2019年9月30日月曜日

イエス・キリストの名によって求め喜びにみちみちる答えを受ける


あなたがたは今まで、何も

わたしの名によって求めたことはありません。

求めなさい。そうすれば受けるのです。

それはあなたがたの喜びが

満ち満ちたものとなるためです。

       ヨハネの福音書1624


イエスは弟子たちに
「あなたがたは今まで、何も
 わたしの名によって求めたことはありません」
と言われました。
弟子たちも父なる神に祈っていたと思います。
ただ私の名よって、
つまりイエス・キリストの御名によって
祈ることをまだ知らなかったのでしょう。
イエスは続けて言われます。
「求めなさい。そうすれば受けるのです。
 それはあなたがたの喜びが
 満ち満ちたものとなるためです」と。
つまり、イエス・キリストの名によって求め、
父なる神から祈りの答えを受け、
喜びに満たされることは、
主イエスの喜びでもあり御心なのです。
私たちが大胆に父なる神さまに、
イエス・キリストの名によって求め、
喜びが満ち満ちるような
祈りの答えを受けることは、
父なる神の御心であり、
主イエスも喜んでくださることなのです。

さぁ、ためらわず、
大胆に主イエス・キリストの名によって、
父なる神に求めましょう。
主は必ず喜び踊りたくなるような
最高の答えを与えてくださいます。

2019年9月29日日曜日

何でも与えてくださる父なる神さま


まことに、まことに、あなたがたに告げます。

あなたがたが父に求めることは何でも、

父は、わたしの名によって

それをあなたがたにお与えになります。

          ヨハネの福音書1623


イエスは言われました。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。
 あなたがたが父に求めることは何でも、
 父は、わたしの名によって
 それをあなたがたにお与えになります」と。

「まことにまことに」というのは、
とても大切なことを言う時に
イエス様が言われる言葉で
アーメン、アーメンという意味です。
いいですか、注意してよく聞きなさい。
とても大切なことを話しますよ。
ということですね。

この時語られた大切なこととは何かというと、
あなたがたが、つまり私たちが
父に、父なる神さまに求めることは何でも、
父なる神さまは、私の名よって、
つまりイエス・キリストの名によって、
私たちに与えてくださると言われたのです。
私たちが父なる神さまに、
イエス・キリストの名によって求めるなら、
父なる神さまは与えてくださるのです。
何でもです。
もちろん主の御心にかなえばという
大前提がありますが、
主の御心は、そんなに小さくはありません。
私たちは大胆に遠慮なく、
イエス・キリストの名によって、
イエス・キリストの十字架の恵みの中で、
父なる神さまに求めるのです。
経済、お金、健康、癒し、仕事、学業、
どんなことでも構いません。
もっと大胆に遠慮なく
本当に必要なものを求めましょう。
その時、
神さまの愛の深さと
神のことばの真実を体験するでしょう。

2019年9月28日土曜日

全く新しくされたサマリヤの女からリバイバルが!!!


そして彼らはその女に言った。

「もう私たちは、あなたが話したことによって

 信じているのではありません。

 自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと

 知っているのです。」

           ヨハネの福音書442



イエスと出会ったサマリヤの女は、
自分の水がめを置いて町へ行き、
人々に言いました。
「来て、見てください。
 私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。
 この方がキリストなのでしょうか」
これは奇跡です。
人目を避け、
1人で水を汲みにきていたこの女が、
水がめを置いて、
避けていた人々のところに行ったのです。
みんなをイエスのところに連れてくるために、
私の出逢ったイエスがキリストだ、
救い主だと伝えに行ったのです。
こんなことは普通はしません。
出来ません。
ところが、このサマリヤの女は
自分を蔑み自分も避けていた人たちのところに
伝えに行ったのです。
この女は全く新しくされていました。

この女の話を聞いた彼らは町を出て、
イエスのほうへやって来ました。
これも奇跡です。
昨日までは、この女を避けていた人々、
きっとこの女が近づいてきて話しても
「あっちに行け」と
罵声をあびせたに違いありません。
ところが、
みんなこの女の話を聞いて
イエスのところに来るのです。
この女の表情、眼差し、言葉、
全てが昨日までとは違っていたのでしょう。
だから、本当かもしれない、
この女をこんなに変える方は
キリストに違いないと
人々はキリストのところにやって来たのです。

