々体験して
実感できるようになるからです。

あなたも朝、
まず父なる神のみもとに
主イエス・キリストの御名によって行き、
一時間、
主と共に時を過ごしましょう。

劇的に
あなたのクリスチャンライフは
変わることでしょう。

2020年2月23日日曜日

一時間祈る祝福


「あなたがたは、そんなに、

 一時間でも、わたしといっしょに

 目をさましていることができなかったのか。

 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。

 心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

         マタイの福音書264041



十字架にかかる前、
イエス・キリストは
ゲッセマネの園で
血のような汗を流して祈られました。

その時、
そのみそばに
主イエスが連れて行かれたのが
ペテロとヨハネとヤコブでした。
彼らは
イエスが苦しみ悶えながら
祈り悲しんでいる時、
石を投げて届くところにいました。
しかし眠りこけてしまったのです。

主イエスは
彼らのところに戻ってきたとき
言われたのです。

「あなたがたは、そんなに、
 一時間でも、わたしといっしょに
 目をさましていることが
 できなかったのか。
 誘惑に陥らないように、
 目をさまして、祈っていなさい。
 心は燃えていても、肉体は弱いのです」と。

一時間、祈ることを主イエス求めましよう。

最初は
一時間祈り続けるのは
難しいかもしれません。

少し祈ると祈ることが
出てこなくなるかもしれません。

でも、
イエス・キリストを信じたとき、
主イエスと共に
聖霊様があなたのうちに
住んでくださっています。

その聖霊様が
祈りをあなたに
教え導いてくださいます。

だから
とにかく一緒にいて
あなたを捨てず離れない
主イエスと共に
目を覚ましていましょう。

必ず一時間祈れるように
聖霊様が導き、
主イエスがしてくださいます。

そして、
一時間祈れるようになったとき、
あなたは祈りが
こんなに答えられるのかと驚くでしょう。

イエス・キリストが
あなたにとって
生きて働かれるまことの神として、
とても身近にいる方になられるでしょう。

2020年2月22日土曜日

イエスと共にいる


彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、

またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、

ふたりがイエスとともにいたのだ、

ということがわかって来た。

           使徒の働き413



ペテロとヨハネは
正式に学問を受けたことはありませんでした。
それで無学な、普通の人と言われています。

無学というのは
バカなという意味ではありません。
ただ正式には
学問を学んだことはなかったのです。
当時の人としては普通のことでした。
普通の漁師だったのです。

でも彼らが
イエスと共にいたということは
はっきりしていました。

イエスと共にいた、

だから彼らを通して
いやしと奇跡が起こっていました。

人々は彼らは無学な普通の人ではあるけれど、
イエスと共にいたのだということを知っていました。

イエスと共にいる、
それがいやしと奇跡のポイントでした。

私たちも
イエスといつも共にいるなら、
いやしと奇跡が起こるのです。

そして、
イエス・キリストは
信じる者と共に
いつもいてくださるのです。

さぁ、恐れずに
手を伸ばしていやしを行い、
神がなされる奇跡の業に預かりましょう。

2020年2月21日金曜日

与えることは永遠の喜び


『受けるよりも与えるほうが幸いである』

         使徒の働き2035



先日、アフガニスタンで殉教?した
ペシャワール会の中村哲さん、
アフガニスタンを愛し、
彼らのために人生を使い、
医療から初めて
その限界を感じて白衣を脱ぎ、
用水路を作って
砂漠に緑を回復させ荒地に水を流し、
人々に生活を取り戻された方です。
テレビの報道などで
一躍有名になられました。

でも彼がクリスチャンであったことは
そこまで知られていないようです。

彼には、
目の前にいた痛んだ人を
放っておけなかったのでしよう。

そして自分にできることを
与えて行ったときに、
あのように多くの人を生かす
素晴らしい人生になったのだと思います。

イエス・キリストを信じることは、
生き方を変えます。

受けること
自分が豊かになること、
自分が祝福されること、
それを求める人生から、

与えること、
人々を生かすことを願い
与える人生へと変えられていきます。

そして
その生き方は
多くの人を祝福し、
その人自身にも
喜びを与えてくれるのです。

その喜びは誰も奪えません。

命を奪ったテロリスト達も
彼の喜びを
奪うことはできませんでした。

彼は永遠に生き
永遠の喜びを持っていたからです。

2020年2月20日木曜日

しばらくの苦しみのあとに


あらゆる恵みに満ちた神、

すなわち、あなたがたをキリストにあって

その永遠の栄光の中に

招き入れてくださった神ご自身が、

あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、

堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

          ペテロの手紙 第一 510



神の祝福を受けるには、
忍耐が必要なことが多いようです。
いつもというわけではありませんが、
しばらく苦しみを通ることがあります。
その苦しみの中で、
私たちは神様をさらに深く知り、
神の愛に出会うのです。

