2019年12月31日火曜日

死こそ祝福への道、最善最高の道


兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。

これは、私たちの主キリスト・イエスにあって

あなたがたを誇る私の誇りにかけて、

誓って言えることです。

       コリント人への手紙 第一 1531



この聖書の言葉、みことばは、
かつて長崎エルサレム教会にいた方が
携帯とパソコンの待ち受け画面に
書いていたみことばです。
彼はそのあと、東京に遣わされ、
いま東京アンテオケ教会で牧師の一人として
とても祝福されて用いられています。
彼にとって長崎にいる時は、
毎日が死の連続だったのでしょう・・・???
というと、長崎にいたときは
とても大変だったと思われるかもしれません。
確かに楽な毎日ではなかったことでしょう。

でもパウロは、
このみ言葉の後にこう続けています。
「これは、
 私たちの主キリスト・イエスにあって
 あなたがたを誇る私の誇りにかけて、
 誓って言えることです。」と。
言い換えればパウロはあなた方、
つまりコリントの人たちを本当に愛しており、
毎日、その愛のゆえに死を選び続けたことは
自分の誇りだと言っているのです。
自分に死ぬとは、つまり、
自分のやりたいことをするのではなく、
主イエスが導かれること
言われることに従いそれをする、
自分のやり方や考え方を捨てて、
主キリストが導かれる方法でする
ということです。

でもそれは自分にとっても
相手にとつても一番いいのです。
ただそのとき、
確かに私たちは自分のプライドや
自分中心の生き方に
死ななければいけません。
主イエス・キリストが
一番となり、中心となるからです。
でもそれこそが最高の生き方、
最善の道であることは
のちになれば明らかになります。
そして決して後悔しないことでしょう。
それどころか、最高の宝物になります。

彼にとって
長崎で死を毎日通ったことは、
彼の人生の宝物になったことでしょう。

2019年12月30日月曜日

主イエスの十字架の恵みによって生きる


そこで、わが子よ。

キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。

        テモテへの手紙 第二 21



パウロは
弟子でもあり同労者であったテモテに
「我が子よ」と呼びかけ
「恵みによって強くなりなさい」
と語りかけます。

主の働きをする時、いろんな戦いがあります。
その中で弱さを覚え
力のなさや足りなさを感じることは
しばしばあります。

パウロはテモテに、
自分で頑張るのではなく、
何とかしようとするのではなく、
主イエス・キリストの十字架を見上げ、
その恵みによって強くなるようにと言いました。

恵みというのは
受けるに値しない者が
受けることを言います。
100円しかないのに、一万円のものを、
あるいは100万円するものを買えるとしたら、
それはとても大きな恵みです。

神様は私たちに
イエス・キリストというお方を
与えてくださったのです。
その計り知れない恵みに
より頼みなさいと言っているのです。

私たちは自分の力で頑張る時、
限界があります。
イエス・キリストの十字架を見上げ、
この十字架の恵みの中で、
神ご自身により頼む時、
うちに住まわれる聖霊様が
私たちのうちに力を与え、
私たちを通して愛を流してくださるのです。

自分に限界を感じるなら、
それは正しく当然なのです。
しかし、あきらめてはいけません。

主イエス・キリストが
私たちにはいつも共にいてくださるのです。
このお方、十字架にかかるほどにまで
私たちわ愛してくださった方により頼み、
この方の恵みによって強くされ
歩んでいきましょう。

2019年12月29日日曜日

十字架の死にまで従われたキリストのあなたへの愛


キリストは人としての性質をもって現われ、

自分を卑しくし、死にまで従い、

実に十字架の死にまでも従われたのです。

        ピリピ人への手紙28



神のひとり子であられた
イエス・キリストは「神」であられました。
神は霊であり、時間を創造された方です。
その方が時間の中に入ってこられ、
霊なる方が、私たちと同じ肉(体)を
持ってくださったのです。
これを受肉と言います。