そして、
その町のサマリヤ人のうち多くの者が
「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」
と証言したその女のことばによって
イエスを信じたのです。
サマリヤ人たちはイエスのところに来て、
自分たちのところに滞在してくださるように願いました。
そこでイエスは二日間そこに滞在されました。
すると、さらに多くの人々が、
イエスのことばによって信じました。
彼らはその女に言いました。
「もう私たちは、
 あなたが話したことによって
 信じているのではありません。
 自分で聞いて、
 この方がほんとうに世の救い主だと
 知っているのです」

サマリヤの町にリバイバルが起こりました。
サマリヤで最も見下げられていた女を通して、
サマリヤの町に救いのリバイバルが起こったのです。

イエス・キリストは
このサマリヤの町を愛し、
サマリヤの女を救い、この町を救われたのです。

2019年9月27日金曜日

イエスの愛と憐れみに満ちたことばと眼差し


神は霊ですから、神を礼拝する者は、

霊とまことによって礼拝しなければなりません。

          ヨハネの福音書424



サマリヤの女と会うために、昼の暑い中、
イエスは普通ユダヤ人が通らないサマリヤを通り、
サマリヤにあるヤコブの井戸の傍に腰を下ろされました。
そこへサマリヤの女が水をくみに来ました。
イエスは自分からサマリヤの女に
「私に水を飲ませてください」と声をかけられ、
この女との会話が始まります。
そしてこの女が心を開き、
イエスが言われた渇くことがない生ける水を私にもください
と心を開いた時、
イエスはサマリヤの女に言われるのです。
「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と。

突然、このサマリヤの女の
最もプライベートなことを聞かれました。
女は答えて言いました。
「私には夫はありません」
イエスは言われます。
「私には夫がないというのは、もっともです。
あなたには夫が五人あったが、
今あなたといっしょにいるのは、
あなたの夫ではないからです。
あなたが言ったことはほんとうです
この言葉はサマリヤの女を責め立てる言葉でもなく、
軽蔑する言葉でもありませんでした。
今まで、愛を求めて裏切られだまされてきた
この女の悲しみや痛みを知っていることばでした。
何回も失敗しても、
また繰り返してしまうどうしようもない弱さが
このサマリヤの女にはありました。
自分でも悲しくて情けなかったでしょう。
だから、人目を避けて暑い昼の最中に
1人井戸まで水を汲みにきていたのです。
イエスはこの女にとって
一番深い問題に触れていかれたのです。
愛と憐れみを持って、
普通なら、こういうことに触れられると
人は拒絶したり心を閉ざしてしまいます。
でも、イエスの言葉には深い愛がありました。
その眼差しには憐れみが満ちていました。
だから
このサマリヤの女はますます心を開いて、
信仰の事柄について質問します。
女は言いました。
「先生。あなたは預言者だと思います。
 私たちの先祖は、この山で礼拝しましたが、
 あなたがたは、
 礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます」
この女の疑問と質問にイエスは答えられます。
「わたしの言うことを信じなさい。
 あなたがたが父を礼拝するのは、
 この山でもなく、エルサレムでもない、
 そういう時が来ます。
 救いはユダヤ人から出るのですから、
 わたしたちは知って礼拝していますが、
 あなたがたは知らないで礼拝しています。
 しかし、真の礼拝者たちが
 霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。
 今がその時です。
 父はこのような人々を
 礼拝者として求めておられるからです。
 神は霊ですから、神を礼拝する者は、
 霊とまことによって礼拝しなければなりません」
続けて女はイエスに聞きました。
「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。
 その方が来られるときには、
 いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう」
イエスは言われました。
「あなたと話しているこのわたしがそれです」
イエスこそが救い主なのです。

この女はこの時、救われるのです。

2019年9月26日木曜日

イエスのことばはその通りになる!


