2019年7月31日水曜日

あなたも私も父なる神の子どもです

7/31(水)

そして、あなたがたは子であるゆえに、

神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、

私たちの心に遣わしてくださいました。

         ガラテヤ人への手紙46


私たちがイエス・キリストを信じた時、
キリストが私たちのうちに住まわれ、
私たちの死んでいた霊は生き返り、
聖霊が住まわれるようになりました。
キリストの内住と言います。
そして私たちの心に父なる神さまを
「アバ、父」と呼ぶことのできる
御子の御霊を遣わして下さったのです。
なぜなら私たちは神の子とされたからです。

キリストを信じて悔い改めた時、
イエス・キリストの十字架によって
私の罪、あなたの罪が完全に赦され、
キリストと同じように
一度も罪を犯していない者として
父なる神は私を、あなたを見てくださり、
神の子とされたのです。

全世界全宇宙を創造し、
時間をも創造し、
歴史を導いておられる方が
私たちの父となられたのです。

だからもっと大胆に、
父なる神に向かって
祈り求め叫びましよう。

あなたも私も必ず祝福されます。

父なる神は子である私を、あなたを愛しておられるからです。

2019年7月30日火曜日

賜物と能力を忠実に用いる!

7/30(火)

『よくやった。良い忠実なしもべだ。

 あなたは、わずかな物に忠実だったから、

 私はあなたにたくさんの物を任せよう。

 主人の喜びをともに喜んでくれ。』

        マタイの福音書252123


主人から5タラント預かった者も、
2タラント預かった者も、
すぐに出て行って商売をし、
さらに5タラント、2タラントもうけました。
さて、よほどたってから、
しもべたちの主人が帰って来たとき、
その主人は彼らに言いました。
『よくやった。良い忠実なしもべだ。
 あなたは、わずかな物に忠実だったから、
 私はあなたにたくさんの物を任せよう。
 主人の喜びをともに喜んでくれ』と。

神さまは私たち一人一人に
それぞれの賜物や能力を与えて下さっています。
人と比較することも競争する必要もありません。
しかし、
神さまが与えて下さっている賜物や能力を
用いずにいることは不信仰です。
神さまを悲しませます。

私たちは与えられたものを
大胆に失敗を恐れずに
どんどん用いていきましょう。
それが忠実なのです。

そうすると、ますます祝福され、
賜物も成長し能力も開かれていくのです。

2019年7月29日月曜日

油である聖霊に満たされる!


だから、目をさましていなさい。

あなたがたは、その日、その時を知らないからです。

                                          マタイの福音書2513



イエス・キリストは
天国の話をする時に
面白い例え話をされました。

ともしびを持って、
花婿を出迎える十人の娘に例えて
話されたのです。
十人のうち、
五人は愚かで、五人は賢かったのです。

愚かな娘たちは、
ともしびは持っていましたが、
油を用意していませんでした。
賢い娘たちは、
自分のともしびといっしょに、
入れ物に油を入れて持っていました。
花婿が来るのが遅れたので、
みな、うとうとして眠り始めました。
賢い娘も愚かな娘と一緒に
うとうと眠り始めました。
ところが、夜中になって
『そら、花婿だ。迎えに出よ』
と叫ぶ声がしました。
花婿がやってきたのです。
娘たちは、10人みな起きました。
そして、自分のともしびを整えたのです。
ところが愚かな娘たちは、
賢い娘たちに言いました。
『油を少し私たちに分けてください。
 私たちのともしびは消えそうです』と。
しかし、賢い娘たちは答えて言いました。
『いいえ、あなたがたに分けてあげるには
 とうてい足りません。
 それよりも店に行って、
 自分のをお買いなさい』
そこで、愚かな娘たちが買いに行くと、
その間に花婿が来てしまいました。
用意のできていた賢い娘たちは、
彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、
戸がしめられてしまったのです。
そのあとで、ほかの愚かな娘たちも来て
『ご主人さま、ご主人さま。あけてください』
と懇願しました。
しかし、彼は答えて
『確かなところ、私はあなたがたを知りません』
と答えられてしまいました。

そしてイエスは言われたのです。
「だから、目をさましていなさい。
 あなたがたは、
 その日、その時を知らないからです。」

しっかりと目を覚ましていましょう。
賢い娘のように、
しっかりとともしびの油を用意していましょう。
つまり、聖霊に満たされていることです。
主イエスと絶えず交わり、
聖霊に満たされて目を覚ましていましょう。
主が再臨されるその日、
その時を私たちは知らないからです。

2019年7月28日日曜日

神の望みは必ず成就し現実となる!

