2019年6月30日日曜日

あなたを愛しておられる神は備えてくださる


「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、

 そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。

 神を愛する者のために、

 神の備えてくださったものは、みなそうである。」

            コリント人への手紙 第一 29



神さまは、あなたを愛しておられます。
あなたのために必要なものを備えてくださいます。
あなたと私の考えや思いをはるかに超えて、
心に思い浮かんだこともない、
考えも及ばないことを備えてくださるのです。
それは、あなたと私の目が見たことのないもの、
耳が聞いたことのないものです。
神のあなたへの計画は高くて深くて大きいからです。

イエス・キリストを、
あなたを愛して、
あなたを救うために十字架につけ、
あなたの身代わりにされた神は、
すべてを備えてくださるのです。

神の愛は永遠に変わることがありません。

2019年6月29日土曜日

十字架につけられた方、イエス・キリスト


なぜなら私は、あなたがたの間で、

イエス・キリスト、

すなわち十字架につけられた方のほかは、

何も知らないことに決心したからです。

       コリント人への手紙 第一 22



パウロにとって、
イエス・キリストに出会ったことは、
全く人生を変えました。
そして彼にとってイエス・キリストとは、
十字架につけられた方、
パウロを愛して、ご自分の命まで捨てて、
十字架にかかり、呪われたものとなって
罪の贖いをなしてくださった方でした。
パウロは博学で知識と知恵に富んでいました。
しかし、パウロは、
すぐれたことばやすぐれた知恵を用いて、
神のあかしを宣べ伝えることはしなかったのです。
なぜなら、コリントの人たちの間では、
イエス・キリスト、
すなわち十字架につけられた方のほかには、
何も知らないことに決心したからです。
しかも彼らといっしょにいたときのパウロは、
弱く、恐れおののいていました。
パウロは、
説得力のある知恵のことばによって
福音宣教を行ないませんでした。
パウロの宣教は、御霊と御力の現われでした。
それはコリントの人たちの持つ信仰が、
人間の知恵にささえられず、
神の力にささえられるためでした。
十字架は、そして十字架のことばは
信じるものには神の力、神の最高の知恵なのです。

2019年6月28日金曜日

主イエス・キリストの御名だけが私たちの誇り


「誇る者は主を誇れ」

         コリント人への手紙 第一 131



私たちは、
人間的な能力や神のしてくださった働きさえも、
自分のことのように誇ってしまいやすいものです。
コリントの教会には御霊の賜物が現れ、
神の働きが起こっていました。
しかし多くの問題も許されていましたが・・・。

そのコリントの教会に送ったパウロの手紙には
「あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。
 この世の知者は多くはなく、
 権力者も多くはなく、
 身分の高い者も多くはありません」とあります。
それは神さまが、
知恵ある者をはずかしめるために、
この世の愚かな者を選び、
強い者をはずかしめるために、
この世の弱い者を選ばれたからですと、
パウロは聖霊に導かれて書いています。
さらに
「この世の取るに足りない者や見下されている者を、
 神は選ばれました。
 すなわち、有るものをない者のようにするため、
 無に等しいものを選ばれたのです。
 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです」
と言っています。

私たちは、主を誇りましょう。
主イエス・キリストの御名だけを、
誇りとしましよう。
主は、ますます私たちを祝福し、
神の栄光と御業を現してくださることでしょう。

2019年6月27日木曜日

キリストは神の力、神の知恵


神の愚かさは人よりも賢く、

神の弱さは人よりも強いからです。

    コリント人への手紙 第一 125



神さまは、
知恵ある者の知恵を滅ぼし、
賢い者の賢さをむなしくされます。
神さまは、
この世の知恵を愚かなものにされました。
事実、私たち人間は、
自分の知恵によって神を知ることは出来ないのです。
でも、それこそが神の知恵なのです。

神さまは宣教のことばの愚かさを通して、
信じる者を救うことを御心とされたのです。
ユダヤ人はしるしを要求し、
ギリシヤ人は知恵を追求します。
しかし、
私たちは十字架につけられたキリストを
宣べ伝えるのです。