神が人になられた。
それだけでも、ものすごい謙遜で、
私たちを本当に愛しておられたのです。

ところが、それだけではなく、
死とは全く関係のない
罪と関わらなかったイエス・キリストが、
罪の結果である死を引き受けられたのです。

しかも十字架という
最も深く重く厳しい裁きである十字架を。
それはその時代だけではなく、
今に至るまで、
この十字架よりひどい死刑はないでしょう。
その十字架の死にまで従われたのです。
あなたと私を救うために。
人間が再び
生けるまことの神の愛に気づき
祝福を豊かに受けることが
できるようになるために。

イエス・キリストは
あなたを愛しています。
私たち人間を命をかけて
愛してくださいました。
その愛は今も変わりません。

このキリストの愛の中に、
あなたも来て、
平安と喜びの中を生きましょう。

永遠に・・・。

2019年12月28日土曜日

あなたと私を生かす主イエスの愛


         彼は、

自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、

       満足する。

                                     

                                        イザヤ書5311



イエス・キリストは、
自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、
満足します。

それによって多くの人が赦され、
義とされ、
救われて神の子とされるからです。
イエス・キリストの十字架によって、
どうしようもない罪人である私たち人間が、
まったく一度も罪を犯していない
神の子として、
父なる神から祝福を
豊かに溢れるほどに
受けれるようになるのです。

それを主イエスは喜ばれ、
満足されるのです。
イエス・キリストも
私たち一人ひとりを
本当に愛しておられるのです。

だから十字架で
私たちの咎をになわれました。

あなたと私を生かし、あなたと私が
主の祝福の中で、輝く人生を歩めるために。

2019年12月27日金曜日

主である神の愛の深さ・大きさ


しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。

もし彼が、自分のいのちを

罪過のためのいけにえとするなら、

彼は末長く、子孫を見ることができ、

主のみこころは彼によって成し遂げられる。

         イザヤ書5310



イエス・キリストを砕いて、痛めること、
それは主の御心でした。
イエス・キリストを十字架につけ、
私たちの罪過のためのいけにえとすることは
父なる神の御心だったのです。
そうするしか
私たち罪にまみれ汚れきってしまった人間を
救い出す道はなかったのです。
キリストが十字架にかかり
自分の命を罪過のためのいけにえとするなら、
私たち人間が悔い改めて信じる時、
私たちは赦され義とされ救われるのです。

そして神のみ心は、キリストによって
成し遂げられ全うされました。

父なる神は、
一人このイエス・キリストを
砕いて痛めることを御心とされました。

それは主であられた神が
私たちを愛しておられたからです。

キリストの命を代価にしてまでも、
あなたを赦し、
私を救い出されようとされたのです。

それほどまでに、
私たち人間を愛してくださったのです。
あなたを、私を、愛してくださったのです。

2019年12月26日木曜日

痛みと苦しみの中で口を開かれないキリスト


彼は痛めつけられた。

彼は苦しんだが、口を開かない。

ほふり場に引かれて行く小羊のように、

毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、

彼は口を開かない。

        イザヤ書537



キリストは、
あの十字架の上の痛みと苦しみの中で
口を開かれませんでした。
叫ぶ事も呻くこともせず、
その痛みを引き受け
苦しみを飲み込まれたのです。

イエスは十字架の上で、
私たちの罪のとりなしを祈り
赦しを語り、
私たちの代わりに叫ばれました。

しかし、どんなに肉体が痛んでも、
心が苦しんでも、
彼は口を開かなかったのです。

私たち人間は、痛みの中で叫び、
苦しみの中でつぶやき、文句を言います。
何かにぶつけなければ
自分が持たなくなります。

イエス・キリストは
口を開かれませんでした。
ゲッセマネで
血のような汗を流して
祈られた主イエスは、
十字架の上では
口を開かれなかったのです。

この方が神でなくて
一体どこに神がおられるのでしょう。

イエスは病人をいやし、
奇跡を行われました。
しかし、
この苦しみと痛みの中で
口を開かれなかったキリストこそ、
まことの神、神のひとり子なのです。

このイエス・キリストを信じ、
キリストに目を向け、
この方を愛して、
主イエスと共に歩んでいきましょう。

2019年12月25日水曜日

自分かってな道をさまよう者を救われる主


私たちはみな、羊のようにさまよい、

おのおの、自分かってな道に向かって行った。

しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

           イザヤ書536



人は誰しも自分の正しいと思う道を、
あるいは自分がやりたいと思うことを、
自分かってに歩んでいます。
そしてその刈り取りを
しなければいけなくなります。
しかし、その咎を神さまは
すべてイエス・キリストの十字架に
負わせられました。

