2019年8月12日月曜日

信仰の行いは神の愛を流していく

812日(月)

信仰も、もし行ないがなかったなら、

 それだけでは、死んだものです。

        ヤコブの手紙217


信仰の父と呼ばれているアブラハムは、
「生まれ故郷父の家を出て、私が示す地に行きなさい。
そうすればあなたを祝福する」
と言われた時、
神を信じ、神のことばを信じて出て行きました。
また、
約束の子、イサクを捧げるように言われた時も、
翌朝早く、
イサクを伴って捧げるために出かけて行きました。
アブラハムは信じて従ったのです。
それゆえ祝福され、
信仰の父と言われるようになりました。
これが信仰の行いです。

立派なことをするということではありません。
もちろん、律法を守ることは大切ですが、
私たちは自分の力では律法を守れません。
イエス・キリストの十字架を信じて、
祈る時、聖霊の助けを受けて、
神の愛の中で律法を守り生きれるようになります。


例えば、
誰かが毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに
「安心して行きなさい。
 暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、
実際にからだに必要な物を与えないなら、
何の役にも立ちません。
孤児院の働きは、
まさにそういう子どもたちを助ける働きです。
神様のことばに従い信仰を行うとき、
生ける神の愛の働きに預かることができるのです。
それは本当にすばらしい喜びに満ちたものになります。

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