ユダヤ人にとってはつまずき、
異邦人にとっては愚かでしょうが、
しかし、ユダヤ人であっても
ギリシヤ人であっても、
召された者にとっては、
キリストは神の力、神の知恵なのです。

なぜなら、
神の愚かさは人よりも賢く、
神の弱さは人よりも強いからです。

2019年6月26日水曜日

十字架は神の愛と力の現れ


十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、

救いを受ける私たちには、神の力です。

         コリント人への手紙 第一 118



イエス・キリストは私たち一人一人の罪の身代わりとなって、
罪の罰・裁き・呪い・病気のすべてを背負って、
十字架で死んでくださり、
よみである地獄に行ってくださいました。
それによって私たちは罪が完全に赦されたのです。
私たちが、自分の罪を悔い改めて、
このイエス・キリストの十字架を信じるなら、
救われ永遠の命をいただくことができるのです。

この十字架のことばは、
信じて救われる人にとっては神の力ですが、
信じない人々にとっては
愚かにしか見えないことでしょう。
でも信じない人々は永遠の滅びに至ってしまいます。

十字架は、神の愛の極みが現されたところです。
これは人の力では理解できません。
聖霊の助けと恵みの中で
初めて信じることができます。

愛する人が、
この十字架の愛に気づき、
自分の罪を悔い改めて、
信じることができるように祈りましょう。

2019年6月25日火曜日

偶像を警戒する


子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。

      ヨハネの手紙 第一521



イエス・キリストを信じると、
神の子とされ、
キリストの花嫁になります。
神のアガペーの愛を受け、
キリストがいつも共にいて守ってくれます。
それは喜びと平安を
私たちに与えてくれます。

しかし、
その恵みを奪い
破壊しようとするものがいます。
それがサタンであり悪霊です。
私たちの罪の隙を狙って、
私たちの中に不信仰を入れ、
神から引き離そうとします。
サタンや悪霊は、
私たちが偶像を礼拝する時、
その偶像を通して私たちに関わり、
私たちを支配して影響を与えてきます。
偶像礼拝は神さまが最も嫌われる罪です。
それは私たちを神から引き離し、
キリストの恵みを失わせてしまうのです。

偶像礼拝を悔い改め、
二度とすることのないようにしましょう。

2019年6月24日月曜日

世に勝つ信仰

624日(月)

なぜなら、

神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。

私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。

          ヨハネの手紙 第一54


イエス・キリストを信じる時、
私たちは神によって新しく生まれます。
そして、
世に対して圧倒的な勝利者となります。
キリストを信じる信仰を通して、
私たちは、世に勝利します。

私たちが生きているこの世には
色々な戦いがあります。
しかし
私たちは肉の武器で戦うのではなく、
イエスを神の御子と信じる信仰によって戦うのです。
その時、私たちは必ず勝利者となるのです。

2019年6月23日日曜日

神を愛して神の命令を守る祝福!

623日(日)

神を愛するとは、神の命令を守ることです。

その命令は重荷とはなりません。

                                    ヨハネの手紙 第一53


神を愛するとは、神の命令を守ることです。
そう聞くと、命令を守らなければいけないと思い、
とても律法的になって重くきつく感じる方が
おられるかもしれません。
しかし、これは100%間違っています。
神の命令を守ることを
律法的にとらえ重く感じさせるのは、
サタンの惑わしです。
神の命令を守ることは重荷とはなりません。
それどころか、
それはとても大きな祝福です。

例えば
「すべてのことを感謝しなさい」
という御言葉は、神の命令ですが、
これを守り実行する時、
どんなマイナスも、
どんなに大きな悲しみや不幸と思えることさえも、
神様の愛の御手の中で、
すべてが益となり、
最善に導かれ、最高へと変えられていくのです。

私たちの教会には
その証(体験談)が満ちあふれています。
神を愛し、
神の命令を神の恵みの中で守り、
祝福を豊かに受けていきましょう。

2019年6月22日土曜日

愛は恐れない

622日(土)