イエスは彼に言われた。

「帰って行きなさい。

 あなたの息子は直っています。」

その人はイエスが言われたことばを信じて、

帰途についた。

         ヨハネの福音書450



息子が死にかけていたカペナウムの王室の役人は、
イエスのところに来て言いました。
「主よ。どうか私の子どもが死なないうちに
 下って来てください」
イエスはすぐに飛んでいく代わりに、
こう彼に言われました。
「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています」
彼はイエスに来て欲しかったかもしれません。
来てさえくれれば直ると信じていました。
でも、今イエスは、
もう息子は治っているから帰りなさいと言われます。
彼はイエスの眼差しを見、この方を信じました。
この方がそう言われるなら、
きっと治っているのだろう。
彼はイエスの言われたことばを信じて、
帰途につきました。
彼が家へ帰って行く途中、
彼の家のしもべたちがやってきて
彼に息子が直ったことを伝えました。
この王室の役人は本当に嬉しかったと思います。
イエスの言われた通りだった。
本当にイエスは息子を直してくださった。
彼はしもべたちに、
子どもがよくなった時刻を尋ねました。
「きのう、七時に熱がひきました」
それは、まさにイエスが
「あなたの息子は直っている」と言われた時刻でした。
それで彼自身と彼の家の者がみな信じました。

息子がしにかかるという
父親にとって家族にとっても
この家のもの皆に取っても
最悪のこと、最も悲しいことが、
イエス・キリストのところに行った時、
最高の祝福、喜びに変わったのです。

あなたもあなたにとって
最も悲しく辛いことが起こり最悪と思える時、
イエス・キリストのところに行きましょう。
必ず主イエスは、
そのことを最高の祝福、喜びに変えてくださいます。

2019年9月25日水曜日

あなたを愛されているイエスのことばを信じる


あなたがたは、

しるしと不思議を見ないかぎり、

決して信じない。

ヨハネの福音書448



カペナウムの王室の役人が、
カナにいたイエス・キリストのところに来て、
死にかかっている息子をいやしてくださいと頼んだ時、
イエスは彼に、こう言われたのです。
「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、
 決して信じない」と。
これは冷たい言葉のように聞こえます。
でもそうではありません。
イエス・キリストは、
しるしと不思議を行うこと、
愛を持っていやし奇跡を行うことは
喜んでして下さるのです。
ただ、そのいやしの業を実際に見てから、
しるしと不思議が起こるのを
見てからしかあなたがたは信じないのかと、
言われたのです。
つまり、それが起こる前にイエスを信頼し、
イエスの語られた言葉を信頼して、
まだ癒しや奇跡が起こっていなくても、
それがすでに起こったと、
必ず起こると信じなさいと言われたのです。

ある牧師が経済的に追い詰められた時、
彼は毎日祈りました。
でもますます追い詰められて行きました。
ある日、彼は朝早く起きて、
神に祈りながら、つぶやいてしまいました。
「神様、私はあなたに信頼していました。
 でももう限界です。
 今日朝ごはんを食べ終わったら、
 もう牧師を辞めて、
 フルタイムでする仕事につきます」と。
がっかりして朝ごはんを食べていると、
友人から電話がかかりました。
彼はとても明るい声で言いました。
「君は神様に愛されているね。
 神様が牧師の君に
 献金を送るように語ってきたよ。
 それで、献金を$○○○送ったから」
とある金額を言いました。
彼は驚きました。
それは彼が必要だった額よりも
少し多めの金額でした。
彼は嬉しくて踊りながら妻のそばに行き
一緒に踊りました。
その時、聖霊が語りかけてきたのです。
「大丈夫かい。
 まだお金を手にしたわけじゃないだろう?」
「大丈夫ですよ。彼は嘘などつきません。
 必ず約束したことは守る人です。
 彼は私のことを愛して心配してくれている人なんです。
 献金は必ず送ってきますよ。」
聖霊は静かにでも、はっきり彼に語りかけました。
「その通り、彼は嘘などつかない、
 君のことを愛して心にかけている人だ。
 だから約束通り、献金は送られてくる。」
そして続けて主は彼に語られました。
「君は今朝、私の前で踊ってくれなかったね。
 喜んでもくれなかった。
 私は君が牧師になる時に約束したじゃないか。
 必ず君を支え守るって。
 私はあなたを愛していて、
 いつもあなたのことを
   心にかけているんだよ。」
彼は跪き(ひざまずき)悔い改めました。

神は彼を愛していたのです。
イエス・キリストは約束されたことは守られるのです。

2019年9月24日火曜日

イエスのところに来れば癒して生かしてくださる


        この人は、

イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、

     イエスのところへ行き、

下って来て息子をいやしてくださるように願った。

      息子が死にかかっていたからである。

                                       ヨハネの福音書447


イエスは、
かつて水をぶどう酒にされたカナに行かれました。
そこへ、
カペナウムから王室の役人がやってきました。
彼には病気で死にかかっている息子がいたのです。
この人は、
イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、
イエスのところへ行くために、
カペナウムからカナに下って来て
息子をいやしてくださるように願いました。

