2018年12月31日月曜日

具体的に、主イエスに、求め、願い、祈る。


「わたしに何をしてほしいのか。」

      マルコの福音書1051


イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょに
エリコという町を出られた時、
バルテマイという盲人のこじきが、
イエス・キリストだと知って
「ダビデの子のイエスさま。
 私をあわれんでください。」と叫び始め、
弟子たちに、たしなめられても、ますます
「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」
と叫び立てました。

すると、
イエスは立ち止まって、
その盲人を呼ばれ
「わたしに何をしてほしいのか。」と聞かれました。

盲人が
「先生。目が見えるようになることです。」と答えると、
イエスは
「さあ、行きなさい。
 あなたの信仰があなたを救ったのです。」と言われました。
すると、
すぐさま彼は見えるようになったのです。
彼は驚き嬉しくて、
イエスの行かれる所について行きました。

さて、ここで大事なことがあります。
盲人であったバルトロマイに、イエスは聞かれたのです。
「わたしに何をしてほしいのか」と。
盲人だから目が見えるようになることだと思われるかもしれません。
でもこの盲人がはっきりと、
「目が見えるようになることです」と答えた時、
イエスはいやしと奇跡をさなさいました。

私は小学生の頃、
父に誕生日に自転車を買ってもらったことがあります。
当時、流行った方向指示器のライトがピカピカ光る
あるメーカーの自転車が欲しかったのです。
その時、父に言いました。
「このメーカーのこの自転車が欲しい」と。
とても具体的に言いました。
父は、それを買ってくれました。
本当に嬉しかったことを、今でも覚えています。

イエス・キリストも、
あなたが具体的に、素直に、大胆に、
あなたの願いを求めてくるのを待っておられます。

主イエスに、あなたの願いを言いましょう。
主イエスは、その叫びに、答えてくださいます。

2018年12月30日日曜日

愛の神である主イエスには、どんなことでもできる。


イエスは彼らをじっと見て言われた。

「それは人にはできないことですが、

 神は、そうではありません。

 どんなことでも、神にはできるのです。」

          マルコの福音書1027


イエスは、弟子たちに言われました。
「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。」

これを聞いて弟子たちが、イエスのことばに驚いていると、
イエスはさらに重ねて、こう言われたのです。
「子たちよ。
 神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。
 金持ちが神の国にはいるよりは、
 らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」

ラクダが針の穴を通ることなど絶対にできません。
つまり不可能だということです。
弟子たちは、ますます驚いて
「それでは、だれが救われることができるのだろうか。」
と言っていると、
イエスは、その弟子たちをじっと見て言われました。
「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。
 どんなことでも、神にはできるのです。」と。

そう、
人には、
金持ちはもちろん、
誰一人救うことはできません。

でも、主イエスには不可能はないのです。

どんな人も救われるのです。
金持ちも貧しい人も、
高齢者も若者も、
第一線でバリバリに働いている人も、
今は引きこもりニートをしている人も、
どんなに心が痛み精神が病んでいる人も、
イエス・キリストには、救うことがお出来になります。

アガペーの愛である神、
イエス・キリストはあなたを、
一人ひとりを、愛しておられるからです。

神にはどんなことでもできるのです。

2018年12月29日土曜日

子どものような心で受け入れる。


「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。

 止めてはいけません。

 神の国は、このような者たちのものです。

          マルコの福音書1014


イエスにさわっていただこうと、
人々は子どもたちを、イエスのみもとに連れて来ました。

ところが、弟子たちは彼らをしかったのです。
イエスはそれをご覧になると、憤って弟子たち言われました。
「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。
 止めてはいけません。
 神の国は、このような者たちのものです。
 まことに、あなたがたに告げます。
 子どものように神の国を受け入れる者でなければ、
 決してそこに、はいることはできません。」

そして、そう言われると、
イエスは子どもたちを抱き、
彼らの上に手を置いて祝福されたのです。

子どものように
素直な心で、神の言葉を聞き、受け入れる人を、
主イエスは喜ばれます。

イエスは、子どもを抱いて、手を置き祝福されました。

私たちも子どものような素直な心で
イエスのもとに行き、
主イエスの語られる言葉に耳を傾けて聞き、
心に受け入れましょう。

その時、私たちのただ中にも
神の国、天国がやってきます。
平安と喜びが、
どのような状況の中でも、心の中に満ち溢れてくるのです。

2018年12月28日金曜日

本当に偉い方は仕えるものになる


「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、

    みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」

            マルコの福音書935


弟子たちが、
誰が一番偉いかと論じ合っていた時に、
イエスは12弟子に言われました。
「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、
 みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」と。

