2019年1月31日木曜日

イエスのことばに従うとき見る神の愛の御業


「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」

                                            ヨハネの福音書216



ペテロをはじめ7人の弟子たちは、
ガリラヤ湖にイエスに会うために行ったのに、
そこでお腹をすかして再び漁に出ます。
ところが、その夜は何も一匹もとれませんでした。
夜が明けそめたとき、
岸辺に立たれたイエスは弟子たちに言われます。
「舟の右側に網をおろしなさい。
 そうすれば、とれます。」

一晩、何もとれず、
とても弱くされていた弟子たちは、
その言葉の通りに右に網をおろしました。
するとおびただしい魚のために
網を上げることができないほどとれたのです。
153匹の大きな魚でいっぱいでした。

イエス・キリストのことばに素直に従うとき、
私たちは神の御業、神の愛に出会うのです。

そして弱くされているとき、
私たちは、主イエスの言葉に素直にすぐに従うことができるのです。

2019年1月30日水曜日

教会にとどまるとき流れ出す神の愛


父がわたしを愛されたように、

わたしもあなたがたを愛しました。

わたしの愛の中にとどまりなさい。

                       ヨハネの福音書159



イエスは言われました。
「わたしの愛の中にとどまりなさい」と。

わたしの愛にとどまるとは、どういうことでしょうか。
「もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、
 あなたがたはわたしの愛にとどまるのです」
わたしの戒めを守るとは、どういうことでしょうか。
「わたしがあなたがたを愛したように、
 あなたがたも互いに愛し合うこと、
 これがわたしの戒めです」
つまりイエス・キリストが愛してくださったように、
互いに愛し合うことが戒めを守り、
イエスの愛の中にとどまることです。

でもイエスが愛してくださった愛、
つまり神の愛、アガペーで
私たちが互いに愛し合うことは、
限りなく不可能に近いのです。
正直に言って、とても無理です。
イエスは無理なことを言われたのでしょうか。
そうではありません。

これは弟子たちに言われたことでした。
つまり、弟子たちが互いに愛し合うことです。
弟子たちが共にいる場所は教会です。
そして教会にはキリストが満ちているのです。
そしてイエス・キリストを信じた者の内には
聖霊が宿ってくださっています。

ですから、教会にとどまるなら、
教会に満ちておられるキリストが、
私に、このアガペーを注いでくださり、
私たち一人一人のうちに
住んでおられる聖霊で満たされていくとき、
そのアガペーが
私を通して、あなたを通して
流れていくのです。

教会にとどまり続けるとき、
必ず実を結んでいくのです。

2019年1月29日火曜日

キリストのことば、神のことばがとどまるなら何でもかなえられる!


あなたがたがわたしにとどまり、

わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、

何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。

そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

            ヨハネの福音書157



イエスは
「わたしにとどまりなさい」に続けて、
さらにこう言われました。
「あなたがたがわたしにとどまり、
 わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、
 何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。
 そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」と。

わたしのことば、
つまりキリストのことば、神のことばに、
とどまるなら欲しいものがかなえられるのです。

神様は今も生きておられ、
私たちに語ってくださいます。
祈りのうちに、
聖書のみことばを通して、
預言(吟味が必要ですが)によって、
それ以外にも語られます。

また、特に、特別に語られなくても
聖書のみことばは、
いつでも、どこでも、誰にでも
適応できる約束の言葉が、たくさんあります。
その言葉を心に留め信じて、
その言葉に立って祈り生きるなら、
必ず主イエスは答えてくださるのです。

2019年1月28日月曜日

賛美と祈りを通して、キリストにとどまり多くの実を結ぶ


わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。

人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。

            ヨハネの福音書155



イエスは言われました。
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。
 人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、
 そういう人は多くの実を結びます。
 わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです」と。

では、どうすればぶどうの木であるイエスさまに、
とどまっていることができるのでしょうか。
それは神である主を賛美しほめたたえ、
そして心を注ぎだして祈ることです。

私も周りの人も変わります。
状況も刻々変わるでしょう。
でもイエス・キリストの愛も真実も変わりません。
父なる神のアガペーもきよさ(聖)も、
全能で不可能がないことも、
何一つ変わらないのです。

