2018年12月13日木曜日

主イエスのいやしは、いつまでも・・



「安心して帰りなさい。
病気にかからず、すこやかでいなさい。」

マルコの福音書534

12年間、婦人病で苦しんだ女は、
イエス様の着物にふれていやされました。
そのとき、イエスは、こう言われます。
「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。
 安心して帰りなさい。
 病気にかからず、すこやかでいなさい。」と。

あなたの信仰が直したのですと言われた後
「安心して帰りなさい。」と言われました。

長い間病気をしていると、
良くなっても、
しばらくすると、
また悪くなるのではないかという不安が出てきます。
そのときは喜んでいますが、
少し痛んだりすると、
また悪くなるとすぐ否定的になったりします。

イエスは、そのことを知っておられました。
だから言われたのです。
「安心して帰りなさい」と。
もう大丈夫だよ。
病気にかかることはないから、
安心して帰り、
これからずっとすこやかでいなさい。と。


イエス・キリストは、
その時だけではなく、
彼女の人生の後の事まで思いやっておられるのです。

イエス・キリストは、
あなたを癒し、
永遠にまで守り、
導いてくださるお方です。

安心して帰りなさい。

2018年12月12日水曜日

信仰を持ってイエスにふれる


「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。」
マルコの福音書534

12年間、婦人病で苦しんでいる女がいました。
多くの医者にかかりましたが悪くなる一方でした。
彼女はイエスのことを耳にしたとき
「きっとこの方なら、その着物にさわることさえできれば直る」と思い、
群衆の中に紛れて、
イエスの後ろから、そっと着物にさわりました。

すると、すぐに、血の源が枯れて、ひどい痛みが直ったのです。

イエスはこの女に言われました。
「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。
 安心して帰りなさい。
 病気にかからず、すこやかでいなさい。」と。

イエスの着物にふれた人は、たくさんいたでしょう。
しかし彼女だけがいやされました。
彼女が信じていたからです。

あなたも主イエスに期待して、
礼拝に行けばきっと直る、
教会に行けばきっと解決すると、信じて行きましょう。
そのとき、
礼拝の中で、主イエスがふれてくださり、
賛美の中で、主イエスが直してくださいます。

2018年12月11日火曜日

イエスはあなたを悪霊から救い、人々の希望にしてくださる



「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、
主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、
どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」
マルコの福音書5章19節


悪霊に憑かれて墓場で生活していた男の人がいました。
彼は鎖につながれていましたが、
その鎖を引きちぎり足かせも砕いてしまいました。
夜昼となく墓場や山で叫び続け、自分の体を傷つけていました。
悪霊はその人自身を傷つけ破壊します。

イエス・キリストは、彼をその悪霊から解放されました。
彼が正気に戻り、
着物を着て座っているのを見た人々は驚き恐れました。

この人は、イエス・キリストにお供をしたいと願いました。
ところがキリストは、こう言われました。
「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、
 主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、
 どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」

彼は立ち去り、
イエスが、
自分にどんなに大きなことをしてくださったかを
人々に言い広めました。
人々はみな驚きました。


悪霊はあなた自身を破壊し、あなたの人生を狂わせます。
でもイエス・キリストは、
あなたをその悪霊から解放し救い出してくださいます。
その喜びを人々に伝えましょう。
多くの人たちが、
そのあなたの証に驚き、感動し、救い出されるでしょう。

2018年12月10日月曜日

主の言葉は成就する


「さあ、向こう岸へ渡ろう。」

                  マルコの福音書435



ある日の夕方、
弟子たちは「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と
イエスに言われ、
イエスさまを一緒に舟に乗せて、向う岸に向かいました。

すると、激しい突風が起こってきました。
イエス様に言われたから舟出したのに、
しかもイエスさまが一緒にいるのに、
舟は波をかぶって水でいっぱいになり、
溺れて死にそうになったのです。

弟子たちは怖くて仕方ありません。
ところがイエスさまは、
とものほうで、
枕をして眠っておられるのです。

弟子たちは、イエスを起こして言いました。
「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、
 何とも思われないのですか。」
するとイエスは起き上がり、
風をしかりつけて湖に言われました。
「黙れ、静まれ。」と。
するとその瞬間、
風はやみ、大なぎになりました。

イエスの言葉で始まった舟出、
どんなに嵐が来ようと
イエスが語られた言葉は必ずそうなるのです。

イエスは弟子たちに言われます。
「どうしてそんなにこわがるのです。
 信仰がないのは、どうしたことです。」

このことを通して、
弟子たちは嵐よりももっと大きな恐怖に包まれて、
互いに「風や湖までが言うことをきくとは、
いったいこの方はどういう方なのだろう。」と
主イエスをあがめたのです。


あなたも主の言葉で始まったことは、
途中で、どんなに困難や問題が来ても、
共にいてくださる主が必ず成就してくださるのです。

2018年12月9日日曜日

身を低くして、へりくだって聞く


聞く耳のある者は聞きなさい。

マルコの福音書49節・23



イエスはなんども言われました。
「聞く耳のあるものは聞きなさい。」と。

イエス・キリストが語られている時、
多くの人たちが聞いていました。

いろんな人たちがいました。
大人も子どもも、
男も女も、
金持ちも貧しい人たちも、
律法学者やパリサイ人のような宗教指導者も、
サドカイ人祭司たちのような社会的な権力者も、