愛には恐れがありません。

全き愛は恐れを締め出します。

     ヨハネの手紙 第一418


神の愛は完全です。
神のアガペーの愛には恐れがありません。
イエス・キリストは、
死をも恐れずに、
あなたに命を与え、
全てを与えて愛されたのです。
これがアガペーの愛、神の愛です。
この愛を受け、
この愛で愛されていることが
わかり実感するとき、
私たちの内側から恐れが消え去ります。
全き愛は恐れを締め出すのです。
愛には恐れがないからです。
恐れがある時、愛を見失っているのです。
なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。
恐れる者の愛は、
全きものとなっていないのです。

神さまは、あなたを愛しています。
アガペーの愛で、
あなたを今、愛しておられます。
この全き愛の中で、恐れから解放され、
イエス・キリストと共に
光の中を、命の中を、
喜びにあふれて歩いていきましょう。

全き愛は恐れを締め出します。

2019年6月21日金曜日

神の愛を信じ受け取る

621日(金)

 神は愛です。

ヨハネの手紙第一416


神は愛です。
そして神の愛はいつも動詞です。
つまり、あなたを愛するのです。
あなたに最善を行おうとするのです。
でも、あなたに
それを受け取るかどうかの選択を
ゆだねます。
あなたには選択権があります。

イエス・キリストは
あなたを命をかけて愛されました。
父なる神は、
あなたを愛しておられます。
しかし、
その愛を受け取るかどうかは、
あなたの自由なのです。
神さまは、
あなたを一人の人格を持った人として
愛しておられます。
あなたは、
神の奴隷でもなく
ロボットでもありません。
だから、あなたを愛しきられた上で、
その愛を受け取るかどうかを
選ばせてくださるのです。

神の愛を受け取り、
イエス・キリストの十字架の愛を
信じましょう。
あなたの人生に神の愛が流れてきて、
全く新しい命の溢れる人生が始まります。

2019年6月20日木曜日

愛し合う

620日(木)

愛する者たち。

神がこれほどまでに私たちを

愛してくださったのなら、

私たちもまた

互いに愛し合うべきです。

                      ヨハネの手紙 第一411


いまだかつて、だれも神を見た者はありません。
ではどうすれば
神を見ることができるのでしょう。
もちろん、
神は霊なので、
私たちの肉眼で見ることはできません。
でも、もし私たちが互いに愛し合うなら、
そのただ中に、
神は私たちのうちに現れてくださいます。
そして、
神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

父なる神は、
イエス・キリストを与えるほど、
私たちを愛してくださいました。
イエス・キリストも命を捨ててまで、
あなたと私を愛してくださいました。
この愛を豊かに受けて、
私たちも互いに愛し合いましょう。

とは言っても
私たちは自分の力では
一時的には愛することはできても
長続きしません。
聖霊の助けを借りて、
主の恵みの中で互いに愛し合いましょう。
その時、
人々はその中に
まことの神を見出すことでしょう。

2019年6月19日水曜日

父なる神のアガペーの愛

619日(水)

なぜなら神は愛だからです。

     ヨハネの手紙 第一48


神は愛です。
神の愛はアガペーの愛です。
アガペーというのは
ギリシア語で神の愛にしか使わない言葉です。
ひとり子のイエス・キリストを、
あなたとわたしの罪の身代わりにして、
よみである地獄に捨ててまで、
あなたと私を救い出してくださった
父なる神の愛は、まさにアガペーです。

あなたが一万円を持って買い物に行けば、
一万円以上の価値あるものでないと
決して一万円を出して買い物をしないでしょう。
父なる神様は、あなたと私を、
イエス・キリストの命を支払って、
サタンと罪から買い戻して
買い取ってくださったのです。

父なる神様にとって、
あなたと私は、
イエス・キリストの命に
匹敵するほど価値あるものなのです。

父なる神はあなたを愛しておられます。

2019年6月18日火曜日

自分の罪がわからないもののために祈ってくださるイエス・キリスト

618日(火)

