2019年8月18日日曜日

あわれみと恵みに富み満ちておられる方

818日(日)

ですから、私たちは、あわれみを受け、

また恵みをいただいて、

おりにかなった助けを受けるために、

大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

          ヘブル人への手紙416


私たちの大祭司であるイエス・キリストは、
私たちの弱さに同情できない方ではありません。
決して罪を犯されませんでしたが、
すべての点で、
私たちと同じように試みに会われたのです。
ですから、
私たちの失敗や弱さを見ても裁くのではなく、
同情し憐れんでくださるのです。

また私たちの神は
憐れみと恵みに富んでおられる方です。
恵みとは、
受けるに値しないものが受けるのが恵みです。
全くふさわしくない者が
受けることができるのが恵みなのです。

キリストは私たちを憐れみ、恵みを持って、
おりにかなった、まさに今、
必要な助けを与えてくださる方なのです。

だから大胆に恐れることなく、
この方イエス・キリストの恵みの御座に
近づき祈り求めましょう。

神は必ずあなたに答えて、
恵みとあわれみを惜しみなく注いでくださいます。

2019年8月17日土曜日

御霊の賜物、特に預言は神の愛の現れ!

817日(土)

また御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。

                                      コリント人への手紙 第一 141節後半


「愛を追い求めなさい」に続いて、
「御霊の賜物、
特に預言することを熱心に求めなさい」
と聖書は語ります。
御霊も賜物とは、
知恵のことば、知識のことば、信仰、
いやしの賜物、奇蹟を行なう力、預言、
霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力という9つで、
イエス・キリストを信じ、
聖霊のバプテスマを受けた人々に与えられており、
みんなの益となるために、おのおのに現われてくるのです。

この賜物の働きは、まさに神からのプレゼント、賜物です。
ですから、人の知恵や力ではなく、
神の愛・力・知恵が豊かに現されます。
不可能の壁が崩され、奇跡が起こります。

愛を追い求めるのと同じように、
この御霊の賜物を求めなさいと聖書は言っています。
賜物の現れは神の愛を具体的に現すからです。
特に預言は正しく吟味されたなら、
それは神のことばであり、
神のことばは必ず成就し、
神のことばは人々をいやし解放するのです。
なぜなら神のことばは神の愛であり、
神の力であり、神の命・知恵だからです。
神のことばはサタンを打ち砕き、悪霊を追い出すのです。

聖霊の賜物、
特に預言は、神のアガペーの愛を豊かに現わし、
人々を神の救いへと導きます。
あなたも愛を追い求め、
御霊の賜物、
特に預言することを熱心に求めましよう。

2019年8月16日金曜日

アガペーの愛に生きる


愛を追い求めなさい。

コリント人への手紙 第一 141



ここでいう愛は、
13章に書かれている愛のことです。
つまりこの愛は、寛容で、親切です。
人をねたまず、自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、
自分の利益を求めず、
怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、
すべてを信じ、すべてを期待し、
すべてを耐え忍びます。
このアガペーの愛は
決して絶えることがないのです。
これは神の愛、アガペーです。

この愛に生きた方がいます。
イエス・キリストです。
愛を追い求めていくと、
イエス・キリストについていくことになります。
イエス・キリストは
病気の人をいやされ、奇跡を行われました。
そして人々に神のことばを語り、
人々を慰め励まし救われたのです。

愛があれば御霊の賜物はいらないという人がいます。
でもそれは間違いです。
愛があるなら、
つまりアガペーの愛を追い求めていくと、
御霊の賜物が現れてくるのです。
この愛と御霊の賜物、
特に預言することはセットなのです。
あなたも愛を追い求め、
また御霊の賜物、
特に預言することを熱心に求めてください。

2019年8月15日木曜日

神の答えは知恵と愛に満ちている

815日(木)

