2019年3月31日日曜日

子どものように素直な心で


子どもたちをわたしのところに来させなさい。

止めてはいけません。

神の国は、このような者たちのものです。

                                    ルカの福音書1816


イエスにさわっていただこうとして、
人々が幼子たちを、みもとに連れて来ました。
ところが、弟子たちはそれを見てしかりました。
しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われました。
「子どもたちをわたしのところに来させなさい。
 止めてはいけません。
 神の国は、このような者たちのものです。
 まことに、あなたがたに告げます。
 子どものように神の国を受け入れる者でなければ、
 決してそこに、はいることはできません」

主イエスは子どもたちが、とてもお好きでした。
子どもの素直な心を喜ばれました。

私たちが聖書を読む時には、
み言葉に対して、
幼子のような素直な心で読み、
神さまに耳を傾けましょう。

イエス・キリストの名によって祈る時にも、
幼子のように恐れず大胆に、
まっすぐに、主に向かって祈りましょう。

もちろん、悪魔やサタンに対しては
蛇のように賢くなることが必要です。
でも、主イエスには
鳩のように素直な心でいましょう。
その時、主の御心を正しく知ることができるのです。

2019年3月30日土曜日

祈りの秘訣はしつこく、しつこく願い求め祈ること


いつでも祈るべきであり、失望してはならない 

          ルカの福音書181


イエス・キリストは、
いつでも祈るべきであり、
失望してはならないことを教えるために、
弟子たちにたとえを話されました。
「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
 その町に、ひとりのやもめがいたが、
 彼のところにやって来ては
『私の相手をさばいて、私を守ってください。』と言っていた。
 彼は、しばらくは取り合わないでいたが、
 後には心ひそかに
『私は神を恐れず人を人とも思わないが、
 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、
 この女のために裁判をしてやることにしよう。
 でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った」
主は言われた。
「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。
 まして神は、
 夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、
 いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
 あなたがたに言いますが、
 神は、すみやかに彼らのために
 正しいさばきをしてくださいます。
 しかし、人の子が来たとき、
 はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」


祈りの一つの秘訣は、
主イエスの名によって、父なる神に、
しつこく、しつこく、求め願うことです。
人に対してではなく、
全知全能である聖書に書かれている父なる神に、
あなたと私を命をかけて愛してくださった
主イエス・キリストの名によって、
大胆に求め祈るのです。
一度でもなく、二度や三度でもなく、
答えていただくまで、
何度でも何度でも願うのです。
しつこく祈り求めるのです。
その時、主は必ず答えてくださいます。

2019年3月29日金曜日

主イエスのもとに戻って来たいやされた人


「立ち上がって、行きなさい。

 あなたの信仰が、あなたを直したのです。」

           ルカの福音書1719


イエスがある村にはいると、
十人のらい病人が、遠く離れた所に立って、声を張り上げて
「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と叫びました。
イエスは彼らに
「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい」と言われ、
彼らがそのとおりにすると、行く途中で全員いやされたのです。
そのうちのひとりは、
自分のいやされたことがわかると、
大声で神をほめたたえながら引き返して来て、
イエスの足もとにひれ伏して感謝を捧げました。
彼はサマリヤ人でした。
そこでイエスは言われました。
「十人いやされたのではないか。
 九人はどこにいるのか。
 神をあがめるために戻って来た者は、
 この外国人のほかには、だれもいないのか」
それからその人に言われました。
「立ち上がって、行きなさい。
 あなたの信仰が、あなたを直したのです。」

主イエスのもとに戻ってきたこの人は、
この後も将来に至るまで大丈夫だよと、
主イエスから言われました。
ここから立ち上がって行きなさいと。

イエス・キリストの愛とあわれみは深いものです。
感謝を捧げに来なかった9人も完全にいやされたのです。
感謝しに来なかったから、
また病気になったと言うことはありません。

イエス・キリストのところに行き、
心から願い求め叫ぶ時、
主イエスは答えてくださいます。
主の愛の中で答えられいやされた時、
感謝を捧げにイエスのもとに行き、
この後の将来に至るまで、
主の約束をいただく者となりたいですね。

2019年3月28日木曜日

神のことばを言えば、不可能も可能になる


「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、

 この桑の木に『根こそぎ海の中に植われ』と言えば、

 言いつけどおりになるのです。

              ルカの福音書176


からし種は、とてもとても小さな種です。
あまりに小さいので目を近づけてみようとすると、
鼻息で飛んでしまうような小さな種です。
でも、そんな小さな種のような信仰でいいのです。
その信仰があれば、
桑の木が、根こそぎ海に植わるのです。