だから、そのキリストを信じるとき、
私たちは赦され、義とされ、
神の子となるのです。

しかし、キリストを信じた後も、
私たちは時として
自分かってな道に
向かっていくことがあります。
後の日に、その刈り取りを
しなければならなくなる時、
神さまはそのすべての咎も
キリストの十字架に負わせてくださるのです。

私たちが悔い改めて
キリストの十字架を信じる時、
私たちは赦され、義とされて
神の子として豊かに祝福を
受けることができるのです。

2019年12月24日火曜日

主イエスの十字架によりいやされ平安が与えられる


彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、

彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

         イザヤ書535



イエス・キリストは
私たちの罪のために十字架で刺し通され、
私たちの咎のために十字架の上で砕かれました。

十字架でイエス・キリストが
私たちに代わって懲らしめを受けられたので、
私たちに平安が与えられ、
十字架の上で
イエス・キリストが受けた打ち傷によって、
私たちはいやされたのです。

この平安は神がともにいる平安です。
お金があるから、
将来が保証されているから
安心というのではありません。
どんな状況の中でも、
神が共にいてくださるから大丈夫と
心から安心できる平安、
シャロームのことです。

イエス・キリストの十字架を信じる時、
私たちは、その平安、シャロームと
いやしを受けることができるのです。

あなたが信じるなら、
いやされ平安が与えられます。

2019年12月23日月曜日

最高のクリスマスプレゼント


彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、

  悲しみの人で病を知っていた。

         イザヤ書 533



旧約聖書のイザヤ書53章は
メシア(救い主)の預言といわれています。
そしてここに書かれているのは、
イエス・キリストのことです。

イエス・キリストはさげすまれ、
人々からのけ者にされました。
人々をいやし慰め、助け
命を与えてよみがえらせました。
それにもかかわらず、
十字架につけられ殺されました。
私たち一人一人の罪を購い、
私たち一人一人を赦して、
義とし神の子とするために。

イエス・キリストは
悲しみの人で病を知っていました。
悲しみの人という言葉は
「痛みを知っている人」とも訳せる言葉です。

まさにイエス・キリストは
痛みを知っておられました。

あなたが今、
どんな悲しみの中にいても、
どうしようもない痛みの中で
苦しんでいたとしても、
イエス・キリストは、
それを本当にわかってくださいます。
そしてあなたに寄り添い、
その悲しみと痛みからあなたを救い出し、
天の喜びと主イエスが共にいる平安で
満たしてくださいます。

イエス・キリストは病気を
その身に引き受けてくださいました。
十字架であなたの病気を
引き受けてくださったのです。
あなたの病気がいやされ、
すべての災いから解放されるために。

イエス・キリストは
あなたを愛しておられます。
あなたがイエス・キリストを信じ、
心に迎え入れる時、
イエス・キリストは
あなたの中に来てくださり
あなたと共に永遠にいてくださいます。
あなたから離れることは決してありません。

さぁ、
イエス・キリストを信じて
心に迎え入れましょう。

イエス・キリスト、この方に勝る
クリスマスプレゼントはありません。

2019年12月22日日曜日

イエス・キリストの十字架の恵みと愛


なぜなら私は、あなたがたの間で、

イエス・キリスト、

すなわち十字架につけられた方のほかは、

何も知らないことに決心したからです。

      コリント人への手紙 第一 22



パウロは、
律法についてはパリサイ派に属する
とても博学な熱心なユダヤ教徒でした。
しかも日本の国会に当たる
サンヘドリンの議員であり、
とても知識と知恵に富んでいました。

しかしパウロは、
イエス・キリストしか知らないことに
決心したと言いました。
しかもイエス・キリストとは、
つまり十字架につけられた方のことであり
そのほかは何も知らないことに決心した
と言っているのです。