7/28(日)

彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。

それは、「あなたの子孫はこのようになる。」

と言われていたとおりに、

彼があらゆる国の人々の父となるためでした。

ローマ人への手紙 418


信仰の父と呼ばれているアブラハムは、
75歳の時に神に語られて生まれ故郷、
父の家を出てカナンの地に向かいます。
そんなアブラハムを神は外に連れ出して
「天を見上げなさい」
と星だらけの空を見上げさせて
「あなたの子孫はこのようになる」と語られます。
アブラハムはその言葉を信じます。

ところが、それから何年たっても
子どもは一人もできなかったのです。

それでもアブラハムは神を信じました。
信じ続けました。

そして25年後の100歳の時、
妻のサラが90歳の時、
イサクが生まれるのです。
神に不可能はありませんでした。
神さまは約束を守られたのです。

あなたにもとても信じられない、
不可能と思えることを神が語られ、
それを信じているのに、
全くそうならず、
何年も何年も待たされることが
あるかもしれません。
とても望み得ない、
そんなことはあり得ないと
思えることもあるでしょう。
でも神が語られたなら、
神の時が来るなら、必ずそうなります。

アブラハムのように
望み得ない時に望みを抱いて信じましょう。
必ず神の時が来る時、
その望みは成就し現実となり、
神の真実を現すこととなるのです。

2019年7月27日土曜日

神のことばを信じる

7/27(土)

彼は主を信じた。

主はそれを彼の義と認められた。

                       創世記156


子どものいなかったアブラムを神さまは
外に連れ出して、彼に語られました。
「さあ、天を見上げなさい。
 星を数えることができるなら、
 それを数えなさい」と。
中東に行って空を見上げると、
今でもたくさんの星が見えます。
当時は数え切れないおびただしい数の星が
見えたことでしょう。
その空を見上げているアブラムに、
主はさらに続けて言われました。
「あなたの子孫はこのようになる」と。
その時アブラムは信じたのです。
聖書にはこう書いてあります。

彼は主を信じた。
主はそれを彼の義と認められた。

アブラムは信仰の父となり、
主の祝福を豊かに受けることになったのです。
この時、
とてもこの言葉を信じれる状況では
ありませんでした。
神の語られることは
人の目から見れば不可能でした。
人間的にはあり得ないことでした。
しかし、
アブラムは神のことばを信じたのです。
最悪と思える状況の中て、
不可能と思える状況の中で、
神の語られる言葉を、彼は信じたのです。

あなたにも同じことが起こります。
最悪の時に、
神さまはあなたに不可能と思える約束を
語られることがあるでしょう。
あり得ないと思いたくなるような言葉が
与えられるかもしれません。
でも本当に神が語られたなら、
もちろん神が語られたかを
きちんと吟味しないといけませんが、
必ず成就するのです。
その神の言葉を信じるのです。
その時主は、あなたのその信仰を見られ、
約束の言葉を成就し、
必ず祝福してくださいます。

2019年7月26日金曜日

最悪の中で、神は語られる


「アブラムよ。恐れるな。

 わたしはあなたの盾である。

 あなたの受ける報いは非常に大きい。」

          創世記151



アブラムは神に語られた通りに生まれ故郷、
父の家を出て神が示す地、カナンに向かいました。
しかし、子どもが与えられませんでした。
神から
「アブラムよ。恐るな。私はあなたの盾である。
 あなたの受ける報いは非常に大きい」
と祝福のことはを語られた時、
思わずもアブラムは言いました。
「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。
 私にはまだ子がありません。
 私の家の相続人は、
 あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか」
さらに、アブラムは続けて言いました。
「ご覧ください。
 あなたが子孫を私に下さらないので、
 私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう」と。
おそらく、アブラムにとっては
神に従ってきたにも関わらず、
子どもも与えられず、
祝福が見えない最悪の状況だったのでしょう。
旧約においては子どもは神の祝福の現れでしたから。