神のものは神に返しなさい。

  マルコの福音書1217


祭司長や律法学者たちは、
イエスに何か言わせて、わなに陥れようと、
パリサイ人とヘロデ党の者数人を
イエスのところへ送り、言いました。
「先生。私たちは、あなたが真実な方で、
 だれをもはばからない方だと存じています。
 あなたは人の顔色を見ず、真理に基づいて
 神の道を教えておられるからです。
 ところで、
 カイザルに税金を納めることは
 律法にかなっていることでしょうか、
 かなっていないことでしょうか。
 納めるべきでしょうか、
 納めるべきでないのでしょうか。」
イエスは彼らの擬装を見抜いて言われました。
「なぜ、わたしをためすのか。
 デナリ銀貨を持って来て見せなさい」
彼らが持って来ると、彼らに言われました。
「これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか」
彼らは「カイザルのです」と答えました。
するとイエスは言われたのです。
「カイザルのものはカイザルに返しなさい。
 そして神のものは神に返しなさい。」
彼らはイエスに驚嘆しました。
イエスを罠に陥れようとした質問に、
イエスは見事な答えを返されました。

神は知恵に満ちておられます。
私たちも人を恐れず、
大胆にイエス・キリストを信じて、
その御足の後についていきましょう。

2019年8月14日水曜日

主イエスの前にへり下るものが高くあげられる

814日(水)

 主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。

              ヤコブの手紙410


最もへりくだった方は、イエス・キリストでした。
神であり、神の一人子であるイエス・キリストは、
霊的存在であり、
時間にも場所にも本来制約されないお方です。
ところが、
イエス・キリストは神であることを
捨てることができないとは考えないで、
人と同じ姿をとり、全く人と同じようになって、
この地上に来られ、
世の時間の中に入ってきてくださったのです。

しかも全く罪と何の関係もなかったのに、
罪の罰と裁きを引き受け、
呪いと病を、その身に負われ、
十字架にかけられ殺されたのです。

この方の前に、私たちも自分の身を低くするとき、
神の恵みが注がれてくるのです。
この方に近づき、神に従うのです。
そして悪魔に立ち向かうなら、
悪魔は逃げ去っていきます。
そして、神の恵みの中で私たちは勝利を与えられます。
神は、私たちを高く引き上げてくださるのです。

2019年8月13日火曜日

苦いねたみと敵対心に勝利する


しかし、上からの知恵は、

第一に純真であり、

次に平和、寛容、温順であり、

また、あわれみと良い実とに満ち、

えこひいきがなく、見せかけのないものです。

                                ヤコブの手紙317



私たちは、とても残念ですが、
心の中に、苦いねたみと敵対心が
多かれ少なかれあるのではないでしょうか。
でもそれは、上から来たものではありません。
地に属し、肉に属し、悪霊に属するものなのです。
実際、ねたみや敵対心のあるところには、
秩序の乱れや、
あらゆる邪悪な行ないがあるからです。
その苦いねたみと敵対心の罪を悔い改め、
神さまの恵みと愛を求めましょう。
その時、主は上からの知恵をくださいます。
その上からの知恵とは、
第一に純真であり、
次に平和、寛容、温順であり、
また、あわれみと良い実とに満ち、
えこひいきがなく、見せかけのないものなのです。
イエス・キリストの十字架を信じ、
心から悔い改めて、
復活された主に求めるなら、
聖霊さまが心を満たしてくださって、
良い実で満たしてくださいます。

2019年8月12日月曜日

信仰の行いは神の愛を流していく

812日(月)

信仰も、もし行ないがなかったなら、

 それだけでは、死んだものです。

        ヤコブの手紙217


信仰の父と呼ばれているアブラハムは、
「生まれ故郷父の家を出て、私が示す地に行きなさい。
そうすればあなたを祝福する」
と言われた時、
神を信じ、神のことばを信じて出て行きました。
また、
約束の子、イサクを捧げるように言われた時も、
翌朝早く、
イサクを伴って捧げるために出かけて行きました。
アブラハムは信じて従ったのです。
それゆえ祝福され、
信仰の父と言われるようになりました。
これが信仰の行いです。

立派なことをするということではありません。
もちろん、律法を守ることは大切ですが、
私たちは自分の力では律法を守れません。
イエス・キリストの十字架を信じて、
祈る時、聖霊の助けを受けて、
神の愛の中で律法を守り生きれるようになります。


例えば、
誰かが毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに
「安心して行きなさい。
 暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、
実際にからだに必要な物を与えないなら、
何の役にも立ちません。
孤児院の働きは、
まさにそういう子どもたちを助ける働きです。
神様のことばに従い信仰を行うとき、
生ける神の愛の働きに預かることができるのです。
それは本当にすばらしい喜びに満ちたものになります。