鍵は「言うと」、
つまり告白する事、声に出して言う事です。

イエス・キリストはあなたを愛しておられます。
だからあ、なたに言葉を与えられます。
語られるのです。

聖書を読んでいる時、
メッセージに耳を傾けている時、
あるいは預言を聞いた時、
心に強く迫ってきて、
神さまから語られたと吟味した上で確信できたなら、
どんなに不可能と思っても
声に出して言うのです。
恐れずに告白しましょう。

その時、どんなに不可能と思えても、
その不可能を、神様は可能にしてくださいます。

神に不可能は一つもないからです。

2019年3月27日水曜日

小さな事に忠実な人に大きな事を任される


小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、

小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。

            ルカの福音書1610


私の友人のクリスチャンは、
英語の教師をしていました。
生徒がわかるように、
生徒が楽しく勉強したくなるように、
いつもそれを祈りながらしていました。
あるとき、
市の教師の研究発表会があり、
友人の教師が出ることになりました。
ところが、
2週間前にその人が出られなくなり、
急に彼に頼まれました。
みんな、
半年以上かけて準備する研究発表ですが、
彼は引き受けて、
いつものように授業をしました。
すると、
多くの人が評価をしてくださり、
県でも発表してほしいと言われ、
県で発表すると、
教育委員会に呼ばれ、
数年後、
校長になってほしいと頼まれ、
彼は校長先生になりました。

神様は、
彼が人が見ていても見ていなくても、
いつも子ども達の事を考えて、
忠実に誠実に教えていた事を見ておられて、
彼を校長へと導かれたのです。

あなたも、今おかれているところで、
どんなに小さなことに思えても、
人から評価されてもされなくても、
全てを知っておられる主の前で、
忠実にしましょう。

必ず主イエスは、
時が来ると、
あなたに大きな事を任せてくださいます。

2019年3月26日火曜日

天国でわき起こる天使たちの喜び


ひとりの罪人が悔い改めるなら、

神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。

         ルカの福音書1510


イエスの話を聞こうと近寄ってきた取税人、罪人たちを見て、
つぶやいたパリサイ人、律法学者たちに、
イエス・キリストは、こんな例えを話されました。
「また、女の人が銀貨を十枚持っていて、
 もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、
 見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。
 見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて
 『なくした銀貨を見つけましたから、
 いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。
 あなたがたに言いますが、
 それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、
 神の御使いたちに喜びがわき起こるのです」と。

イエス・キリストにとって、
一人の人が悔い改めて
イエス・キリストを信じることは
何にもまさって嬉しいことだったのです。

救われ永遠の命を受け、
天国でともに永遠に生きることができる。
これに勝る喜びはありません。

2019年3月25日月曜日

天国の最高の喜び


ひとりの罪人が悔い改めるなら、

悔い改める必要のない九十九人の

正しい人にまさる喜びが天にあるのです。

         ルカま福音書157


イエスの話を聞こうとして、
取税人、罪人たちがみな、
みもとに近寄って来ました。
すると、パリサイ人、律法学者たちは
「この人は、罪人たちを受け入れて、
 食事までいっしょにする」とつぶやいたのです。
その時イエスは、
彼らにこのようなたとえを話されました。
「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、
 そのうちの一匹をなくしたら、
 その人は九十九匹を野原に残して、
 いなくなった一匹を見つけるまで
 捜し歩かないでしょうか。
 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、
 『いなくなった羊を見つけましたから、
 いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。
 あなたがたに言いますが、
 それと同じように、
 ひとりの罪人が悔い改めるなら、
 悔い改める必要のない九十九人の
 正しい人にまさる喜びが天にあるのです」

天国では、
一人の人が自分の罪を悔い改めて、
イエス・キリストを信じる時、
もう信じて救われている99人に
まさる喜びがあるのです。
それほどに、人が救われること、
つまり永遠の命が与えられることは
素晴らしいことなのですね。