しかし神はアブラムに臨まれて、
こう言われたのです。
「その者があなたの跡を継いではならない。
 ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、
 あなたの跡を継がなければならない」と。
こののち、彼を外に連れ出して空を見上げさせ、
この星のようにあなたの子孫はなると語られました。
そしてそれをアブラムは信じるのです。
そして忍耐の末に、その通りになります。
アブラムは信仰の父となるのです。

私たちも主に従ったにも関わらず
主の祝福が見えない、
感じれないという時があります。
最悪と感じ思える時があります。
でもそこで主はしばしば語って来られます。
その最悪と思える時にこそ、
主イエスの言葉に耳を傾けてください。
あなたの人生にとって
とても大切なことが語られるからです。

2019年7月25日木曜日

神のことばに従う

7/25(木)

あなたは、

あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、

わたしが示す地へ行きなさい。

           創世記121


信仰の父と言われているアブラハムは、
75歳の時
「あなたは、あなたの生まれ故郷、
 あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい」
と神から語られました。
彼には財産も安定した生活も家族もいました。
しかし、もし従うならば、
「そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
 あなたを祝福し、
 あなたの名を大いなるものとしよう。
 あなたの名は祝福となる。
 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
 あなたをのろう者をわたしはのろう。
 地上のすべての民族は、
 あなたによって祝福される」
という約束を伴ったものでした。

年老いて現役を引退してもいい年になっていた
アブラム(後のアブラハム)は、
主がお告げになったとおりに出かけたのです。
彼は目の前にある人の計算できる幸せではなく、
永遠の神の言葉を信じて従ったのです。
従わずにカランにそのままいたとしても、
彼の老後はある程度計算できました。
十分豊かな生活ができたことでしょう。

しかし、彼は神のことばを信じ、
神のことばに従ったのです。
そしてアブラハムは信仰の父と言われる祝福を
まさに約束通り忍耐の末に受けるのです。

私たちも、
目の前にある人の計算からくる幸せに振り回されることなく、
真実な神のことばを聞き、
その神のことばに従っていきましょう。
必ず神さまは約束のことば通りに
溢れる祝福を与えてくださいます。

2019年7月24日水曜日

すべてのことに感謝する最高の祝福!

724日(水)

すべての事について、感謝しなさい。

これが、キリスト・イエスにあって

神があなたがたに望んでおられることです。

                         第一テサロニケ人への手紙518


感謝と賛美の聖書の教えを世界中に広げた方がいます。
アメリカのマーリン・キャロザーズさんです。
彼は天に今いますが、私たちの教会と
不思議な神の導きによって関わりが与えられ、
毎年アメリカに行き直接
感謝と賛美について聖書から教えていただきました。

彼は元々は
つぶやきと不平不満だらけの生活をしていたそうです。
でも主イエス・キリストに出会い、
自分の罪を悔い改めて、イエス・キリストを信じてから、
感謝と賛美を捧げるようになり、
生活が大きく変えられて行き、
他の方にまでその祝福が流れていくようになりました。

私は今まであった人の中で
あんなに喜んでいる人をそう多く知りません。
本当に心から喜んでいる笑顔で
いつも私たちと接してくださいました。

すべてのことを感謝することは
簡単なことではないかもしれません。
でも、聖書が語り命じていることです。
私たちが主イエスに祈り、
聖霊様の助けを受けていくとき、
それはできるのです。
そして感謝と賛美は、
困難と苦しみの中で、
神の愛を豊かに受け、
不可能を突き破って
奇跡をなさる神の御手を見ることのできる道へと
私たちを導いてくれます。