それほどイエス・キリストとの出会い、
そしてキリストの十字架の赦しと愛に
彼は捕らえられ、
これに勝るものは何もないということに
気がついたのです。

イエス・キリストは
あなたのためにも十字架に
かかってくださいました。
イエス・キリストは
あなたを愛しておられます。
永遠の愛を持って
あなたを愛されたキリストは、
あなたの罪をその身に負って、
あなたの身代わりになって
十字架につけられ、殺され、
地獄であるよみに降られました。
あなたを救い贖うためです。

あなたが自分の罪を悔い改めて
このイエス・キリストの十字架を
信じるとき、あなたは赦され、義とされ、
つまり一度も罪を犯したことのない者として
神は見てくださり、神の子となれるのです。

パウロは
その愛の深さと恵みの大きさを
体験したのです。
だからイエス・キリストの十字架のほかは
知らないことに決心したのです。

あなたも
その愛の深さ恵みの大きさを
豊かに体験することでしょう。

2019年12月21日土曜日

主イエスの招き


「こわがらなくてもよい。

 これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」

          ルカの福音書510



ガリラヤ湖のプロの漁師であったシモン・ペテロは
「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」
と言われたイエスのことばに従って、網をおろし、
そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、
網は破れそうになりました。

夜通し働いても何一つとれなかったペテロが、
イエスのおことばどおり、
網をおろし、そのとおりにすると、
別の舟にいた仲間の者たちに助けに来てもらい、
両方の舟いっぱいになって、
二そうとも沈みそうになるほど、大漁になりました。

これを見たシモン・ペテロは、
イエスの足もとにひれ伏して
「主よ。私のような者から離れてください。
 私は、罪深い人間ですから」
と思わずも言いました。それは仲間であった
ゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じでした。

しかしイエスはシモンにこう言われたのです。
「こわがらなくてもよい。
 これから後、
 あなたは人間をとるようになるのです。」

彼らは、舟を陸に着けると、
何もかも捨てて、イエスに従いました。

あなたも
イエス・キリストのことばに
従って踏み出してみましょう。
神の業を見て驚くことでしょう。
そのとき自分の罪深さや汚れに
気づくかもしれません。
でもそのとき、
主イエス・キリストは
そのあなたを招いてくださるのです。

神が計画されている、祝福されるあなたの人生に。

2019年12月20日金曜日

町々に出ていく


しかしイエスは、彼らにこう言われた。

「ほかの町々にも、

 どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。

 わたしは、そのために遣わされたのですから。」

          ルカの福音書443



イエス・キリストが人々をいやし、
祝福されているのを見た群衆は、
みもとに来て、
イエスが自分たちから離れて行かないよう
引き止めておこうとしました。
しかしイエスは、彼らにこう言われました。

「ほかの町々にも、
 どうしても神の国の福音を
 宣べ伝えなければなりません。
 わたしは、そのために遣わされたのですから。」

そしてユダヤの諸会堂で、
福音を告げ知らせられました。

イエスは、町々をめぐって
福音を宣べ伝えられました。
私たちも、キリストの足跡に従って、
町々に出て行きましょう。
その時、主は共に働いてくださり、
神の言葉を確かにしてくださいます。

そして、全世界に出て行って、
すべての造られた者に
福音を宣べ伝えるという
主イエスの命令に従って行く時、
しるしと不思議をともなう宣教が始まるのです。

2019年12月19日木曜日

紅海を割り、イスラエルを救い出された主


主があなたがたのために戦われる。

あなたがたは黙っていなければならない。

        出エジプト記1414



主は出エジプトしたイスラエルの民を、
まっすぐカナンの地には導かれませんでした。
モーセに告げて、
まるで荒野を迷っているかのように導き、
紅海の手前の海辺で宿営させたのです。

それを見たエジプトのパロは
『彼らはあの地で迷っている。
 荒野は彼らを閉じ込めてしまった。』
と言い、戦車を整え、自分でその軍勢を率い、
えり抜きの戦車六百とエジプトの全戦車を、
それぞれ補佐官をつけて率いて
イスラエル人を追跡して来たのです。
そして紅海の手前の海辺に
宿営しているイスラエルに追いつきました。