私たちは、あらゆる機会に
イエス・キリストを伝えていきましょう。

きっとあなたを通して
イエス・キリストを信じる人がいます。

2019年3月24日日曜日

安息日であってもいやして直してくださるイエス・キリスト


イエスはその人を抱いて直してやり、

そしてお帰しになった。

        ルカの福音書144


ある安息日のことです。
イエスは食事をしようとして、
パリサイ派のある指導者の家にはいられました。
すると、みんながじっとイエスを見つめているのです。
そこには、イエスの真正面に、
水腫をわずらっている人がいたからでした。
イエスは、律法の専門家、パリサイ人たちに
「安息日に病気を直すことは正しいことですか、
 それともよくないことですか。」と言われました。
しかし、彼らは黙っていて、一人も答えません。
それで、イエスはその人を抱いて直してやり、
そしてお帰しになりました。
それから、彼らにこう言われました。
「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、
 安息日だからといって、
 すぐに引き上げてやらない者が
 あなたがたのうちにいるでしょうか」
彼らは答えることができませんでした。

イエス・キリストは、別のところで言っておられます。
「安息日のために人間が作られたのではなく、
 人間のために安息日は作られたのです」
たとえ安息日であっても、
イエス・キリストは、
病気の人をいやしてくださいます。
愛の神であられるキリストは、
いやせずにはおれないのです。

あなたも、
このイエス・キリストのところに行きましょう。
どんな重い病気であっても、
心が痛んで、精神が壊れてしまっていても、
イエス・キリストは、いやして直してくださるのです。

2019年3月23日土曜日

イエス・キリストは病気をいやして直してくださいます


「あなたの病気はいやされました」

                          ルカの福音書1312


ある安息日に、
イエスが、会堂で教えておられると、
そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、
全然伸ばすことのできない女がいました。
イエスは、その女を見ると、彼女を呼び寄せ
「あなたの病気はいやされました」
と言って、手を置かれました。
すると、女はたちどころに腰が伸びて、
神をあがめました。
ところが、それを見た会堂管理者は、
イエスが安息日にいやされたのを憤って、
群衆に言いました。
「働いてよい日は六日です。
 その間に来て直してもらうがよい。
 安息日には、いけないのです」
しかし、主は彼に答えて言われました。
「偽善者たち。あなたがたは、安息日に、
 牛やろばを小屋からほどき、
 水を飲ませに連れて行くではありませんか。
 この女はアブラハムの娘なのです。
 それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。
 安息日だからといって
 この束縛を解いてやってはいけないのですか」
こう話されると、
反対していた者たちはみな、恥じ入り、
群衆はみな、イエスのなさった
すべての輝かしいみわざを喜びました。

イエス・キリストは、
安息日だからといって、
18年もの間、病の霊につかれて
腰が曲がり苦しんでいたこの女を見過ごすことも、
放っておくこともできませんでした。
主イエスにが持っておられる律法は
「愛の律法」だからです。

あなたも、ためらわずにキリストのところに、
病気の時、来てください。
病気の人を連れてきてください。
その時、
「あなたの病気は癒されました」と語って、
今まで治らなかった
その病気をいやして直してくださいます。

2019年3月22日金曜日

朽ちない永遠に残る宝


あなたがたの宝のあるところに、

あなたがたの心もあるからです。

     ルカの福音書1234


あなたの宝はどこにありますか。
一番大切なものは何ですか。
お金、人、物・・・ですか。
イエスは
「持ち物を売って、施しをしなさい。
 自分のために、古くならない財布を作り、
 朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。
 そこには、盗人も近寄らず、
 しみもいためることがありません」
と言われました。

私たちがこの地上で、
どんなに蓄えても、
それを天国に、
永遠には持っていけないのです。
この地上で、ひととき輝いたとしても、
やがて朽ちていくものがほとんどです。
永遠に残るもの、
本当に価値あることのために、
あなたの時間、心、財を使ってください。

イエス・キリストと共に歩み、
永遠に残る朽ちることのないものに
心を向けて歩んでいきましょう。

2019年3月21日木曜日

語ること、言うべきことは聖霊が教えてくださる


言うべきことは、

そのときに聖霊が教えてくださるからです。

                                     ルカの福音書12章12


あなたは人前で話すとき、
何を話せばいいのかとか、
うまく話せるだろうかと
思い煩ったり心配してしまうことがありませんか。

聖書にはこう書かれています。
「人々があなたがたを、
 会堂や役人や権力者などのところに連れて行ったとき、
 何をどう弁明しようか、
 何を言おうかと心配するには及びません。
 言うべきことは、
 そのときに聖霊が教えてくださるからです」