さあ、共に主イエス・キリストに祈りましょう。
感謝と賛美を私の唇に絶えず与えてくださいと。

それは必ず聞かれます。

2019年7月23日火曜日

異言で祈る恵み

723日(火)

絶えず祈りなさい。

第一テサロニケ人への手紙517


いつも祈ることは正直、
不可能だと思っていました。
でも聖霊のバプテスマを受け、
異言で祈ることができるようになると、
いつも祈ることが
無理ではなくなってきます。
歩きながらでも、
家事をしながらでも
何かをしながらでも
異言では祈ることができるからです。

もちろん、
祈りの中心は言葉、自分の理解できる言葉、
私ならば日本語です。
でも異言で祈る時、
私たちの霊が祈っています。
神さまは霊なので、
神さまと交わりを持っているのです。

内なる霊が主と交わり強められると、
信仰は引き上げられ、
私たちの心も強められます。
繰り返し言いますが、
祈りの中心は言葉なので、
きちんと自分の言葉で祈ることは必ず必要です。

それでも生活の中で、
運転しているときや、
家事をしているとき、
テレビを見ながらでさえ、
異言では祈れるのです。
そして異言で祈っていると、
主に心が向いていきます。
すると、
これはまずいという時は
聖霊が教えてくださるのです。
そして実際の行動が変えられたり
守られることさえあります。

私たちは聖霊のバプテスマを受けて、
異言で祈る恵みに預かり
絶えず祈るものとさせていただきましょう。

2019年7月22日月曜日

キリストと共に、いつも喜んで生きる


いつも喜んでいなさい。

第一テサロニケ人への手紙516



今日は私の母の誕生日です。
母は目が悪く一級視覚障害者です。
元々はとても暗い青春時代を
過ごしていたようです。
ところがイエス・キリストに出会い、
その愛と赦しに触れて
本当に明るいとても肯定的な、
つまり信仰の人になりました。

母は父とよく祈っていました。
今は父が召されて天に帰ったので、
一人でよく点字の聖書を読んでいます。
暇さえあれば読んでいます。
そして、私たちが行くと
必ずお祈りを一緒にします。

母はもう87歳になりましたが、
気持ちはとても若く明るいのです。
あの明るさの秘訣は、
いつも共にいる主イエスと
生活しているからなのだと思います。

「いつも喜んでいなさい」
そんな簡単なことではありません。
でも、
イエス・キリストの十字架の愛を知り
赦しを体験した時、
私たちは
嬉しくて嬉しくてたまらなくなります。
そのキリストに心を向け、
キリストと共に生きていく時、
いつも喜んでいることが
できるようになるのでしょう。

私もあなたと共に、
いつも喜んでいることができるように、
主イエス・キリストの十字架の愛の中で、
いつもイエス・キリストに
心を向けて生活し生きていきたいと願います。

2019年7月21日日曜日

すべての栄光は主イエスのもの!

721日(日)

国と力と栄えは、

とこしえにあなたのものだからです。

アーメン。

     マタイの福音書613節後半


主の祈りの最後は
「国と力と栄えとはあなたのものだからです」
という祈りで閉じます。
私たちが普段祈っている祈りは
「国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり」
です。
これは、国と力と栄え、
つまり全てのもの、すべての栄光は、
あなた、父なる神のものですということです。

最後にすべての栄光を神に、
キリストに返すのです。
私たちは、
神がしてくださったすばらしい御業、
愛と恵みの数々を
ともすれば自分の努力や信仰ゆえに
勝ち取ったかのように思い、
その栄光を自分や人に対して
してしまうことがあります。
日本人は、特に
人に栄光を返す傾向が強くあります。
私たちは、よくよく注意をして、
まことの神である父なる神さまに、
そして主イエス・キリストに
すべての栄光をお返ししましよう。
それが正しいことであり真実なのですから。

そして、
主の栄光を見続けさせていただく者となりましょう。

2019年7月20日土曜日

勝利の鍵は教会のとりなしにかかっている

720日(土)

