2019年1月22日火曜日

強いられた十字架の恵み


彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。

                                          マルコの福音書1521



祭司長を始め、律法学者や群衆たちは、
イエスを嘲弄したあげく、
イエスを十字架につけるために連れ出しました。
ちょうどそこへ、
いなかから過越祭に来ていたクレネ人のシモンという男が通りかかったので、
彼らはイエスの十字架を、
むりやりに彼に背負わせました。
この男は、祭りに来たのに、
イエスの十字架を無理やり負わされることになったのです。

でもこれが、
シモンへの神様の深い特別な愛でした。
彼は、
イエスの後ろから
十字架を背負ってカルバリまでついて行きました。

よろけながら歩くキリストの後ろ姿を見ながら、
最初、彼はついていないと思いながら歩いたことでしょう。
しかし、歩いていくうちに
イエス・キリストから流れてくる言葉にできない深い温かさ、
アガペーを感じ始めたに違いありません。
カルバリーの丘についた時、
彼は十字架の真下で、イエスの十字架を見たのです。

イエスが、
そこで私たちのためにとりなし祈り、
私たちのために身代わりに神に捨てられ死んでいく姿を。

その時、シモンにはわかりました。
この方が救い主なのだと。

彼は祭りから帰った後、
家族にそのことを話し、
家族みんなが救われます。
彼の妻は、その後、
パウロから私の母と言われるほど慕われる信仰者になります。
クレネ人シモンにとって、
この無理やり負わされた十字架こそが祝福でした。

あなたの人生にも、
あなたが望まなかったのに、
無理やり負わされる十字架があるかもしれません。

でも、
その中に永遠の祝福が、
素晴らしい宝が隠されているのです。

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