2019年8月11日日曜日

神の憐れみは尽きない


あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。

                                               ヤコブ213



神は憐れみに満ちておられます。
あなたは自分が失敗してしまったり、
自分のせいでうまくいかなかった時、
自分を責めていませんか。
自分の罪が原因なら、
もちろん、悔い改めることは大切です。
でも悔い改めた後も、
自分を責め続けていたり、
あれさえなかったらと思って後悔していませんか。
神さまはすべてのことを
益とすることがお出来になります。
悔い改めたなら、
イエス・キリストの十字架の赦しを受け取って、
すべてのことを感謝しましょう。
その失敗さえも必ず益になります。
そして自分を攻め立ててくるサタンの偽りの声に、
だまされないようにしましょう。

神は憐れみに満ちておられます。
あなたを憐れみ、
すべてのことを働かせて
必ず益にしてくださるのです。
最善に変えてくださるのです。

神の憐れみは
朝ごとに新しく尽きないのです。
そして、
この神のあわれみは、
さばきに向かって勝ち誇るのです。

2019年8月10日土曜日

えこひいきしない神

810日(土)

神にはえこひいきなどはないからです。

        ローマ人への手紙 211


神は私たち一人ひとりを愛しておられます。
その愛にえこひいきはありません。
だから一人ひとりが
誰よりも神に愛されているのです。

ですから、
その愛を受けている私たちも、
人をえこひいきすることのないようにしましょう。
人をえこひいきすることは罪を犯すことであり、
律法によって違反者として責められます。
(ヤコブ書219節)

とは言っても、
主の助けなしには
えこひいきしないでいることは難しいことです。
神の愛をしっかりと受け、
イエス・キリストを信じて、
主イエスに祈りましょう。
その時、聖霊さまが私たちを助けて、
神の愛の中でえこひいきすることなく、
愛せるようにしてくださいます。

2019年8月9日金曜日

十字架で赦された私たちは赦すことができる


互いに赦し合いなさい。

  エペソ人への手紙432節後半



今日は長崎に原爆が落とされた日です。
その原爆のあと戦争は終わりました。
長崎、特に浦上の人々の死は、
戦争を終わらせ、
もうそれ以上には、
戦争で人が死ぬことを許さなかったのです。

赦すことは簡単なことではありません。
愛するものを誰かに奪われた時、
その奪ったものに復讐を果たす。
恨みを晴らすというのは
悲しいことですが、よくあることです。
以前、必殺シリーズがテレビで、
とても長い人気で高視聴率を上げていました。
また毎年、
年末になると赤穂浪士の仇討ちが
繰り返し放映されます。

あなたにも赦せない人がいるかもしれません。
しかし聖書は言います。
赦しなさいと。
赦し合いなさいと。

イエス・キリストが
十字架であなたと私の罪の全てを
身代わりになって引き受け赦してくださった、
その大きな愛を受けたあなたと私。
その愛の中で、あなたも私も赦すのです。
私たちにはできなくても、
この十字架の愛を信じて受け入れる時、
私たちも赦すことができるようになります。

日本26聖人の中のパウロ三木は、
自分に死刑を命じた太閤秀吉を赦し、
その執行人である旧友の寺沢半三郎を赦し、
自分に槍を向け殺そうとしている役人を赦しながら、
彼は殉教し天国に帰って行きました。
イエス・キリストに赦された喜びを知っていたからです。

あなたも私も
その赦された喜びの中を生き、
赦しながら喜んで生きていきましょう。
天国人として。

2019年8月8日木曜日

声をあげる時、奇跡が起き、圧倒的な勝利が現される!!!