「父よ。彼らをお赦しください。

 彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

             ルカの福音書2334


イエス・キリストは十字架にかかられる前、
ゲッセマネで祈られました。
それゆえ、あの十字架の苦しみを偲ばれ、
父なる神に捨てられても
十字架を最後まで全うされたのです。
確かにそうなのです。

しかし、
イエス・キリストは十字架に架けられた時も、
その十字架の上でさえも祈られていました。
「父よ。彼らをお赦しください」と。
そして自分を十字架につけた人々のことを、
父なる神にとりなされたのです。
彼らは何をしているのか自分でわからないのですと。
彼らとは、
あの時、十字架につけられていたキリストを
罵り嘲っていた人々のことです。
と同時に、私たち一人一人のことでもあるのです。

私たちは、
自分は正しい、間違っていないと
多くの場合思っています。
でも本当は
そうでないことがしばしばあります。
しかし、それになかなか気づけません。

本当の愛、神のアガペーの愛に触れた時、
初めて自分の罪に本当の意味で気づきます。
私が悪かったと、悔い改めることをするのです。

イエス・キリストは、
その私たちの頑な心を知っておられて、
あの十字架の上で、祈ってくださいました。
彼らは、何をしているのか自分でわからないのです、と。

あなたが自分の罪に気づき、
私が悪かったと悔い改めるまで、
イエス・キリストは
十字架の上で祈り続けてくださっています。

2019年6月17日月曜日

惑わしの時代に霊を見分ける

617日(月)

愛する者たち。

霊だからといって、みな信じてはいけません。

それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。

            ヨハネの手紙 第一41


霊だからといって、みな信じてはいけません。
その霊が本当に神のものである聖霊かどうかを
試し見分けないといけません。
特に今は終わりの時代です。
多くのにせ預言者が世に出て来ています。
人となって来てくださったイエスを
キリストを告白する霊は
確かに神からのものです。
それによって神からの霊、
聖霊であることがわかります。
イエスをキリストと告白しない霊は
どれ一つとして
神から出たものではありません。
それは反キリストの霊なのです。

今は、
まさにそのような惑わしが
世に出てきています。
私たちは、
へりくだって主の助けを頂き、
正しく見分けていかなければいけません。

2019年6月16日日曜日

アガペーの愛は、いつも愛するという動詞

616日(日)

子どもたちよ。

私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、

行ないと真実をもって愛そうではありませんか。

           ヨハネの手紙 第一 318


イエス・キリストは、
私たちへの愛を十字架で示してくださいました。
まさに命をかけて「愛(アがペー)」を
行動で現してくださったのです。
神様の愛を示す「アガペー」という言葉は、
動詞なのです。
愛は常に愛するという行動を伴ったものなのです。
言葉や口先だけではなく、
行いと真実を持って愛しましょう。
そのためには祈りが必要ですね。

聖書ではこの言葉にこう続きます。
世の富を持ちながら、
兄弟が困っているのを見ても、
あわれみの心を閉ざすような者に、
どうして神の愛がとどまっているでしょう。

与えることは受けるより幸いです
と言われた主の言葉に生き、
神の愛を流す者と
主の恵みと愛によって、させていただきましょう。

2019年6月15日土曜日

いのちを捨てるとは?

615日(土)

私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。

    ヨハネの手紙 第一 316節後半


ここで使われている
「捨てる」という言葉は、
そこに据える、という意味があります。
ですから、
いのちを捨てるとは、
そこにいのちを据える、ということです。

キリストが私たちを愛してくださったように、
私たちも兄弟を愛していのちを捨てるとは、
兄弟のためにいのちを、
そこに据えることです。
つまり、
心を定めて、
時間をかけ心をかけ、
その兄弟と共に生きるのです。
ある場合は、実際に
すぐにいのちを捨てるかもしれません。
ある場合は、
長い間共に一緒に生きて、
いのちを使い切ってから
捨てるのかもしれません。

愛するとは、
その人と寄り添い、
いのちを使い切ることです。

2019年6月14日金曜日

いのちを捨ててまで愛されたキリストの愛

614日(金)