確かに聖霊さまは、
私たちが何を語り、
どのように話すべきかを導いてくださいます。

だから、あなたも心配しないで、
この方を信頼し、聖霊にお任せしましょう。

主が言うべきことを教え、語ってくださいます。

2019年3月20日水曜日

恐れるべきお方


おおいかぶされているもので、現わされないものはなく、

隠されているもので、知られずに済むものはありません。

              ルカの福音書122


イエスは弟子たちに、
当時の指導者であり宗教エリートであったパリサイ人のパン種、
つまり偽善に気をつけなさいと、こう言われました。
おおいかぶされているもので、現わされないものはなく、
 隠されているもので、知られずに済むものはありません。
 ですから、あなたがたが暗やみで言ったことが、明るみで聞かれ、
 家の中でささやいたことが、屋上で言い広められます。
 そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。
 からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。
 恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。
 殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。
 そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい」と。

私たちは人間を恐れやすい者です。
特に立場や権威のある人を恐れ、
自分の生活に影響を及ぼす人に対して恐れを持ちやすい者です。

でも、私たちが恐れなければならない人は、真の神さまです。
人を恐れると罠に陥ります(箴言)。
主を恐れる者は乏しいことがなく、
主に身を避けるものは恥を見ることがありません。
主に信頼するとき、必ず主イエスは守ってくださいます。

この方を恐れて歩んでいきましょう。

2019年3月19日火曜日

聖霊を与え満たしてくださる父なる神様


天の父が、求める人たちに、

どうして聖霊を下さらないことがありましょう。

          ルカの福音書 1113


イエスは、
子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を、
卵を下さいと言うのに、さそりを与えるような父親がいるでしょうか
と言われた後に、こう続けられました。
「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、
 自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。
 とすれば、なおのこと、
 天の父が、求める人たちに、
 どうして聖霊を下さらないことがありましょう」

つまり、父なる神様は、
一番素晴らしい聖霊をくださらないわけはないということです。

自分の罪を悔い改めて、
イエス・キリストを信じるとき、
聖霊は私たちのところに来て、住んでくださいます。
それでも、私たちは自分の力のなさや弱さを強く感じるときがあります。
そんなとき、天の父なる神に助けを叫び求めると、
主イエス・キリストは、
私たちを聖霊で満たし、聖霊の力を注いでくださるのです。
そのとき私たちは神の恵みの中で、
聖霊の力と愛を深く体験します。

あなたも大胆に父なる神に叫び求めましょう。
主イエスは、必ず聖霊を与え満たしてくださいます。

2019年3月18日月曜日

本当に幸いな者


しかし、イエスは言われた。

「いや、幸いなのは、

 神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」

           ルカの福音書1128


イエスが話しておられると、
群衆の中から、
ひとりの女が声を張り上げて
イエスに向かって言いました。
「あなたを産んだ腹、
 あなたが吸った乳房は幸いです」と。

しかし、イエスはこう言われたのです。
「いや、幸いなのは、
 神のことばを聞いてそれを守る人たちです」
そうです。
人となられたイエスの母マリヤも、
イエスを産み、
乳を飲ませたから幸いだったのではなく、
マリヤが、神のことばを信じ受け入れ
「おことば通り、この身になりますように」
と言った従順が幸いだったのです。

私たちも血肉に縛られやすいものですが、
そうではなく、
神のことばに耳を傾け、
主イエスのことばを聞いて、
それを守り従う者と、
主の恵みと聖霊の助けによって、していただきましょう。

2019年3月17日日曜日

最善で最高のものを与えてくださる父なる神様!


求めなさい。そうすれば与えられます。

捜しなさい。そうすれば見つかります。

たたきなさい。そうすれば開かれます。

                                 ルカの福音書119


この聖書の箇所は有名です。
求めよ、さらば与えられん。(文語体)
という昔の訳はよく知られています。

人生で困った時、緊急の時に思い出してほしい聖書の箇所です。
覚え方は、ルカ119番、同じことがマタイ77にもあります。
是非覚えておいてください。

さて、ここは、
イエスが祈りについて語られた最も有名な箇所ですが
わたしは、あなたがたに言います。
 求めなさい。そうすれば与えられます。
 捜しなさい。そうすれば見つかります。
 たたきなさい。そうすれば開かれます。」
に続いて
「だれであっても、求める者は受け、
 捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」と言われ、
さらに、こんな例えを言われました。
「あなたがたの中で、
 子どもが魚を下さいと言うときに、
 魚の代わりに蛇を与えるような父親が、
 いったいいるでしょうか。
 卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。
 してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、
 自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。
 とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、
 どうして聖霊を下さらないことがありましょう」と。