この世では、偉い人は人の上に立ち、人々を支配し権力を振るいます。
しかし、天の御国ではそうではないのです。
誰よりも偉く、誰よりも権威と力があった方、
それはイエス・キリストです。

でもイエス・キリストは、
神であられたのに、
私たちのところにまで来て、人となってくださり、
全く罪と何の関係もなかったのに、
罪人の一人となって私たちの罪の身代わりとなり、
十字架の死にまで従われ、
よみ、つまり地獄にまで行かれたのです。

イエス・キリストは、仕えられるためではなく、
罪人の私たちに仕えるために来てくださいました。

私たちも、
このイエス・キリストの足跡に従って、
仕える者とならせていただきましょう。

2018年12月27日木曜日

祈る時、悪しき霊を追い出せる!


「この種のものは、祈りによらなければ、

 何によっても追い出せるものではありません。」

          マルコの福音書929


弟子たちに追い出せなかったおしの霊を、
イエス・キリストが追い出されて、
その子が話せるようになった時、
イエスが家にはいられると、
弟子たちは、そっとイエスに尋ねました。
「どうしてでしょう。私たちには追い出せなかったのですが。」
すると、イエスは言われました。
「この種のものは、祈りによらなければ、
 何によっても追い出せるものではありません。」

そうなのです。
祈らなければ霊を追い出すことはできないのです。

人の知恵や力や能力ではダメなのです。
霊の世界に対して、
私たちは、
祈り、
神の言葉によって
立ち向かう以外に方法はありません。


しかし、祈る時、
私たちはどんな悪しき霊に対しても、
追い出し勝利することができるのです。

2018年12月26日水曜日

イエス・キリストにはできると信じるものにはできる。


「できるものなら、と言うのか。

 信じる者には、どんなことでもできるのです。」

          マルコの福音書923


おしの霊につかれて、話せなくなっていた子を
イエス・キリストのところに連れていくと、
イエスを見ると、霊はすぐにこの子をひきつけさせ、
彼は地面に倒れ、あわを吹きながら、ころげ回りました。

それを見て、イエスが父親に
「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。」
と聞くと、父親は
「幼い時からです。
 この霊は、彼を滅ぼそうとして、
 何度も火の中や水の中に投げ込みました。
 ただ、もし、おできになるものなら、
 私たちをあわれんで、お助けください。」と答えました。

するとイエスは言われたのです。
「できるものなら、と言うのか。
 信じる者には、どんなことでもできるのです。」
その子の父は、すぐに叫んで言いました。
「信じます。不信仰な私をお助けください。」
イエス・キリストが、汚れた霊をしかって
「おしとつんぼの霊。
 わたしが、おまえに命じる。
 この子から出て行きなさい。
 二度と、はいってはいけない。」と命じられると、
その霊は、叫び声をあげ、
その子を激しくひきつけさせて、出て行きました。

イエス・キリストには、できないことはありません。
どんなことでもおできになるのです。
あなたが信じるなら、
イエス・キリストは、
霊を追い出し、癒しを与え、奇跡をなしてくださいます。
私たちには力がなくても、
イエス・キリストには、その力があるのです。

イエス・キリストは、あなたを愛しておられるからです。

2018年12月25日火曜日

イエス・キリストのところに連れて行けば解決する


その子をわたしのところに連れてきなさい。

                                  マルコの福音書919


口がきけないおしの霊に憑かれた息子を、
イエスのところに連れてきたお父さんがいました。
彼は、息子が話せるように、霊を追い出してもらおうと、
イエスの弟子たちにお願いしたのですが、
弟子たちにはできませんでした。

それを聞かれて、
イエス・キリストは
「ああ、不信仰な世だ。
 いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。
 いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。
 その子をわたしのところに連れて来なさい。」と答えられました。

人々がイエスのところにその子を連れて来ると、
イエスはこの子から悪霊を追い出されて、
話せるように、聞けるように癒されたのです。


あなたに病気があるなら、
問題が許されているなら、
イエス・キリストのところに行くことです。

あなたの愛する者が、
今、困難の中で苦しんでいるなら、
イエス・キリストのところに連れて行きましょう。

主イエスは、癒し、解放し、解決してくださいます。

2018年12月24日月曜日

主イエス・キリストに聞く


「これは、わたしの愛する子である。

        彼の言うことを聞きなさい。」

                           マルコの福音書97



イエス・キリストが本来の栄光の姿を現され、
その御衣が非常に白く光られた場所があります。
その場所は「変貌山」と言われています。

その時、弟子のペテロたちの前に、
エリヤがモーセとともに現れ、イエスと話し合っていました。

ペテロたちが恐怖に打たれていると雲がわき起こり、
その人々をおおって、雲の中から
「これは、わたしの愛する子である。
 彼の言うことを聞きなさい」という声がしました。