88日(木)

彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、

主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアモン人、

モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、

彼らは打ち負かされた。

           第二歴代誌2022


主のことばを聞いたとき、
ヨシャパテとユダのすべての人々と
エルサレムの住民は主の前にひれ伏して主を礼拝し、
大声を張り上げてイスラエルの神、主を賛美しました。
そして翌朝早く、彼らは主のことばに従って、
テコアの荒野へ出陣して行きました。
その出陣のとき、ヨシャパテは立ち上がって
「ユダおよびエルサレムの住民よ。
 私の言うことを聞きなさい。
 あなたがたの神、主を信じ、忠誠を示しなさい。
 その預言者を信じ、勝利を得なさい」と言い、
それから、民と相談し、
主に向かって歌う者たち、
聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命しました。
彼らが武装した者の前に出て行って、
こう歌うためでした。
「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで」

彼らは語られた神のことばを信じて
戦闘部隊の前に賛美隊を置き、
神の勝利を賛美しながら進んだのです。
これは常識で言えば気違い沙汰です。

しかし彼らは、主のことばを信じて
神を賛美しほめたたえるために
賛美隊を先頭に立たせました。
すると彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めると、
主は伏兵を設けて、
ユダに攻めて来たアモン人、モアブ人、
セイル山の人々を襲わせたのです。
彼らは打ち負かされアモン人とモアブ人は
セイル山の住民に立ち向かい、
これを聖絶し、根絶やしにしたが、
セイルの住民を全滅させると、
互いに力を出して滅ぼし合ったのです。
ヨシャパテたちは1本の玉も槍も使わずに、
完全な勝利、圧倒的な大勝を取ったのです。
主が敵を完全に絶滅させ
たち滅びしてくださったのです。
大逆転が起こり、
考えられないような圧倒的な勝利が現されました。

神のことばを信じて、不可能の前で、
賛美の声をあげ、神の勝利を宣言する時、
神ご自身が働き栄光と勝利を現してくださるのです。

2019年8月7日水曜日

神が戦ってくださる

87日(水)

あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに

恐れてはならない。気落ちしてはならない。

この戦いはあなたがたの戦いではなく、

神の戦いであるから。

          第二歴代誌2015


ユダの人々が絶体絶命の中で、
ヨシャパテ王と共に彼らの幼子たち、
妻たち、子どもたち全員で
主の前に出て立ち上がり祈った時、
主の霊がその集団の中で、
アサフ族の出のレビ人ヤハジエルの上に臨み、
預言して言いました。
「ユダのすべての人々とエルサレムの住民およびヨシャパテ王よ。
 よく聞きなさい。主はあなたがたにこう仰せられます。
 『あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。
 気落ちしてはならない。
 この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから』」と。
そしてさらに続けて具体的にこう指示されました。
「あす、彼らのところに攻め下れ。
 見よ。彼らはツィツの上り道から上って来る。
 あなたがたはエルエルの荒野の前の谷のはずれで、彼らに会う。
 この戦いではあなたがたが戦うのではない。
 しっかり立って動かずにいよ。
 あなたがたとともにいる主の救いを見よ。
 ユダおよびエルサレムよ。
 恐れてはならない。気落ちしてはならない。
 あす、彼らに向かって出陣せよ。
 主はあなたがたとともにいる。」


おびただしい大軍を前に恐れていた彼らに、
恐れてはならない、気落ちしてはならないと
励ましを語り、この戦いは神の戦いだから、
主がともにいて、神ご自身が戦ってくださるから
恐れずに明日出陣せよと具体的に命じられます。
ヨシャパテと民は、
その語られた神の言葉を信じたのです。
そしてその言葉に従って翌日、出て行ったとき、
神の手が動き、奇跡を通して
圧倒的な完全な勝利を見ます。

私たちもどんな困難な中で恐れることがあっても、
神に語られた言葉があるなら、
その言葉を信じて
その言葉に従っていくとき、
神の用意された勝利の御手を見るのです。

2019年8月6日火曜日

恐れは祈りに導く神の憐れみの手

86日(火)

ヨシャパテは恐れて、ただひたすら主に求め、

ユダ全国に断食を布告した。

                                  第二歴代誌203


ユダの国に、
敵であるモアブ人とアモン人が合流して、
ヨシャパテと戦おうとして攻めて来ました。
そこで、ユダの人々は来て、
ヨシャパテに告げて言いました。
「海の向こうのアラムから
 おびただしい大軍が
 あなたに向かって攻めて来ました。
 早くも、彼らはハツァツォン・タマル、
 すなわちエン・ゲディに来ています」と。
とても勝ち目はありません。
明日になれば、ユダの国の人たちは
子どもも大人も皆殺しにされてしまうかもしれません。
ヨシャパテは恐れました。
ヨシャパテは、そこで主のもとに行ったのです。
ただひたすら主に求め、
ユダ全国に断食を布告しました。
するとユダの人々は集まって来て、主の助けを求めました。
ヨシャパテもユダの人々も怖かったことでしょう。
でもその恐れの中で主を求めたのです。
主のところに行き、神に祈り叫び求めたのです。
これが勝利の鍵でした。