この人は王室の役人で、
これは領主とも訳せる言葉で
高い身分の人で貴族か豪族であったかもしれません。
イエス・キリストは、
多くの人を癒し奇跡を行なっていました。
しかし
人としては、ナザレという田舎の大工でした。
もちろんイエスは救い主です。
でもこの時はまだ、
人々はそんなことはわからなかったと思います。

またカペナウムというのは
ガリラヤの中心の町でした。
そこからカナは
30kmぐらい離れた田舎の村でした。

この人は息子を愛していました。
どうしても死なせたくなかったのです。
生きていて欲しかったのです。
だから、わざわざ
カペナウムから田舎のカナまで行きました。
人としては
大工のイエス・キリストのところに来たのです。
イエスならきっと直してくれる。
癒してくれる。
助けてくれると信じて期待していたのです。
だから来て、イエスに息子を
癒してくださるように願ったのです。
あなたにも、
もし体が心が病気の人がいるなら、
死にかけている人がいるなら、
生きてはいても死んだような状況の人がいるなら、
イエス・キリストのところに来てください。
すべてのプライドを捨てて
キリストのところに来てください。
この方を信じて期待して来てください。
必ず主イエス・キリストは
癒し、奇跡を行い、助けて生かしてくださいます。

2019年9月23日月曜日

あなたの汚れを引き受けてくださるイエスの十字架

イエスは手を伸ばして、彼にさわり、

「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。

すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。

          マタイの福音書83


イエスは、らい病人の人をきよめ癒される時、
すぐに「わたしの心だ。きよくなれ」とは言われないで、
まず手を伸ばしてらい病の人にさわり、
それから「わたしの心だ。きよくなれ」と言われました。
これはとても大切なことです。

当時、らい病の人に触れれば、
その人も汚れると言われていました。
イエス・キリストは、このらい病人にふれなくても
「わたしの心だ。きよくなれ」と言えば、
この人は即座にきよめられ癒されたでしょう。
しかしイエスはあえてまず、
このらい病人に手を伸ばして触れられたのです。

それはこの人をらい病のままで
イエス・キリストは愛しておられたからです。

もちろん、イエスはらい病をきよめられ癒されます。
でもきよめられ癒されたから愛されたのではありません。
らい病のままで愛されたのです。
汚れた病であるらい病のままで
イエスは愛されていたのです。
だから、愛するこの人を、
らい病のままにしておくことは出来なかったのです。

主イエスが
「わたしの心だ。きよくなれ」と言われたのは、
あなたがきよめられらい病から解放されることは
わたしの心、すなわち主の御心だということです。

もう一つ、イエスは、
この人のらい病を自分の身に引き受けられたのです。
手を伸ばして、
このらいに触れ、自らが汚れたものとなり、
この人の汚れを引き受けられたのです。
旧約において、
羊や牛に手を置き、自分の罪を告白して、
それから生贄(いけにえ)として全焼、
すなわち丸焼きにしました。
自分の罪が赦されるための贖い、
つまり生贄(いけにえ)とてしてです。

イエスは、
この人のらい病という汚れに手を触れ、
自分の身に引き受けて、
この人をきよめ癒されたのです。

それがはっきりと現されたのが
「十字架」です。
イエスは、彼を愛していました。
らい病のまま愛していました。
だから彼のらい病に触れ、
そのらい病という汚れを自ら引き受け、
彼をきよめて癒されたのです。

イエス・キリストは、
あなたにも同じようにしてくださいます。
あなたがどんな失敗をしても、
どんな罪を犯したとしても、
どんな病気に犯されていたとしても、
どれほど汚れていたとしても、
イエス・キリストは
あなたをそのままで愛してくださり、
あなたに手を伸ばして、
その罪、病気、汚れに触れて、
あなたの身代わりに
その罪・病気・汚れを引き受けて、
十字架にかかり、
あなたを赦してきよめて癒してくださるのです。

イエス・キリストは、あなたを愛しておられるからです。

2019年9月22日日曜日

勇気と信仰を持ってイエスのもとに来たらい病人


ひとりのらい病人がみもとに来て、

    ひれ伏して言った。

「主よ。お心一つで、

 私をきよめることがおできになります。」

            マタイの福音書82


イエスのまわりには、多くの群衆がいました。
すると、ひとりのらい病人がみもとに来て、
ひれ伏して言いました。
「主よ。お心一つで、
 私をきよめることがおできになります」と。