イスラエル人は非常に恐れて、
主に向かって叫び、モーセに言いました。
「エジプトには墓がないので、
 あなたは私たちを連れて来て、
 この荒野で、死なせるのですか。
 私たちをエジプトから連れ出したりして、
 いったい何ということを
 私たちにしてくれたのです。
 私たちがエジプトであなたに言ったことは、
 こうではありませんでしたか。
『私たちのことはかまわないで、
 私たちをエジプトに仕えさせてください。』
 事実、エジプトに仕えるほうが
 この荒野で死ぬよりも
 私たちには良かったのです。」

イスラエルの民は本当に怖かったのでしょう。
それで過去を懐かしみ、
つぶやいてしまいました。
しかしモーセは民に向かって言いました。
「恐れてはいけない。しっかり立って、
 きょう、あなたがたのために行なわれる
 主の救いを見なさい。
 あなたがたは、きょう見るエジプト人を
 もはや永久に見ることはできない。
 主があなたがたのために戦われる。
 あなたがたは黙っていなければならない。」と。


主はモーセに仰せられました。
「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。
 イスラエル人に前進するように言え。
 あなたは、あなたの杖を上げ、
 あなたの手を海の上に差し伸ばし、
 海を分けて、イスラエル人が
 海の真中のかわいた地を進み行くようにせよ。
 見よ。わたしはエジプト人の心をかたくなにする。
 彼らがそのあとからはいって来ると、
 わたしはパロとその全軍勢、
 戦車と騎兵を通して、わたしの栄光を現わそう。
 パロとその戦車とその騎兵を通して、
 わたしが栄光を現わすとき、
 エジプトはわたしが主であることを知るのだ。」

あなたがモーセなら、主の言われる通り、
杖をあげ手を海の上に手を伸ばしますか。

モーセは主の言われた通り、
手を海の上に差し伸ばしました。
すると、一晩中強い東風で海を退かせ、
海を陸地とされ、水は分かれたのです。
イスラエル人は海の真中のかわいた地を、
進んで行来ました。
水は彼らのために右と左で壁となりました。
イスラエルは
紅海が割れるという奇跡を目の当たりにし、
その中を通っていくのです。

エジプト人も追いかけて来て、
パロの馬も戦車も騎兵も、
みな彼らのあとから海の中にはいって行きました。
しかし、イスラエルが渡りきった後、
モーセが主に言われて
再び手を海の上に伸ばすと、
海は元どおりに戻り、エジプト軍は全滅します。

神が戦ってくださり、
完全な勝利を与えられたのです。

あなたの前にも今、紅海があるかもしれません。
しかし主は、その紅海をわり、
あなたを助けて、
奇跡を現して勝利と祝福を与えてくださるのです。

2019年12月18日水曜日

キリストを信じるとき、神の子どもになる


あなたがたはみな、

キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。

         ガラテヤ人への手紙326



イエス・キリストの十字架を信じた時、
私たちは神の子となりました。
自分の罪を悔い改めて
イエス・キリストの十字架を信じた時、
義とされました。

義とされるとは、
一度も罪を犯したことのない者として
神から祝福を受けることができるということです。
信じる時です。
ただ信じるだけでいいのです。
信じる時、赦され神の子とされるのです。

あなたは神に愛されています。
この上もなく愛されています。
神さまはあなたを祝福されます。
豊かに祝福してくださいます。
神の子どもとされたからです。

ですから、大胆に神に求めましょう。
祈りましょう。
どんな困難や問題があったとしても、
辛いことや悲しいことが許されたとしても、
すべてのことに感謝して、
イエス・キリストの名によって
大胆に求め祈りましょう。

あなたを愛しておられる主は、
その求めと祈りに応えてくださいます。
悲しみを喜びに変え、
呪いを祝福に変え、
問題や困難に解決と勝利を与えてくださいます。

2019年12月17日火曜日

あなたにも聖なる神の霊があれば出来る!!