そのとき、そこにいたのはイエス・キリストだけでした。
モーセという最高の指導者でもなく、
エリヤという最大の預言者でもなく、
主イエス・キリストに聞きなさいと言われたのです。

もちろん、主は、指導者や預言者を通して語ってくださいます。
しかし、どんなに素晴らしい指導者や預言者であっても、
そこに頼るのではなく、
私たちは、主イエス・キリストご自身に聞くことが、とても大切です。

2018年12月23日日曜日

永遠のいのちー真に価値あるもの


人は、たとい全世界を得ても、

いのちを損じたら、何の得がありましょう。

        マルコの福音書836



かつて日本に福音を伝えに来たフランシスコ・ザビエルは、
パリ大学の若き青年教授でした。
そこに年配のイグナチオ・デ・ロヨラが、生徒としてやってきました。
講義の後に、ザビエルのところに来て質問しました。
「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、どうなるのでしょう」
ザビエルは「来週まで待ってください」と言いました。
翌週、またロヨラは来て聞きました。
「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、どうなるのでしょう」
ザビエルは、また言いました。
「来週まで待ってください。」
そんなことが続いた後、ザビエルは言います。
「あなたは、その答えを知っているのでしょう」
ロヨラは答えます。
「何の得にもならない」と。

そして、それからロヨラが教師となり、
ザビエルに永遠の命を、キリストの福音を宣べ伝え、教えます。
ザビエルはパリ大学の教授を辞め、宣教師となって日本に来たのです。

あなたが、たとえ全世界を得たとしても、
命を損じたら、何の得にもなりません。

私たちは永遠の存在で、
本当の故郷は天国、天のエルサレムなのです。

そこが私たちの報われる場所です。

そこに永遠の宝を積む、真に価値ある人生を生きましょう。

それは、イエス・キリストを信じることから始まります。

2018年12月22日土曜日

イエスを愛していたのにサタンに用いられたペテロ

222日土曜日

しかし、イエスは振り向いて、

弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた。

「下がれ。サタン。

 あなたは神のことを思わないで、

 人のことを思っている。」

                                        マルコの福音書833


イエスは、
ご自分がかかる十字架のことを、
弟子たちに語り、教え始められました。
「人の子は必ず多くの苦しみを受け、
 長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、
 三日の後によみがえらなければならない」と。

しかも、はっきりとこの事がらを話されたのです。

するとペテロは、
イエスをわきにお連れして、いさめ始めました。
しかしこのとき、イエスは振り向いて、
弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われました。
「下がれ。サタン。
 あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」と。


ペテロはイエスを愛していました。
神の子である救い主のあなたに、
そんなことが起こるわけがないと
イエスを、かたわらにお連れして、いさめ始めたのです。
イエスさまより、気がつかないうちに
自分の方が偉くなってしまっていました。
そして人の考えで、
神様の計画である十字架にぶつかってしまいました。

十字架以外に罪人の私たちを救う道はないのです。

イエス・キリストより高くなると、
神様の御心や計画とぶつかってしまいます。
知らないうちにサタンに惑わされてしまいます。

私たちも、イエスの言われることが、
そのとき理解できなくても、わからなくても、
イエス・キリストが語られることを
素直な心で、へりくだって受け取りましょう。

2018年12月21日金曜日

イエスはキリスト、救い主!

1221日金曜日

「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」

                                         マルコの福音書829


イエスは弟子たちに、あるとき尋ねられました。
「人々はわたしをだれだと言っていますか。」

弟子たちは
「バプテスマのヨハネだと言っています。
エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます。」と応えました。

するとイエスは、彼らに尋ねられました。
「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」

ペテロが答えて、イエスに言いました。
「あなたは、キリストです。」

これが正解でした。
まさにイエスはキリスト、救い主、メシアなのです。


イエスはあなたにも聞かれます。
「あなたはわたしを誰だと言いますか。」
「あなたにとってわたしは誰ですか。」と。

あなたもはっきりと応えましょう。
「あなたはキリストです。」
「わたしにとって、イエスさま、あなただけがキリスト、救い主です」と。

2018年12月20日木曜日

大切なのは真理の教え

1220日木曜日

「まだ悟らないのですか。」

    マルコの福音書821


イエスは弟子たちに
「まだ悟らないのですか。」と言われました。

そのとき弟子たちは、
パンを持って来るのを忘れ、
パンを持っていないということで、
互いに議論していました。

でもイエスが言われたのは
「パリサイ人のパン種と
 ヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」
と言うことで、
それは彼らの教えのことでした。