苦しみを通ったあと、
私たちの信仰は
より堅く確かなものとなり
不動の者としてくださるのです。

ですから、
苦しみに会うことを恐れてはいけません。

私たちの信じている神は
愛と恵みに満ちておられます。

この方を信頼して、
忍耐を持って、
主の祝福を待ち望みましょう。

2020年2月19日水曜日

信仰に立ち、悪魔に立ち向かう


堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。

          ペテロの手紙第一 59



悪魔に対して、私たちは、
どう対処すればいいのでしょうか。
多くの場合、恐れて
逃げたり引いてしまう方が多いようです。
しかし聖書は言っています。

「堅く信仰に立って、
 この悪魔に立ち向かいなさい」と。

悪魔には立ち向かうのです。
逃げてはいけません。

では立ち向かうとは
どうすればいいのでしょう。
それは堅く信仰に立つことです。
堅く信仰に立つとは、
神のことばに立つことですね。

具体的には、
まず自分の罪を悔い改めること、
悪魔、サタンの好物は罪です。
罪を握り続けていると
サタンに狙われ食い尽くされてしまいます。
だからまず悔い改めること、

そして、すべてを感謝すること、
徹底して、すべてのことに感謝をするのです。
理解できないことや
神がいたらどうして
こんなことが起こるのかと思うことも、
神が愛なら何故
こうなったんだと思いたくなることも
すべてを感謝するのです。

神様はあなたを愛しておられます。
命をかけて愛してくださつています。
どこまでも限りなく・・・

でも神様は
私たちよりはるかに大きく高く深いのです。
だから
目の前のことしかわからない
私たちには時として、
その愛がわからなくなることもあります。

でものちの日になって、
それがどれほど大きな愛であったかは
必ずわかります。

だから、今わからなくても、
感情がついていかなくても、
すべてを感謝するのです。

そのとき敵である悪魔は逃げていきます。

そして語られ示されている
神のことばに従うのです。

そのとき主の圧倒的な勝利が現されます。
神の完全な圧倒的な勝利を見ることができます。

2020年2月18日火曜日

敵は悪魔、サタン!!!!!!


身を慎み、目をさましていなさい。

あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、

食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

                                           ペテロの手紙第一 58



私たちの人生を破壊しようとしている敵がいます。
それは悪魔、つまりサタンです。

でも多くの場合、
まるで私たちは目の前にいる人が
敵のように思ってしまうのです。

身近にいる人、夫や妻、親や子ども、
上司や部下、同僚や仲間が
敵のように思えてしまうことがあります。

教会さえも分裂して敵対し合うのです。

それこそが敵である悪魔の策略なのですが・・・

私たちは気付かずに
サタンに惑わされ
乗せられてしまうのです。

そして本来愛するべき人を憎んだり、
一つになるべき人と争って
分裂したりしてしまいます。

もう、私たちは目を覚まし、
これ以上、
敵であるサタンの策略に
乗ることはやめましょう。

敵はサタンです。

敵は悪魔なのです。

妻も夫も、親も子どもも
大切な神が与えてくださった
愛すべき人なのです。

教会は神の家族であり、
心を一つにして
共に戦うべき同労者・戦友なのです。
彼らは敵ではありません。

神が与えられた家族、そして友です。

目を覚まして、
主イエスのみ前にへりくだり、
主にすがり、
敵である悪魔に立ち向かっていきましょう。

神が戦ってくださり、
必ず勝利を与えてくださいます。

2020年2月17日月曜日

神の霊によって


『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』

             ゼカリヤ書46



私たちは、自分の力や能力、
あるいは自分が属している集団やグループの力や影響力、
あるいは権力によって、物事を進め、完成しようとします。

でも、それではうまくいかないことが多いのです。
もちん、それでうまくいくこともあるでしょう。
権力があり能力もあれば、
多くのことを成し遂げることもできるかもしれません。