モーセが手を上げているときは、

         イスラエルが優勢になり、

  手を降ろしているときは、

         アマレクが優勢になった。

                      出エジプト記1711


イスラエルの敵であったアマレクが
レフィデムに来てイスラエルと戦いました。
モーセはヨシュアに
幾人かを選んで出て行き、
アマレクと戦うようにと言いました。
ヨシュアはモーセが言った通りに出て行き
アマレクと戦いました。
そのときモーセは
アロンとフルを連れて丘の頂に登りました。
モーセは丘の頂に立ち
神の杖を手に持って手をあげました。
モーセの手が上がっている時、
イスラエルは優勢になり、
手を降ろしているときは、
アマレクが優勢になりました。
しかし、モーセの手が重くなりました。
アロンとフルは石を取り、
それをモーセの足元に置いたので、
モーセはその上に腰掛けました。
アロンとフルは、
ひとりはこちら側、
ひとりはあちら側から、
モーセの手を支えました。
それで、モーセは日が沈むまで、
しっかりそのまま
手をあげ続けることができました。
ヨシュアは、
アマレクとその民を
剣の刃で打ち破り勝利を取りました。

戦っていたのはヨシュアです。
しかしその勝敗の鍵は、
モーセの手が
上がっているかどうかにかかっていました。
これはモーセのとりなしの祈りを指しています。

モーセは旧約聖書の中に出てくる
最高のとりなし手です。
そのモーセでさえ、
一人では手をあげ続けることは
出来なかったのです。
つまり、一人では
祈り続けることは出来なかったのです。
アロンとフルが石を置き、
腰掛けてアロンとフルに支えられて
モーセはイスラエルが、
ヨシュアによって勝利を取るまで
祈り続けることができたのです。


私たち人間は肉を持つています。
肉は弱いのです。
ゲッセマネでさえ
眠ってしまった弟子たちのように、
聖霊の助けがなければ
とても祈り続けることは出来ないのです。
弟子たちは共に集まって祈っていました。
そこに聖霊が臨んで、
彼らは全く新しく創りかえられました。

新約時代の今、
聖霊の助けの中で、
教会に共に集まって祈る時、
私たちは聖霊の助けと恵みの中で、
約束の成就を見るまで、
祈り続けることができるのです。

戦っている愛する者のために、
教会に集まって
共に戦いの祈りの手をあげ続けましょう。
病気と戦っている人がいます。
社会の中で、孤独の中で、
学校にも職場にも戦っている人がいます。
教会の中にもいるでしょう。
サタンとの戦いの中で
疲れ果てている人もいます。

あなたと私が教会に集い、
祈りの手をあげ共に支え合いながら戦う時、
主イエス・キリストの圧倒的な勝利が与えられるのです。

2019年7月19日金曜日

悪から救い出してくださる神

719日(金)

私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。

          マタイの福音書613


「主の祈り」は最後に
「私たちを試みに合わなせないで、悪からお救いください」
と祈ります。
私たちと言われていますから、
自分だけではなく、自分も含める私たち、
教会、家族、仲間や友人、同僚や同胞、
のためにも祈りましょう。
試み、つまり試練や困難に会わないように。
もちろん、御心の試練や困難は
私たちを成長させ祝福となります。
でも不必要な試みには会わないですむように、
余計な回り道をして傷つくことのないように、
主に祈りましょう。
私たちの国が、教会が、学校や会社が、
主の御心と違う道を選んで
試みに会わないですむように祈りましょう。
そして、
主の許しの中で起こってきた困難、問題、
苦しみや悲しみ、病気や呪いと思えるような状況、
そのような悪から、
まるでサタンの仕業と思えることから、
悪霊に取り憑かれたと思えるような状況から、
救い出してくださるように
主イエスに祈り叫びましょう。
主はその叫びを聞き、
祈りに必ず答えて助け出し、
救い出してくださいます。

2019年7月18日木曜日

十字架の赦しを受け取り自分を赦し、人を赦す

718日(木)