パンという見えるものがあるかないかではなく、
彼らの「教え」が問題だったのです。

私たちも見えるものに気を取られて
大切な真理と愛を見失わないようにしましょう。

2018年12月19日水曜日

すばらしいことをなさるイエス・キリスト

1219日水曜日

この方のなさったことは、みなすばらしい。

 耳の聞こえない者を聞こえるようにし、

 口のきけない者を話せるようにされた。

                               マルコの福音書737


イエス・キリストは、人々が連れてきた、
耳が聞こえず、口のきけない人を、癒されました。

その人の両耳に指を差し入れ、
それからつばきをして、
その人の舌にさわられ、
天を見上げ、深く嘆息して、
その人に「エパタ。」
すなわち、「開け。」と言われると、
彼の耳が開き、舌のもつれもすぐに解け、
はっきりと話せるようになったのです。

人々は非常に驚いて言いました。
「この方のなさったことは、みなすばらしい。
 つんぼを聞こえるようにし、
 おしを話せるようにしてくださった。」と。


この方、
イエス・キリストのなさることは、
みなすばらしいのです。

あなたも、
そのすばらしい愛と恵みにふれることができます。

2018年12月18日火曜日

愛する娘のためにパンくずを求めた女

1218日火曜日

主よ。そのとおりです。

でも、食卓の下の小犬でも、

子どもたちのパンくずをいただきます。

       マルコの福音書728


ギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生まれの女が、
自分の娘から悪霊を追い出してくださるように、
イエスのところに来て、その足もとにひれ伏し願い続けました。

するとイエスは
「まず子どもたちに満腹させなければなりません。
 子どもたちのパンを取り上げて、
 小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われたのです。
つまり、まずユダヤ人を助けなければならない。
子犬のような(これは良い意味ではありません)異邦人のあなたを
先に助けるのは良くないことです。ということです。

あなたなら、こう言われたらどうしますか。
悲しんで、あきらめて帰るか、
怒り出して腹を立てて帰るかしてしまいませんか。

でも、この女の人はこう言いました。
「主よ。そのとおりです。
 でも、食卓の下の小犬でも、
 子どもたちのパンくずをいただきます。」と。
つまり、
「確かに私は偶像礼拝をする罪にまみれた異邦人で、
 子犬のようなものにすぎません。
 とても恵みをいただくにはふさわしくありません。
 それでも、そんな子犬でも食卓から落ちるパンくずはいただきます。
 そのように私にも、パンくずでいいのです。
 それで十分ですから、そのパンくずをいただかせてください。
 それで私の娘は癒され解放されますから。」

それを聞いて、イエスは答えられました。
「そうまで言うのですか。
 それなら家にお帰りなさい。
 悪霊はあなたの娘から出て行きました。」

この女が家に帰ってみると、
その子は床の上に伏せっており、
悪霊はもう出ていました。
完全に解放され癒されたのです。

この女は娘を愛していました。
そして、へりくだっていました。
イエスは、この女の願いに答えられたのです。


あなたも、主イエスに祈り願っても、
なかなか祈りが届いていないように
感じる時があるかもしれません。
まるで
イエス・キリストが
自分を無視しておられるように
感じる時があるかもしれません。
でも、愛する者のために、
身を低くして、
もう一度主イエスにすがりましょう。

きっと主イエスは「そうまで言うのですか」と、
あなたの祈りに応えてくださるでしょう。

2018年12月17日月曜日

イエス・キリストは心を掃除して心の中をきよくきれいにしてくださる

1217日月曜日

外側から人に入って、

人を汚すことのできる物は何もありません。

人から出て来るものが、人を汚すものなのです。

          マルコの福音書715


イエスは
「外側から人にはいって来る物は人を汚すことができない、
 そのような物は、人の心には、はいらないで、腹にはいり、
 そして、かわやに出されてしまうのです。」と言われ、
このように、すべての食物をきよいとされました。


しかし、一方で
「人から出るもの、これが、人を汚すのです。
 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、
 悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、
 欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、
 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」と言われました。

確かに、その通りですね。
でも私たちには、自分の心の中から、
これらの悪をなくすることはできません。
イエス・キリストを信じ、悔い改めて
イエスの十字架の血潮の力と聖霊の助けの中で、
私たちの心はきよめられ、
これらの罪と悪から解放され、自由にされるのです。