でも、神さまの働き、
永遠の命が生み出され、
神の国が広まっていくことは、
人の能力や権力では、全くできないのです。

素晴らしいお話やメッセージは
人々の心を動かし感動させます。

力強い賛美の声や透き通った歌声は
人の心を癒し涙が流れます。

でも、人の霊を救い、命を与えることは
どんなに素晴らしい歌も声もお話もできないのです。

神様が働いて下さらなければ、
つまり、聖霊が働く時に、
人は初めてイエスをキリストと信じることができます。

そして全く新しい命の中に入り
永遠の存在として
生きる喜びを見出すのです。

これは神の働き、奇跡です。
神の霊によってしかできないのです。

だから、私たちは神様にすがり求め、
神の霊である聖霊様に
力強く豊かに働いていただきましょう。

その時、
私たちがどんなに不十分で弱くても、
神の愛と力が流れ、
神の奇跡の御業が起こり現されるのです。

2020年2月16日日曜日

みことばはイエス・キリストに出会い知る近道


いま私は、あなたがたを

神とその恵みのみことばとにゆだねます。

みことばは、あなたがたを育成し、

すべての聖なるものとされた人々の中にあって

御国を継がせることができるのです。

        使徒の働き2032



イエス・キリストを知る近道は、
聖書に触れることです。

聖書をただ読むのではなく、
心で読むことです。

聖書を知識として
読んで知っている方はいます。
もちろん知識も必要でしょう。

でも、
聖書は神様からの
私たち一人ひとりへのラブレターです。

心を開いて
聖書のみことばを心で読むとき、
その深い愛と意味がわかります。

そして
イエス・キリストというお方と
みことばを通して出会い、
体験することができるのです。

そのとき
主イエスの愛の高さ・広さ・深さを
深く深く知ることができるのです。

2020年2月15日土曜日

神の招きーマケドニヤコール


ある夜、パウロは幻を見た。

ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、

「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」

と懇願するのであった。

           使徒の働き169



パウロは同労者たちと
アジアに行って
み言葉を語ろうとしました。
すると、
アジヤでみことばを語ることを
聖霊によって禁じられたのです。

そこで、今度は
ムシヤに面した所に来たときに、
ビテニヤの方に行こうとしました。
しかし、イエスの御霊が
それをお許しになりませんでした。

それで彼らはムシヤを通って、
トロアスに下りました。
ある夜、パウロは幻を見ました。
ひとりのマケドニヤ人が
彼の前に立って
「マケドニヤに渡って来て、
 私たちを助けてください」
と懇願する幻でした。

パウロはこの幻を見たとき、
神がマケドニヤで
福音を語るように招かれている
と確信しました。

そこで彼らはただちに
マケドニヤに
出かけることにしたのです。

私たちも自分が行こうとしている道を
神様に止められることがあります。
しかし、そのストツプに従うと、
神の時に、神様が用意している道に、
神様は私たちを導いてくださるのです。

そして、その道が最善で最高の道なのです。

2020年2月14日金曜日

ためらわずに主のことばに従う


『神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。』

            使徒の働き119



ペテロはヨッパの町で祈っているとき、
うっとりと夢ごこちになり、幻を見ました。

四隅をつり下げられた
大きな敷布のような入れ物が
天から降りて来て、
ペテロのところに届いたのです。

その中を見てみると、
地の四つ足の獣、野獣、はうもの、
空の鳥などが見えました。
そして

『ペテロ。さあ、ほふって食べなさい。』

と言う声が聞こえたのです。
ペテロは

『主よ。それはできません。
 私はまだ一度も、
 きよくない物や汚れた物を
 食べたことがありません。』

と言いました。
すると、もう一度天から声がして

『神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。』

というお答えがありました。
こんなことが三回あって後、全部の物が
また天へ引き上げられていきました。

すると、ちょうどそのとき、
カイザリヤから
ペテロのところへ三人の人が、
遣わされてきたのです。

御霊はペテロに、ためらわずに
その人たちといっしょに行くように、
と言われました。

そこで、
ペテロは彼らと一緒に行き、
その人の家にはいって行って、
話し始めていると、
聖霊が、あの最初のとき
ペテロたちにお下りになったと同じように、
彼らの上にもお下りになったのです。

異邦人にも主は、
聖霊によってバプテスマを授けられたのです。

これはペテロにとっては驚きでした。
当時のユダヤ人たちにとって、
異邦人も神に愛されていて、
神が救われるということは、
考えたこともなかったことでしょう。

しかし主が
神がきよめたものをきよくない
と言ってはならないと言われ、
ためらわずに彼らと一緒に行きなさい
と言われました。

ペテロはその言葉に従って、
自分の持っていた
枠と壁を越えていきました。

私たちも自分の持っている範囲を、
主イエスが語られるとき、
そのことばに従って
枠を超え、壁を突き抜けて
進んでいきましょう。

その時、
主の働きと愛が
大きく広く流れ出し現れていくのです。