私たちの負いめをお赦しください。

私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。

           マタイの福音書612


「主の祈り」の中には赦しの祈りが出てきます。
これは、とてもとても大切な祈りです。
十字架の恵みと力を解き放つからです。
「私たちの負い目をおゆるしください」と言って、
自分の罪を悔い改めます。
主の完全な赦しをいただいて、
自分も他人の罪を赦すのです。
この悔い改めと赦しはとても大切です。
十字架にしっかりと目を向け、
自分の罪が完全に赦されたことをしっかりと受け取りましょう。
あなたも私も完全に、
そうです、完全に赦されているのです。
そして、その罪さえも悔い改めたならば
神の憐れみの中で
益としてくださり最善へと変えられるのです。
それが十字架の計り知れない恵みの深さ大きさです。
そして人の罪を赦すのです。
人から受けたいろんな罪、
侮辱、屈辱、暴力、裏切り、
いろんなことがあると思います。
とても許せないこともきっとあることでしょう。
許せなくても当然で当たり前と
思えることもあるかもしれません。
それでも、十字架を見上げて、
自分が赦されたことの恵みの大きさと愛を噛みしめて、
主に助けを求め祈るのです。
そして「私たちに負い目のある人を赦しました」
と自分に向かって宣言しましょう。
赦すなと叫んでいるサタンに向かって、
はっきりと宣言しましょう。
その時、あなたは自由になります。
そしてあなたの祈りは天に届き答えられます。
十字架の力と愛が、あなたの祈りに注がれ流れてきます。

2019年7月17日水曜日

遠慮せず、大胆に、具体的に求める

717日(水)

私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。

          マタイの福音書611


「主の祈り」は御名をあがめ、
御国が来るように祈った後、
とても具体的な祈りになります。
「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」と。
今、日本で日ごとの糧を今日もお与えくださいと
真剣に祈っている人はほとんどいないと思います。
神の恵みの中で毎日の糧は与えられているからです。
でも、毎日いろんな必要があると思います。
経済、つまりお金だけではなく、
人や能力、仕事のこと、学校のこと、
結婚や家庭の事、人生のいろんな選択等々、
その一つ一つを丁寧に具体的に求めるのです。
遠慮せず厚かましいぐらいに
大胆に具体的に求めるのです。

主イエスは、
あなたの必要をよく知っておられて、
その一つ一つに見事な最善最高の答えを与えてくださいます。

2019年7月16日火曜日

主の御心が最高で最善!

716日(火)

御国が来ますように。

ルカの福音書112節後半


イエスさまが弟子たちに教えられた「主の祈り」は、
まず「父よ。御名があがめられますように」と祈った後、
さらに続けて、こう祈りなさいと主は言われました。
「御国が来ますように」
これは天で御心が行われるように、
このサタンが支配している地上でも、
父なる神の御心が行われるように祈りなさいと言われたのです。
つまり、神が完全に治められて、
神の完全な支配が現されるようにということです。
支配というと日本人は悪いイメージを持ちますが、
そういう意味ではありません。
愛である憐れみに富んでおられる神さまの
最善にして最高の御心が、
この地上に現されてくるようにということです。

聖書のまことの神様は、
私たち一人一人を命をかけて愛して下さっています。
この上もない最高の愛で、愛して下さっています。
ですから、この方の御心がなる時、
必ず一人一人に
最善にして最高の御業と導きが与えられるのです。
ですから、そのことを祈った上で求める時、
求めた通りのものが与えられる時もあれば、
求めたこととは違う導きが現される時もあります。
しかし、それこそが実はその人にとって最善なのです。
私たちは自分にとって
何が一番良いかをよくわかっていません。
でも神様は知っておられます。
そして
その一番良い最高のものを与えてくださり導いてくださるのです。
だから「御国が来るように」と祈り、
それから求めるのです。
とはいえ、思わずも主に向かって、
心から求めたり、助けてと叫ぶとき、
主は順番が違うなどとは言わず、
その心の叫びと求めを聞いてくださいます。
安心して求め叫んでください。
ただ毎日の祈りの生活の中で、
この「主の祈り」を、
その意味の深さを知って心を込めて祈る時、
より大きな神の愛と恵みに預かることができるのです。