当時、らい病は汚れた病気とされており、
みんなと一緒には生活できませんでした。
らい病の人は、
ライの谷に人々とは隔離されて住んでいたのです。
そのライ病人がイエスのところに来たというのは、
すごい勇気がいりました。
それでもこのらい病人が
イエスのところに大群衆をかき分けてきたのは、
イエス・キリストのところに行けばきっと直る、
きっとらい病をきよめて癒してくださる
と信じていたのです。

私たちも
イエス・キリストのところに行けば
必ず直してくださる、きよめてくださる
と信じていきましょう。
主イエスは、その信仰に答えてくださいます。

イエスは手を伸ばして、彼にさわり
「わたしの心だ。きよくなれ」と言われました。
すると、すぐに彼のらい病はきよめられたのです。
らい病がきよめられ、直ったのです。

2019年9月21日土曜日

渇くことのない水


                 イエスは答えて言われた。

「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。

しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、

               決して渇くことがありません。

わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、

            永遠のいのちへの水がわき出ます。」

                                 ヨハネの福音書41314



「あなたはユダヤ人なのに、
 どうしてサマリヤの女の私に、
 飲み水をお求めになるのですか」
と言われたイエスは答えて言われました。
「もしあなたが神の賜物を知り、
また、あなたに水を飲ませてくれと言う者が
だれであるかを知っていたなら、
あなたのほうでその人に求めたことでしょう。
そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう」
彼女は言いました。
「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、
 この井戸は深いのです。
その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。
あなたは、私たちの先祖ヤコブよりも偉いのでしょうか。
ヤコブは私たちにこの井戸を与え、
彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです」
イエスは答えて言われます。
「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、
決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、
永遠のいのちへの水がわき出ます」

この女は毎日、暑い中を
水をくみにここまで来ていました。
その生ける水をもらえれば、
もうくみに来なくてすむ。
女はイエスに言いました。
「先生。私が渇くことがなく、
もうここまでくみに来なくてもよいように、
その水を私に下さい」
もちろん、イエス・キリストが言われたのは、
飲む水のことではなく、永遠の命、
そして御霊のことを言われたのです。
でも主イエスは、
まず、この女が今とても関心のある、
毎日毎日くみに来ている水のことから話を始められ、
この女の心に触れられたのです。
人は自分の関心や興味のあること、
今とても必要なことには、
思わずも目を留めて心を向けるのです。

主イエスは、
あなたにもあなたの大切な人にも、
その人の関心のあることから、
その人に近づき触れていかれるのです。
なぜならイエス・キリストは、
あなたを、
あなたの大切な人を、
愛しておられるからです。

2019年9月20日金曜日

身を低くして声をかけてくださるイエス・キリスト


ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。

イエスは

「わたしに水を飲ませてください」と言われた。

          ヨハネの福音書47



 主イエスは、
スカルというサマリヤの町に来られました。
そこにはヤコブの井戸があリました。
イエスは旅の疲れで、
井戸のかたわらに腰をおろして休んでおられました。
真昼頃(ユダヤでは第六時と言います)です。
そこへ、ひとりのサマリヤの女が
水をくみに来たのです。
イエスはその女に
「わたしに水を飲ませてください」と言われました。
そのとき弟子たちは食物を買いに、
町へ出かけていていませんでした。
そこで、そのサマリヤの女はイエスに言いました。
「あなたはユダヤ人なのに、
 どうしてサマリヤの女の私に、
 飲み水をお求めになるのですか。」
―ユダヤ人は雑婚してしまっていたサマリヤ人を
軽蔑し見下げていたので、
つきあいをしていなかったのです。
それだけではなく、
男性のレビ、つまりイスラエルの教師が
女性に声をかけることは、当時しなかったのです。
ですから、男性である
人としてはユダヤ人のイエス・キリストが、
サマリヤ人の女に声をかける、お願いをする
などということはあり得ないことだったのです。
でもイエス・キリストはされました。
どうしてでしょう。
そうしなければ、
このサマリヤの女から声をかけられることなど
あり得なかったからです。