つまり、父なる神様は、
子供たちである私たちが願い求めるなら、必ず最善のものを、
その人にとって最高のものを与えてくださると言うことです。
魚を求めて蛇、卵を願ってさそりは、ないですね。

でも、とても残念なことですが、
クリスチャンの中にでも、
そんな風に神様に対して思っている人がいます。
本当に欲しいものを求めると、
そんな贅沢なものはお前に入らない、ダメだと言われる。
自分のことを、とても否定的に小さく思っている人は、
そんな自分にふさわしい大した事のない変なものが与えられる。

万が一、もしあなたがそんな風に思っていたり、
それと近い考えなら、
今きっぱりと、その思いや考えを捨ててください。
100%間違っています。

本当の願い、心の叫びを
主イエス・キリストの名によって
父なる神に求めましょう。
父なる神様は、
あなたに最善にして最高のものを与えてくださいます。

2019年3月16日土曜日

愛ゆえ厚かましいほどに求める


あくまで頼み続けるなら、

そのためには起き上がって、

必要な物を与えるでしょう。

    ルカの福音書118


イエスに、弟子のひとりが
「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、
 私たちにも祈りを教えてください」と聞くと、
イエスは、彼らにまず「主の祈り」を教えられ、
さらに続けて、こんな例えを話されました。
「あなたがたのうち、
 だれかに友だちがいるとして、
 真夜中にその人のところに行き、
 『君。パンを三つ貸してくれ。友人が旅の途中、
 私のうちへ来たのだが、
 出してやるものがないのだ。』と言ったとします。
 すると、彼は家の中からこう答えます。
 『めんどうをかけないでくれ。
 もう戸締まりもしてしまったし、
 子どもたちも私も寝ている。
 起きて、何かをやることはできない。』
 あなたがたに言いますが、
 彼は友だちだからということで
 起きて何かを与えることはしないにしても、
 あくまで頼み続けるなら、
 そのためには起き上がって、
 必要な物を与えるでしょう。」

ここから、ひつこいほどに願えば、
どんな無茶なことでも、
無理やりにでも聞いてもらうことができる
というようなことを言う人がいますが、
そうではありません。


この人は友人に、
どうしても何か食べさせてあげたかったのです。
だから、あくまで頼み続けました。
祈る時とても大切なことは、
この人が友人に食べさせてあげたいと思ったように、
愛による信仰、あるいは強い強い願いです。
だからこの人は、
あくまで頼み続けることができたのです。

原語では厚かましいほどにとも訳せる言葉です。
愛する心から生まれてくる強い強い願いのゆえに、
どうしても聞いて欲しい、答えてほしいと
答えられるまで願い続ける、
どんな不可能と思っても、
あくまで、厚かましいほどに
イエス・キリストに向かって求め続けていく、
その時、主イエスは、必ず答えてくださるのです。

2019年3月15日金曜日

主イエスは、今も語り働かれる


私たちは、

自分の見たこと、

また聞いたことを、

話さないわけにはいきません。

     使徒の働き420


民の指導者、長老、学者たちは、
大祭司とともに、
弟子たちを呼んで、
いっさいイエスの名によって
語ったり教えたりしてはならない、
と命じました。

しかしペテロとヨハネは
彼らに答えて言いました。
「神に聞き従うより、
 あなたがたに聞き従うほうが、
 神の前に正しいかどうか、
 判断してください。
 私たちは、自分の見たこと、
 また聞いたことを、
 話さないわけにはいきません」

ペテロとヨハネは
主イエスの声を聞き、
またそのわざと働きを見たのです。

そして、今も主は生きておられ、
あなたにも私にも語り、
御業を現してくださるのです。


私の友人の牧師は、妻が側彎症で、
もうこれ以上は生きれないという時に、
ディボーションで
「病人に手を置けば病人は癒されます」
という言葉を読んだ時、
心に強く残り語りかけを受けました。
それで奥様にそっと手を置き、
牧師の真似をして祈りました。
すごい信仰があったわけでもなく、
経験があったわけでもありません。
でも彼は真剣に祈りました。
すると、奥様の体から
今まであった激しい痛みが消え去り、
癒されたのです。
そして20年近く経った今も
愛する奥様は生きておられます。

彼が聞いた主のみ言葉に従った時、
主の愛の奇跡は起こりました。
彼は今でも、
その時のことを
機会あるたびに
喜びを持って語ります。
話さないわけにはいかないのです。