私たちの人生にも、絶体絶命があります。
もうダメだと思う時があります。

そして不安と恐れが襲ってきます。
人間ならば当然でしょう。

しかし、その恐れの中で
主イエス・キリストのところに行けば、
そこから勝利と奇跡が始まります。
恐れの中である人たちは人を求め、
何とかしようともがき動き回ります。
そしてもっと悲惨な状況に陥ったり
取り返しのつかないようなところに
追い込まれたりします。
でも、そこであなたが、
まことの神に、
イエス・キリストの十字架のもとに来れば、
そこから神の恵みの御手が動き始めます。

イエス・キリストの十字架で解決できない問題など
この地上にはありません。

復活された主イエスは、
今もあなたの叫びに耳を傾け、
祈りに応えてくださり
助けてくださるのです。

2019年8月5日月曜日

孤児たちを世話し助けることは祝福を受ける道


父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、

孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、

この世から自分をきよく守ることです。

                                         ヤコブの手紙127 



最近、私の家に
カンボジアの孤児たちを5人迎えて
数日間泊まっていただきました。
楽しい毎日でした。

子どもたちは、
赤ちゃんの時に
孤児院にやってきました。
生後12日目だった子もいます。
その子たちが病気になったり、
いろんな問題にぶつかりながら成長し、
大学生や高校生、中学生になりました。

この5人と短い期間ですが一緒に過ごしながら、
とても楽しくて明るい温かい愛を感じました。
いつも主イエスへの歌である賛美が
口からあふれていました。

孤児院に来ていなければ、
まず間違いなく、
今は生きていなかったと思えるこの子たちが、
神さまの愛と多くの人たちの支えによって、
こんなに元気に成長したのは感動です。

イエス・キリストは、彼らを愛しています。
その愛を流す手となり、
たくさんの孤児たちを助ける働きに、
あなたも加わってくださいませんか。
それは、とても大きな喜びと感動を
あなたとあなたの家族、
そして周りの人々にもたらしてくれるでしょう。

2019年8月4日日曜日

悔い改めて、イエス・キリスト・福音を信じることは救い

84日(日)

「時が満ち、神の国は近くなった。

 悔い改めて福音を信じなさい。」

        マルコの福音書115


イエス・キリストは30歳になった時、
公の生涯に入られました。
それまで、両親のもとで
大工としてナザレで働いていましたが、
そこから出て、福音宣教を始められたのです。
時が満ちたのです。

神の国、つまり永遠の天の御国が近くなり、
罪人である人間にも、永遠の命が与えられ、
神の国に入ることができる時が来たのです。
そのために、
イエス・キリストは二つのことを語られました。
「悔い改めなさい」と「福音を信じなさい」ということでした。
これは二つですが、セットで一つです。
悔い改める。
つまり自分の罪を認めて、
父なる神様の前にその罪を告白し、
ごめんなさいと心から悔い改める時、
イエス・キリストの十字架によって
罪は完全に赦され、永遠の命が与えられ、
聖霊様が、その人の内に住んでくださるのです。
そして永遠に神とともに生きるものとされるのです。
この福音を信じるのです。
誰にでもできる、
実に簡単な悔い改めと福音を信じること。
でも簡単すぎて、
人はなかなか悔い改め信じようとしないのです。

イエス・キリストは神の独り子で
全く罪とはなんの関わりも関係もないお方でした。
でもあなたと私を愛するあまり、
罪そのものとなって
罪の罰と呪いと裁きをその身に負い、
十字架で私たち一人一人の身代わりとなって
裁かれ神に捨てられたのです。
だから私たちは完全に赦され、
自由にされたのです。
悔い改めて、
この福音を信じるなら
あなたは救われます。

2019年8月3日土曜日

主の祝福を受ける秘訣

83日(土)

しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、

怒るにはおそいようにしなさい。

                                          ヤコブの手紙119


私たちは、気がつくと
人の話に耳を傾けて聞くよりも、
口を開いて自分が正しいということを
主張し語っていることが
多いような気がします。

イエス・キリストは正しいお方でした。
彼だけは自分の正しさを
主張していいお方でした。
ところが、イエス・キリストは
自分の正しさを主張するのではなく、
人々の罪を
その身に背負って十字架に向かわれ、
口を開かず一切の弁護をされずに、
黙って十字架を引き受けられたのです。
イエス・キリストは貧しい人、
孤独な人、悲しみ痛んでいる人を訪ね、
彼らの話に耳を傾け、
慰めと励ましを与え、
生きる力と喜び、希望を与えられました。
病気の人や悪習慣や悪霊に捕らえられて
苦しんでいる人を
放っておくことが出来ないで、
彼らに手を差し伸ばして、
その病に触れいやされ、
悪習慣と悪霊から解放されました。
この恵みの中を
イエス・キリストと共に歩みましょう。
聞くに早く、語るにおそく、
怒るにおそいように
主にしていただきましょう。
その時、必ず主の祝福と勝利に
豊かに預かることでしょう。

2019年8月2日金曜日

試練を喜ぶ

82日(金)

私の兄弟たち。

さまざまな試練に会うときは、

それをこの上もない喜びと思いなさい。

                                 ヤコブの手紙12


試練は楽しいものではありません。
ましてさまざまな試練が同時に襲ってくると
私たちは気が塞いでしまいます。
ところが、
そのようにさまざまな試練に会うときに、
この上もない喜びと思いなさいと
聖書は言っています。

試練を通して私たちは信仰が試されます。
そうすると忍耐が生じ、
その忍耐を完全に働かせるときに
何一つ欠けたところのない、
成長を遂げた、
完全な者と私たちはされていきます。
忍耐はその時は嬉しいものではありません。
しかし、忍耐を通され忍耐を学んだものは、
神の愛と神のことばの真実を
深く体験し知るようになります。

神さまは試練のための試練や、
忍耐のための忍耐は
決して通されないのです。

試練と忍耐の向こう側には、
必ず主イエス・キリストのことばの成就があります。
そして、主イエス・キリストの祝福と勝利が現れてくるのです。

2019年8月1日木曜日

神の子とされた恵み

81日(木)

あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。

子ならば、神による相続人です。

                                ガラテヤ人への手紙47


イエス・キリストを信じた時、
私の罪は完全に赦され、
私は神の子とされました。
子とされた私は、神の相続人となりました。
なんとすばらしい恵みでしょうか。

一方、偶像の神は、
私たちを縛り、神の奴隷にします。
それは悪霊だからです。

しかし聖書のまことの神は、
真理であり、私たちを自由にします。
「真理はあなた方を自由にする」
と聖書に書いてある通りです。

子どもは親の奴隷ではありません。
子どもは親の相続人なのです。
同じように私たちも
イエス・キリストを信じた時、
神の子とされ相続人となったのです。

2019年7月31日水曜日

あなたも私も父なる神の子どもです

7/31(水)

そして、あなたがたは子であるゆえに、

神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、

私たちの心に遣わしてくださいました。

         ガラテヤ人への手紙46


私たちがイエス・キリストを信じた時、
キリストが私たちのうちに住まわれ、
私たちの死んでいた霊は生き返り、
聖霊が住まわれるようになりました。
キリストの内住と言います。
そして私たちの心に父なる神さまを
「アバ、父」と呼ぶことのできる
御子の御霊を遣わして下さったのです。
なぜなら私たちは神の子とされたからです。

キリストを信じて悔い改めた時、
イエス・キリストの十字架によって
私の罪、あなたの罪が完全に赦され、
キリストと同じように
一度も罪を犯していない者として
父なる神は私を、あなたを見てくださり、
神の子とされたのです。

全世界全宇宙を創造し、
時間をも創造し、
歴史を導いておられる方が
私たちの父となられたのです。

だからもっと大胆に、
父なる神に向かって
祈り求め叫びましよう。

あなたも私も必ず祝福されます。

父なる神は子である私を、あなたを愛しておられるからです。