キリストは、私たちのために、

ご自分のいのちをお捨てになりました。

それによって私たちに愛がわかったのです。

                                   ヨハネの手紙 第一 316節前半


イエス・キリストは、
あなたを愛し、私を愛して、
ご自分のいのちを、
あの十字架の上で捨てられました。
イエス・キリストは、あなたと私の代わりに、
父なる神に捨てられて地獄に落とされたのです。
イエス・キリストを信じているあなたも私も
決して地獄に落ちることはありません。
必ず永遠に神と共に生きることの出来る天国に帰ります。
十字架を見上げるとき、
イエス・キリストの愛が迫ってきます。
そして父なる神の愛がわかります。

あなたは愛されています。
私も愛されています。
イエス・キリストは、
いのちを捨ててまで、
あなたを、私を愛されたのです。
今も愛しておられます。
その愛は永遠に変わることはないのです。

2019年6月13日木曜日

あなたは何を愛していますか?

613日(木)

世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。

もしだれでも世を愛しているなら、

その人のうちに御父を愛する愛はありません。

           ヨハネの手紙 第一 215


あなたは今、何を愛していますか。
何を求めいきていますか。

聖書は、
世をも、世にあるものをも愛してはなりません。
と語ります。

どうしてでしょう。
それは、
世と世にあるものは、滅び去るからです。
では世とは、世にあるものとは何なのでしょう。
それは、
肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などです。
これらのものは、
御父、つまり神から出たものではなく、
この世から出たものです。
そして、これらのもの、
つまり世と世の欲は滅び去るのです。
確かに一時的に、
私たちの心を満たしたり
喜ばしてはくれるかもしれません。
しかし、それは永遠ではなく、
多くの場合、虚しさを私たちに残します。
しかし、
御父である神を愛するものは、
神のみこころを求め行いたいと願います。
そしてそれを行なう者は、
いつまでもながらえるのです。
一時的な高揚感や快楽ではなく、
まことの神だけが与えてくださる
永遠に続く本当の喜びと平安、
それを求めていきましょう。
その時、私たちは、
神の愛をさらに深く知り、
永遠から注がれる
尽きない喜びに満たされることでしょう。

2019年6月12日水曜日

罪を告白する時、赦され、すべての悪からきよめられる

612日(水)

もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、

神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、

すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

                                         ヨハネの手紙 第一 19


イエス・キリストが十字架にかかられた時、
私の罪もあなたの罪も赦されました。
完全に赦されました。
しかし、その赦しを受け取るためには、
悔い改めが必要です。
その悔い改めは自分の罪を認め、
そのためにイエス・キリストが
身代わりとなって十字架にかかり、
私のすべての罪の罰・呪い・病気を引き受けて、
神に裁かれてくださったことを信じることです。

ここで大切なことがあります。
自分の罪を悔い改める時、声に出して言う。
告白することです。
自分の罪を言い表すのです。
その時、神は真実で正しい方なので、
イエス・キリストの十字架のゆえに、
その罪を赦してくださいます。
完全に赦し、忘れてくださいます。
そして罪の結果もたらされたすべての悪、
あらゆる悪から私たちをきよめてくださるのです。

2019年6月11日火曜日

神の光の中で、イエスの血によって罪からきよめられる


私たちは互いに交わりを保ち、

御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。

                                              ヨハネの手紙 第一 17


私たちが自分の罪を悔い改めて、
イエス・キリストの十字架を信じる時、
私たちは、神の光の中を歩み始めます。
その時、その輝く光の中で、
私たちお互いの交わりが開かれてきます。
そして、その光に照らされて、
私の罪、あなたの罪も明らかにされていきます。
そして、その私とあなたの罪を、
御子イエスの血が
すべて洗い流してくださいます。
あなたの罪も私の罪も赦され、
そしてあなたも私も
罪からきよめられていくのです。

2019年6月10日月曜日

神の輝く光の中を歩く人生

610日(月)

神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。

             ヨハネの手紙 第一1章5節


聖書の神、
私たちが信じている神は、光です。
光があると暗闇は存在できません。
どんなに真っ暗で、暗闇であっても、
そこに光が差し込むと、
それがどんなに小さな光であっても、
暗闇は消えていきます。