ですから、どんな時でも私たちは、
神である主を賛美することができるのです。
そしてその方に向かって、
心を注ぎだして祈るのです。
悲しみ、苦しみ、辛さを注ぎ出せばいいのです。
ただこの時、
つぶやいたり、
文句を言ったりするのはやめましょう。
「悲しいけれど感謝します。」
「今とても辛いけれど、それでもあなたをほめたたえます。」
「苦しくてたまりません。
 なぜこんなことが許されたのかわかりません。
 でも、感謝します。」
と感情を注ぎだして、
その上で神のみことばに立って祈りましょう。
その時、
真実なる神様は、
あなたに必ず最善の答えを与えてくださり、
あなたは、神の愛の深さを知るでしょう。

2019年1月27日日曜日

キリストを信じて病人に手を置けば病人はいやされます


また、病人に手を置けば病人はいやされます。

              マルコの福音書1618



イエスが弟子たちに全世界への宣教命令を語られた時、
続いてこう言われました。
「信じる人々には次のようなしるしが伴います。
 すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、
 新しいことばを語り、蛇をもつかみ、
 たとい毒を飲んでも決して害を受けず、
 また、病人に手を置けば病人はいやされます。」

私の友人の奥様は、
30歳ぐらいまでしか生きられないと言われていました。
その歳を過ぎた頃、車椅子の生活をしていた彼女は、
身体中が痛くなり、少し体に触れられただけでも
「ぎゃー」と言うようになりました。
お医者さんは「時が来ましたね」と言われ、
麻酔で痛みを和らげるか、
少しだけ延命させるかのどちらかしかない
と言われたのです。

二人は絶望しました。
でも彼らには、イエス・キリストがおられました。
毎朝、早く起きて二人で祈るようになりました。
聖書を読んだ時、
「病人に手を置けば癒される」
この言葉が、ご主人の心に強く響きました。
彼は奥様に、そっと手を置き祈りました。
心を込めて祈りました。
癒されるように、痛みがなくなるように、
牧師達のしているのを見よう見まねで祈りました。
短く祈った後、聞きました。
「痛みはどう」
「痛くない」そう奥様は言いました。
「本当
彼は信じれなくて
少しだけ車椅子を動かしてみました。
奥様は「痛くない」と言いました。
彼は驚き、
今度は思い切り車椅子を動かしました。
すると奥様は
「痛くない、本当に痛くない」
そう笑顔で応えました。

ご主人も、
ボランティアに来ていた大学生の女の子も
感動して、泣きながら笑顔で神様を賛美しました。

いま彼は牧師になっています。
奥様は、20年以上過ぎた今も元気です。

イエス・キリストが言われた言葉は真実なのです。
「病人に手を置けば病人はいやされます。」

2019年1月26日土曜日

イエスの弟子への命令は「全世界宣教」


「全世界に出て行き、

 すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」

            マルコの福音書1615



弟子たちは、
よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じませんでした。
すると、イエスは、
弟子の十一人が食卓に着いているところに現われて、
彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになります。

でもそのあとに、
イエスは彼らにこう言われたのです。
「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」と。

その不信仰で、かたくなな心の弟子たちに
世界宣教の使命を命じられ託されるのです。

イエス・キリストは、
弟子たちを最後まで選び抜き、
彼らに使命を命じられて、
天に帰って行かれました。

私たちも、弱く時として不信仰になり、
かたくなな心になってしまうことがあります。
しかし、イエスは、
そんな私たちのところにきて、
使命を命じてくださるのです。

それは、重荷ではなく、喜びと生きる希望となることでしょう。
イエス・キリストは
あなたを選ばれ愛し抜かれるのです。
これがアガペーです。

2019年1月25日金曜日

今も生きておられるよみがえられたイエス・キリスト


あの方はよみがえられました。

ここにはおられません。

              マルコの福音書166



墓に納められたイエスに油を塗りに行こうと、
マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、
香料を買い、安息日が終わった、
週の初めの日の早朝、墓に急ぎました。

ところが墓についてみると、
墓の入口にあった大きな石がすでにころがしてあり、
墓の中には、
真白な長い衣をまとった青年が
右側にすわっているのが見えました。
彼女たちが驚いていると、青年は
「驚いてはいけません。
 あなたがたは、
 十字架につけられたナザレ人イエスを
 捜しているのでしょう。
 あの方はよみがえられました。
 ここにはおられません。
 ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。」
と言ったのです。

イエス・キリストは、よみがえられたのです。
墓にはおられなかったのです。
今もイエス・キリストは生きておられます。
天の右の座におられ、
信じる私たちのうちに住まわれています。