イエスは、
自らへりくだって
自分からサマリヤの女に声をかけられたのです。
井戸の傍らに腰を下ろしておられたイエスは、
このサマリヤの女よりも低いところから目をあげて
このサマリヤの女に「わたしに水を飲ませてください」
と頼まれたのです。
どうしても、
このサマリヤの女を罪の泥沼から救い、
サマリヤの町の人々を救い出したいと
願っておられたからです。

あなたが今、
どんな泥沼に落ち込んでいても、
あなたの愛する大切な人が
もうどうしようもない状況になっていても、
あきらめないでください。
主イエスは、
あなたを愛し、
その大切な人を愛して、
その人のところに行き、
身を低くして
その方に目をとめ声をかけてくださる方なのです。
そして必ずその泥沼から救い出してくださるのです。

2019年9月19日木曜日

サマリヤの女にも注がれた主イエスの愛


サマリヤを通って行かなければならなかった。

          ヨハネの福音書44



主イエスはユダヤを去って、
またガリラヤへ行かれました。
しかし、その時
サマリヤを通って行かなければならなかったのです。
当時ユダヤからガリラヤに行くには
サマリヤを通るのが一番近かったのですが、
ユダヤ人たちは、
サマリヤを避けて遠回りしてガリラヤに行きました。
サマリヤ人が雑婚していたので、
ユダヤ人たちは彼らを見下げ軽蔑していました。
そして、そこを通ろうとはしなかったのです。
しかしイエスは、
そこをあえて通って行かれました。

それはイエス・キリストは
サマリヤの人々をも愛しておられ、
そこに住む人々を救いたいと強く願っておられたからです。
だからサマリヤを通って行かれたのです。
しかも真昼頃に、
砂漠の多いサマリヤを通って行かれたのです。
それは、サマリヤにいる一人の女性を
まず救おうとされていたからです。
主イエスは、まず彼女を救い、
そして町の人々を救おうと思われました。
このサマリヤの女は実は、
人々に見下げられ軽蔑されていた女でした。
しかしイエス・キリストは
この女に目を留め、この女に会うために
昼の暑い時にサマリヤを通って行かれました。

イエス・キリストは
人々に軽蔑され除け者にされているその人に
目をとめられました。
これがイエス・キリストです。

2019年9月18日水曜日

ただ一度で成し遂げられたキリスト


ほかの大祭司たちとは違い、

キリストには、まず自分の罪のために、

その次に、民の罪のために

毎日いけにえをささげる必要はありません。

というのは、キリストは自分自身をささげ、

ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。

         ヘブル人への手紙727



人間は必ず死にます。
祭司ももちろん死にます。
それゆえ、多くの者が祭司となり、
毎日毎日繰り返し、自分の罪のために、
そして民の罪のためにいけにえを捧げていました。
しかしキリストは、
きよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、
また、天よりも高くされた大祭司であられました。
そのお方であるイエス・キリストは自分自身を捧げ、
ただ一度で罪の贖いを成し遂げられたのです。

私たちに一番必要な大切なことを
成し遂げてくださったのです。
この方こそ、
私たちにとってまさに必要な方なのです。
永遠に全うされた
御子であられるイエス・キリストによって、
私たちは神に近づき、神の子とされて、
神と生きた交わりを持つことができるのです。

2019年9月17日火曜日

永遠に存在されるキリストは祭司であるお方


したがって、ご自分によって神に近づく人々を、

完全に救うことがおできになります。

キリストはいつも生きていて、

彼らのために、とりなしをしておられるからです。

          ヘブル人への手紙 725



キリストは永遠に存在されるお方です。
そして変わることのない
祭司の務めを持っておられます。
祭司とは、
人を代表して神に祈り、
神にとりなすのです。
旧約時代、祭司が毎日、
神へのいけにえを捧げ、
私たち人間の罪の贖いをしていたのです。

しかし、イエス・キリストがただ一度、
十字架でご自身を捧げられた時、
私たちの罪は完全に赦され、
神に近づくことができ、完全に救われたのです。

そして今もキリストは、祭司として、
私たちのためにとりなしていてくださるのです。
私たち人間は
永遠ではない限りあるこの地上に生きています。
そして、すべての人は必ず死ぬのです。
もちろん死は終わりではなく永遠への始まりです。
イエス・キリストを信じるものは、
キリストによって、
永遠に神と共にいる天の御国で生きることができるのです。