あなたが神を信じない、
神に背を向けて歩く人生から、
イエス・キリストの十字架を信じ、
向きを変えて
神を信じる人生を歩み始める時、
あなたは神の光の中を
歩き始めることになります。
その時から、
あなたの人生には神の光が輝き始めます。
暗闇は消えていくのです。
神の光の中で、
あなたは暗闇から解放され、
輝く光の中を歩き始めることができるのです。

2019年6月9日日曜日

神の時は完全で美しい


神のなさることは、すべて時にかなって美しい。

神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。

            伝道者の書311




私たちの目には、遅すぎると思えたり、
早すぎると感じたりする「時」がありませんか。
でも、私たちの目を永遠に向けて、
もう一度よくそのことを見てみると、
実にドンピシャだと思える「時」ということがあります。
また、その時はわからなくても、
後になってみると確かに一番美しい、
一番良いタイミングだったとわかることがあります。
神さまの時は美しく完全です。
私たちの時とはしばしば違いますが、
違うからといってあわてたり、
がっかりしたりしないで、
感謝しつつ永遠に目を向けて
主イエスを賛美しましょう。
きっと主の時の素晴らしさが見えてくるでしょう。

2019年6月8日土曜日

イエス・キリストを二人の間にお迎えする


もしひとりなら、打ち負かされても、

ふたりなら立ち向かえる。

三つ撚りの糸は簡単には切れない。

         伝道者の書412



一人だと耐えられなかったり、耐え忍べないことも、
二人なら、持ちこたえ耐え忍べることがあります。
確かに一人より二人は強いのです。
まして三つ撚りの糸になると簡単には切れません。
例えば夫婦なら、
子供がいることによって、
二人の絆がより強くなります。
でも、子供はいつか親から自立していきます。
また子供がいないときもあります。
三つ撚りの糸になるのは、
二人の間にイエス・キリストをお迎えし、
聖霊様に依り頼むと、
どんな困難や問題、病気にも
立ち向かい勝利できるのです。
なぜなら、
主イエスは、圧倒的な勝利者であり、
あなたの味方だからです。
聖霊様もあなたを助け、
勝利へと導いてくださいます。
夫婦の真ん中に、
親子の真ん中に、
兄弟姉妹の只中に、
イエス・キリストをしっかりと据えましょう。
そのとき、
神の深い愛と恵みをあなたは知ることでしょう。

2019年6月7日金曜日

勇気を出しなさい


「勇気を出しなさい。あなたは、

 エルサレムでわたしのことをあかししたように、

 ローマでもあかしをしなければならない。」

             使徒の働き2311


パウロというと、いつも大胆で、恐れることなく、
福音を語りイエス・キリストを
命がけで宣べ伝えていたようなイメージがあります。
しかし、実際はそうではなかったようです。
この時も、パウロは、エルサレムで
イエス・キリストのことを証ししたように、
ローマでも証しすることを
主イエスに語られ命じられていますが、
パウロにも恐れがあったようです。
だから、主イエスはパウロに
「勇気を出しなさい。」と
まず語られたのでしょう。

私たちも、
主イエスを愛しているのに、
福音を語りたいと願っているのに、
恐れにとらわれてしまったり、
尻込みしてしまいそうになることがあります。
そんな時、自分を責めたり
自分はダメだと落ち込まないでください。
パウロでさえ、
そういうところを通ったのです。
主イエスは、あなたを責められるのではなく、
あなたを励まし強めてくださいます。
「勇気を出しなさい」と。
そして、
あなたに聖霊を注ぎ、
福音を語り、イエス・キリストを
宣べ伝える勇気を与えてくださいます。

パウロのように
あなたも主の言葉に励まされ、
勇気を出して、
あなたのエルサレムに、
そしてあなたのローマへと
イエス・キリストを
証しするために進んでいきましょう。
必ず主が共にいて勝利を与え、
救いの実と栄光を表してくださいます。