イエス・キリストは、
私たちを愛して十字架で死なれよみに下られましたが、
よみがえり復活されました。
このお方は2度と死ぬことはありません。

私たちは、
今も生きておられる
イエス・キリストを信じているのです。
イエス・キリストは永遠なるお方です。

2019年1月24日木曜日

十字架はあなたと私を神の子としてくれる


神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。

                              マルコの福音書1538



イエスは、午後三時に、大声で
「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ
(わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか)」
と叫ばれるたあと、
再び、大声をあげて息を引き取られました。

そのとき、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けました。
この幕は、神殿の聖所と至聖所を仕切っている分厚い幕でした。
一年に一度だけ大祭司が、
大贖日というユダヤの全国民が断食して悔い改める日に、
その幕の中の至聖所と言われている神の御臨在される場所に、
民を代表して入ることができました。

その分厚い幕がこのとき、真っ二つに裂けたのです。

この時から、
罪人である私たち人間が、
自分の罪を悔い改めて、
イエス・キリストの十字架を信じるなら、
いつでも、どこでも、神の御臨在の中に、
つまり、神ご自身と交わることができるようになったのです。

いつでも父なる神さまにキリストの名によって
祈り、願い、話すことができるのです。
そして父なる神から、
その答えを受け、語られることができるのです。
神の子になれるのです。

イエス・キリストの十字架は、
あなたと私の、私たちの救いであり希望です。

イエスの正面に立って、
イエスの十字架を最後まで見ていた百人隊長は、
イエスがこのように息を引き取られたのを見て、
「この方はまことに神の子であった。」と言いました。
全くの異邦人であったローマ兵でもわかったのです。
イエスが十字架で示された愛、アガペーが。

あなたも
このイエス・キリストの十字架の愛を受け取り、
自分の罪を悔い改め、
イエス・キリストを信じて、
神の子にしていただきましょう。

2019年1月23日水曜日

父なる神に捨てられるまであなたと私を愛されたイエス


「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。

それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

                                              マルコの福音書1534



イエス・キリストが十字架にかかられた時は、朝の9時でした。
それから3時間経った12時になったとき、
全地が暗くなり、午後3時まで続きました。

するとイエスは
「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれたのです。
それは訳すと
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味です。

イエスは、神に捨てられたのです。
イエス・キリストにとって、
まさに父であった父なる神に捨てられたのです。
それは「あなた」と「私」のためでした。
キリストは、
私たちの罪を引き受けて罰と裁きを受け、
私たちの身代わりとなってよみ、
つまり地獄に行かれたのです。
神であられた方が、神に捨てられたのです。

この叫びは、本当は私とあなたがする叫びでした。
でも、
イエスはあなたを愛し切られ、
私を愛し抜かれて、
私たちの代わりに叫ばれたのです。
「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と。

いつも「アバ(父よ)」と言っておられたイエスが、
初めて「アバ、父」ではなく、
わが神と言われたのは、そのためです。
イエスにとって父ではなくなったのです。

父なる神に、
あなたと私の代わりに見捨てられて、
神としか呼べなかったのです。
イエス・キリストはあなたを、
私をそこまで愛してくださったのです。
これがアガペーです。

そして父なる神も、
あなたと私を救うために、
独り子のイエス・キリストを
あなたと私を愛して捨てられたのです。
これがアガペーです。

2019年1月22日火曜日

強いられた十字架の恵み


彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。

                                          マルコの福音書1521



祭司長を始め、律法学者や群衆たちは、
イエスを嘲弄したあげく、
イエスを十字架につけるために連れ出しました。
ちょうどそこへ、
いなかから過越祭に来ていたクレネ人のシモンという男が通りかかったので、
彼らはイエスの十字架を、
むりやりに彼に背負わせました。
この男は、祭りに来たのに、
イエスの十字架を無理やり負わされることになったのです。

でもこれが、
シモンへの神様の深い特別な愛でした。
彼は、
イエスの後ろから
十字架を背負ってカルバリまでついて行きました。

よろけながら歩くキリストの後ろ姿を見ながら、
最初、彼はついていないと思いながら歩いたことでしょう。
しかし、歩いていくうちに
イエス・キリストから流れてくる言葉にできない深い温かさ、
アガペーを感じ始めたに違いありません。
カルバリーの丘についた時、
彼は十字架の真下で、イエスの十字架を見たのです。

イエスが、
そこで私たちのためにとりなし祈り、
私たちのために身代わりに神に捨てられ死んでいく姿を。

その時、シモンにはわかりました。
この方が救い主なのだと。

彼は祭りから帰った後、
家族にそのことを話し、
家族みんなが救われます。
彼の妻は、その後、
パウロから私の母と言われるほど慕われる信仰者になります。
クレネ人シモンにとって、
この無理やり負わされた十字架こそが祝福でした。