しかし、あなたにはできる。

あなたには、聖なる神の霊があるからだ。

        ダニエル書418



ネブカデネザル王は一つの夢を見ました。
それが、王を恐れさせたのです。
それで、王は命令を下し、
バビロンの知者を
ことごとく彼の前に連れて来させて、
その夢の解き明かしをさせようとしました。
しかし呪法師、呪文師、カルデヤ人、
星占いたちには
その夢の解き明かしはできなかったのです。

しかし最後に、ダニエルが王の前に来ました。
――彼には聖なる神の霊がありました。――
王はその夢をダニエルに告げ、言いました。

「あなたはその解き明かしを述べよ。
 私の国の知者たちはだれも、
 その解き明かしを私に知らせることができない。
 しかし、あなたにはできる。
 あなたには、聖なる神の霊があるからだ。」と。

そしてダニエルは、
王にその夢を解き明かしました。

ダニエルにはできたのです。

それは彼には神の霊があったからです。
聖なる神の霊が、ダニエルに、
誰にもできなかった夢の解き明かしを
導いたのです。

イエス・キリストを信じるとき、
このダニエルに与えられていた
聖なる神の霊が
あなたにも与えられます。

聖霊は、自分の罪を悔い改めて
イエス・キリストの十字架を
信じる者の内に宿り住んでくださるのです。

そしてその人を愛し、導き、
神の愛の中で、恵みを注ぎ
奇跡を現してくださいます。

2019年12月16日月曜日

律法ではなく、キリストを信じる信仰によって生きる


私はキリストとともに十字架につけられました。

もはや私が生きているのではなく、

キリストが私のうちに生きておられるのです。

いま私が、この世に生きているのは、

私を愛し私のためにご自身をお捨てになった

神の御子を信じる信仰によっているのです。

        ガラテヤ人への手紙220



パウロは神に生きるために、
律法によって律法に死にましたと言いました。
彼はかつて律法を厳格に守り、
律法によって生きていました。
しかし、その律法の行ないによっては
決して義とされることはないことを
パウロ走りました。

ただイエス・キリストを信じる
信仰によってのみ人は義とされるのです。
イエス・キリストが
律法を完全に全うしてくださり、
その上で私たち人間の一人一人の
罪の身代わりとなって
十字架で罰と裁きを受け死んでくださり、
よみに降られたからです。

このキリストの十字架の前で悔い改め、
イエスをキリストと信じるなら、
その信仰によって義とされ、
告白して救われるのです。

パウロは
このキリストの十字架を信じました。
その時、キリスト共に
罪人である自分自身は十字架につけられ、
自分にはもう死んだのでした。
もはやパウロが生きているのではなく、
キリストがパウロの中に生きておられるのです。
パウロを愛し、
パウロのために
ご自身をお捨てになった
神の御子であられるキリストを
信じる信仰によって
パウロは生きているのです。

そして、
それは私もあなたも同じです。
イエス・キリストの十字架を
悔い改めて信じたとき、
あなたも私も自分自身は
十字架につけられ死んだのです。
そしてあなたと私の中に
イエス・キリストが生きておられるのです。

いま、あなたと私が、
この世に生きているのは、
あなたと私を愛し、
あなたと私のために
ご自身をお捨てになった
神の御子を信じる信仰によっているのです。

2019年12月15日日曜日

いつでも、どこでも聖なる神の臨在の中に


神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。

                                マルコの福音書15章38



イエスは午前9時に十字架につけられました。
12時になっとき全地が暗くなり、
午後3時まで続きます。
イエスは大声で
「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。
(わが神、わが神。どうしてわたしを
 お見捨てになったのですか)」と叫ばれ、
もう一度、
大声をあげられて息を引き取られました。
その時、
神殿の幕が上から下まで真二つに裂けたのです。

神殿の幕は聖所と至聖所を仕切っている
とても分厚いもので
簡単には普通破れたりは決してしません。

至聖所というのは、神が臨在される場所で、
一年に1回だけ、
大贖罪日に大祭司が入ることができました。
その幕が真っ二つに裂けたということは、
イエス・キリストの十字架によって、
誰もが、いつでも、どこでも、
神の臨在の中に入れるようになった
ということを意味します。

イエス・キリストの十字架を
自分の罪の身代わりだったと信じる者は、
罪が赦されて、いつでも、
どこでも聖なる神の臨在の中に入れるのです。

神である主と共にいることが
できるようになったのです。

主イエス・キリストを信じている者は、
いつも主である神が共におられます。

聖なる神の臨在の中で、
神の愛を受け、
癒しと奇跡を見ることができるのです。