真理であるイエス・キリストは、私たちを自由にします。

2018年12月16日日曜日

キリストに触れると、身も心も人生も、癒される

1216日日曜日

さわった人々はみな、いやされた。

                         マルコの福音書6章56節

弟子たちはイエスと共に湖を渡って、
ゲネサレの地に着き、
舟をつなぎ舟から上がりました。

すると、
人々はすぐにイエスだと気がついて、
そのあたりをくまなく走り回り、
イエスがおられると聞いた場所へ、
病人を床に載せて運んで来たのです。

イエスが、はいって行かれると、
村でも町でも部落でも、
人々は病人たちを広場に寝かせ、
そして、せめて、
イエスの着物の端にでも
さわらせてくださるようにと願ってやってきました。

なんと、さわった人々はみな、いやされたのです。

人々は知っていました。
イエス・キリストに触れることが出来れば癒される。
直るんだと。
今も、それは同じです。
イエス・キリストは、
昨日も今日も、とこしえまでも
変わることなく、同じだからです。

あなたもイエスのところに来て、
癒しを受け、
あなたの愛する人、大切な人を連れてきましょう。
きっとその人も、イエス・キリストに触れるとき、
完全に癒されるでしょう。
身も心も人生も。

2018年12月15日土曜日

満腹させてくださるイエス・キリスト

1215日土曜日

人々はみな、食べて満腹した。

    マルコの福音書642


イエス・キリストが五つのパンと二匹の魚で男だけで五千人、
女性や子どもを含めて数万人の人たちを養われました。

そのときイエス・キリストは、
五つのパンと二匹の魚を取り、
天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、
人々に配るように弟子たちに与えられました。
また、二匹の魚もみなに分けられた。

人々はみな、食べて満腹したのです。

イエス・キリストは、
一人一人が満腹するまで惜しまずに与えられました。
足りなくなったらいけないから、
控えめにとか、ほどほどにとは言われず、
一人一人が十分食べるように配られました。
これがキリストです。

あなたにも、十分満腹するまで与えてくださいます。
安心して主イエスと共に歩んでいきましょう。
彼と共にいれば必ず満たされていきます。

2018年12月14日金曜日

不可能の中で、信じ続ける


「恐れないで、ただ信じていなさい。」

       マルコの福音書536



小さい娘が死にかけていたヤイロという人が、
イエスのところに来て、ひれ伏して
娘を助け救ってくださるように願いました。

イエスは、すぐに立ち上がり彼といっしょに行かれました。

その時、
12年間婦人病だった人が、
目の前で癒されたので、希望を持ちました。
自分の娘も治ると。

ところが、
その直後に家のものが来て言いました。
「お嬢さんはなくなりました。
 なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう。」と。

その時、そばで聞いていたイエスは、彼に言われます。
「恐れないで、ただ信じていなさい。」と。

そして彼の家に行き、
この子の手を取って、
「タリタ、クミ。(少女よ。あなたに言う。起きなさい。)」と
主イエスが言われると、
少女はすぐさま起き上がり、歩き始めたのです。


イエス・キリストには、不可能は一つもありません。
死んでしまった少女が、生き返ったのです。

あなたが、
これでもうお終いだと思い、
もうダメだと感じても、
主イエスがおられるなら、
あきらめないで、信じ続けてください。

イエス・キリストは、あなたにも言われます。
「タリタ、クミ」「少女よ、起きなさい。」と。

2018年12月13日木曜日

主イエスのいやしは、いつまでも・・・


「安心して帰りなさい。

 病気にかからず、すこやかでいなさい。」

       マルコの福音書534



12年間、婦人病で苦しんだ女は、
イエス様の着物にふれていやされました。
そのとき、イエスは、こう言われます。
「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。
 安心して帰りなさい。
 病気にかからず、すこやかでいなさい」と。

あなたの信仰が直したのですと言われた後
「安心して帰りなさい」と言われました。

長い間病気をしていると、
良くなっても、
しばらくすると、
また悪くなるのではないかという不安が出てきます。
そのときは喜んでいますが、
少し痛んだりすると、
また悪くなるとすぐ否定的になったりします。

イエスは、そのことを知っておられました。
だから言われたのです。
「安心して帰りなさい」と。
もう大丈夫だよ。
病気にかかることはないから、
安心して帰り、
これからずっとすこやかでいなさい、と。


イエス・キリストは、
その時だけではなく、
彼女の人生の後の事まで思いやっておられるのです。

イエス・キリストは、
あなたを癒し、
永遠にまで守り、
導いてくださるお方です。

安心して帰りなさい。