あなたの人生にも、
あなたが望まなかったのに、
無理やり負わされる十字架があるかもしれません。

でも、
その中に永遠の祝福が、
素晴らしい宝が隠されているのです。

2019年1月21日月曜日

呪いをかけて誓った裏切るペテロを愛し切られ、選び抜かれたイエス・キリスト


「鶏が二度鳴く前に、

あなたは、わたしを知らないと三度言います」という

イエスのおことばを思い出した。

それに思い当たったとき、彼は泣き出した。

            マルコの福音書1472



イエスが捕らえられたとき、
ペテロは、イエスのことが気になって
遠くからイエスのあとをつけながら、
大祭司の庭の中まではいって行きました。
そして、役人たちといっしょにすわって、
火にあたって様子を伺っていました。
すると、大祭司の女中のひとりが来て、
ペテロが火にあたっているのを見かけ、
彼をじっと見つめて
「あなたも、あのナザレ人、
 あのイエスといっしょにいましたね」と言いました。
ペテロはそれを打ち消して、
「何を言っているのか、わからない。見当もつかない。」と言って、
出口のほうへと出て行きました。
すると女中は、ペテロを見て、そばに立っていた人たちに、
また、「この人はあの仲間です」と言いだしたのです。
しかし、ペテロは再び打ち消しました。
しばらくすると、
そばに立っていたその人たちが、
またペテロに
「確かに、あなたはあの仲間だ。ガリラヤ人なのだから。」というと、
彼はのろいをかけて誓い始め、
「私は、あなたがたの話しているその人を知りません」と言ったのです。
するとすぐに、鶏が、二度目に鳴きました。
そこでペテロは、
「鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います」
というイエスのおことばを思い出し、
それに思い当たって、彼は泣き出しました。

ペテロは本当にイエスを愛していました。
しかし、恐れが彼を捕らえ、
イエスを知らないと呪いをかけて誓ってしまいました。
イエスが言われた通り、
鶏が二度泣く前に三度知らないと言ってしまいました。
彼は自分の弱さと情けなさに涙が出て止まりませんでした。
それはペテロだけではありません。
弟子たちは皆、逃げたのです。

ペテロは、私たちの代表です。
私たちは聖霊の助けがなければ、
恐れの前に、
どんなに愛していても裏切ってしまう弱い者なのです。

でも忘れないでください。
それでもイエスはべテロを愛しきられ、
最後まで選び抜いて、
そのペテロを通して、
初代エルサレム教会は建てあげられていったのです。

主イエスは、
同じようにあなたを愛し切られ、
選び抜かれて、
建てあげてくださいます。

2019年1月20日日曜日

十字架を引き受けたイエス・キリスト


立ちなさい。さあ、行くのです。

見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。

        マルコの福音書1442



イエスが、ゲッセマネで祈られたとき、弟子たちは眠っていました。
イエスが三度目に祈り終えて弟子たちのところに来られたとき、
彼らに「まだ眠って休んでいるのですか。
もう十分です。時が来ました。
見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。
立ちなさい。さあ、行くのです。
見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」と言われました。

イエスは、このあと十字架にまっすぐ向かって行かれました。
騒ぐことも取り乱すこともなく、
十字架を引き受け、全うされたのです。
このゲッセマネで、祈り切られたからでした。

一方、弟子たちは、
イエスが捕らえられ十字架にかけられる時、
みんな逃げてしまいました。
それは、この時、彼らが祈れなかったからです。

イエスが恐れもだえて祈られている時、
弟子たちは眠っていたのです。

ただ、この弟子たちが、
ペンテコステの時には祈っていました。
そして聖霊が激しく臨み、彼らは変えられます。

私たちも聖霊により頼み、
目を覚まして祈りましょう。
そのとき、聖霊が私たちに臨み、
私たちも、
主イエスのように、十字架を引き受けて進んでいけるのです。

2019年1月19日土曜日

1時間、祈る


「シモン。眠っているのか。

一時間でも目をさましていることができなかったのか。」

            マルコの福音書14章37



イエスは十字架にかけられる前の日、
ゲツセマネという所に来て、
祈られました。

その時に弟子たちに
「わたしが祈る間、ここにすわっていなさい。」と言われ、
ペテロ、ヤコブ、ヨハネをいっしょに連れて行かれました。

イエスは深く恐れもだえ始め、彼らに言われたのです。
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。
 ここを離れないで、目をさましていなさい。」
それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、
もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
またこう言われました。
「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。
 どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。
 しかし、わたしの願うことではなく、
 あなたのみこころのままを、なさってください。」
それから、イエスが戻って来ると、弟子たちが眠っていたのです。

ペテロに
「シモン。眠っているのか。
 一時間でも目をさましていることができなかったのか。
 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。
 心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

イエス・キリストが十字架の上で、
あなたとわたしへの愛を全うすることができたのは、
この時、祈られたからです。

弟子たちが、
その時逃げ出したのは、
このとき眠っていたからです。

1時間祈る」
イエスが言われたことの言葉は、とても大切です。

1時間祈ることを、
イエスの恵みの中で身につけましょう。
教会と聖霊の助けを借りて・・・

2019年1月18日金曜日

主イエスを愛してナルドの香油を注いだ女


この女は、自分にできることをしたのです。

         マルコの福音書148



イエスが食卓についておられると、
ひとりの女が、
純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、
そのつぼを割り、イエスの頭に注ぎました。
すると、人々は
「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。
 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、
 貧乏な人たちに施しができたのに。」と言って、
その女をきびしく責めたのです。
しかし、イエスはこう言われました。
「そのままにしておきなさい。
 なぜこの人を困らせるのですか。
 わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。
 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。
 それで、あなたがたがしたいときは、
 いつでも彼らに良いことをしてやれます。
 しかし、わたしは、
 いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。
 この女は、自分にできることをしたのです。
 埋葬の用意にと、わたしのからだに、
 前もって油を塗ってくれたのです。
 まことに、あなたがたに告げます。
 世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、
 この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

実は、この時は、
イエス・キリストは十字架にかかる直前でした。
誰も、そのことを知りませんでした。
もちろん、この女も、そんなことは知りませんでした。
でもイエスを心から愛していたこの女は、
損得ではなく、
イエスへの彼女のできる最高の愛を示したのです。
その時、それは
十字架という最も大切なこと(埋葬)のための準備となりました。
そして世界中で福音が語られるところでは、
語られるようになったのです。

損得という地上の計算ではなく、
イエスを愛する愛に生きる時、
永遠の働きに携わることができるのです。

2019年1月17日木曜日

目を覚まして備える


わたしがあなたがたに話していることは、

すべての人に言っているのです。

目をさましていなさい。

     マルコの福音書1337



イエスは弟子たちに、
終わりの時に起こることについて語られましたが、
それは「すべての人に言っているのです」と言われました。

そして「目を覚ましていなさい」と命じられました。

今は、黙示録が近づいている、まさに終わりの時代です。
私たちはイエスが語られていることに耳を傾け、
しっかりと目を覚まして準備をしていましょう。

では具体的には、どうすればいいのでしょうか。
それは
イエス・キリストを信じて、
祈り、
毎日聖書を読み、
語られる神のことばに忠実に従っていくことです。

2019年1月16日水曜日

キリストのことばは決して滅びることが無い!!!


この天地は滅びます。

しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

            マルコの福音書1331



この地上のものの多くは、
いえ、ほとんどのものは、
やがて滅びて消え去っていきます。

どんなに栄華を極めていても、
ソロモンやローマのように、
やがて滅びていくのです。

私たちには、
いつまでも続くように思える、この天と地さえも、
やがて滅びるのです。

イエスは言われました。
「この天地は滅びます。
 しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」
そうなのです。
イエス・キリストが語られたことば、
神のことばは、決して滅びることはないのです。

それはイエス・キリストご自身が、
滅びることのない永遠のお方だからです。
あなたもこの永遠なるお方、
イエス・キリストを信じ、彼に従っていきましょう。

2019年1月15日火曜日

前もって教えてくださるイエス・キリスト


だから、気をつけていなさい。

わたしは、何もかも前もって話しました。

            マルコの福音書1323



イエス・キリストは、
終わりの時に、
何が起こるかを弟子たちに前もって話されました。
それは弟子たちが最後まで、惑わされることなく、
固く信仰に立ち続けるためです。

イエスさまは、
私たちを愛しておられるので、
多くの場合、
前もって危険や事故などを教えてくださいます。

聖書のみ言葉や預言、
祈りや思いのうちに語り示してくださいます。

私たちの心を主イエスに向けて聞くならば、
語り教えてくださるのです。

終わりの時代の今、
必要な備えと準備を実際的にも霊的にも、
前もってしておくことはとても重要です。

あなたも主イエスに心を向け、
祈りみことばに触れて語りかけを受けましょう。

この終わりの時代に、
前もって必要な情報を得て、
必要な備えと準備をするために。