でもイエスの言われることを
本当に身を低くしてヘリくだって
耳を傾けていた人は少なかったようです。

「聞く耳のある人は聞きなさい。」

今もイエス・キリストは、
そう私たちに向かって言われます。

身を低くして、へりくだって
主イエスの言葉に耳を傾け聞きましょう。

2018年12月8日土曜日

イエス・キリストの兄弟・姉妹・母


神のみこころを行う人はだれでも、

わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。

       マルコの福音書335




イエスのお母さんと兄弟たちが、イエスを呼びに来ました。
イエスを囲んですわっていた人たちは
「ご覧なさい。
 あなたのおかあさんと兄弟たちが、外であなたをたずねています。」
と言うと、イエスは彼らに
「わたしの母とはだれのことですか。
 また、兄弟たちとはだれのことですか。」と答え、
自分の回りにすわっている人たちを見回して
「ご覧なさい。
 わたしの母、わたしの兄弟たちです。
 神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
と言われたのです。

イエスを愛して、
イエスに従い、御心を行う者たちは、
イエス・キリストの兄弟・姉妹・母なのです。

あなたもイエス・キリストの兄弟・姉妹・母ですか。

2018年12月7日金曜日

安息日は人間のために


人の子は安息日にも主です。
マルコの福音書228

ユダヤ人の律法の中の律法である十戒の中に、
「安息日を守れ」というのがあります。

一週間のうち1日は、
神である主が休まれたので、私たちも休むのです。
とても良い素晴らしい教えです。

しかし、
人間のために神様が与えてくださった戒めが、
いつの間にか、
戒めを守ることが中心になり、
その戒めの目的が見失われていました。

安息日を守るために
人間が創られたのでも、
いるのでもありません。

人間のために安息日が設けられたのです。

安息日の正しい過ごし方の模範を
人の子であるイエス・キリストは、示されました。

2018年12月6日木曜日

律法ではなく、福音によって生かされる


新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。

          マルコの福音書222


律法という旧い皮袋、
こうしてはいけない。
こうしなければならない、
という律法ではなく、

新しい皮袋、
つまり福音、
イエスの十字架によって赦され救われて、
復活の命に生き、
解放され癒されて、
今まで出来なかったことが出来るようになる。

主がこうしてくださる。
主イエスによって、こうできるようになる。
という福音に、私たちは生かされ、生きるのです。

2018年12月5日水曜日

罪人を招くために来られたイエス・キリスト


わたしは正しい人を招くためではなく、

  罪人を招くために来たのです。

        マルコの福音書217


イエスは、道を通りながら、
当時みんなに嫌われていた収税人のアルパヨの子レビに
「わたしについて来なさい。」と声をかけられます。

彼は嬉しかったのでしょう。
すぐに立ち上がり従いました。

そしてイエスを家に招いて、
大ぜいの取税人や罪人たちと一緒に、食卓を囲みます。

それを見たパリサイ派の律法学者たちは、
イエスの弟子たちにこう言います。
「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」

イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われました。
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」


律法を守っているという立派な人ではなく、
律法を守れないで自分は罪人だと自覚している人を
招き救うためにイエス・キリストは来られたのです。

これが福音です。

そしてイエス・キリストは
福音に生き、十字架にかかり、よみがえられたのです。

2018年12月4日火曜日

きよめられ、いやされることは、主の御心です


「わたしの心だ。きよくなれ。」

        マルコの福音書1章41



らい病(ツァラアト)に冒された人が
イエスのもとにお願いに来て、
ひざまずいて言いました。
「お心一つで、私をきよくしていただけます。」

イエスは深くあわれみ、
手を伸ばして彼に触って言われました。
「わたしの心だ。きよくなれ。」

すると、
すぐにらい病(ツァラアト)は消えて、
その人はきよくなったのです。

当時、らい病は汚れた病気、
神に呪われたものという風に見られていました。
本人だけではなく、
そのライに触れたものも汚れると言われていました。

ところが、
イエスは「憐れんでください。」と言われた時、
わざわざ手を伸ばして、
まず触られたのです。

それから
「わたしの心だ。きよくなれ。」
と言われました。

イエス様は、
わたしは、あなたをライのままで愛している。
あなたは、ライのままでも価値ある人だ
と言われたのです。

そして、
ライが直ること、
つまりきよめられることがわたしの願い、
御心だと言って
ライをきよめ癒してくださったのです。

2018年12月3日月曜日

朝早く1人で祈られたイエス


さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、
寂しいところへ出て行き、そこで祈っておられた。

マルコの福音書135


イエス・キリストが30歳で公生涯に立たれ、
宣教の働きを始めると、
多くの人々がイエスのもとに集まって来ました。
病人をいやし、悪霊を追い出されたからです。

イエスは人々が眠っている間に起き、
1人になるために寂しいところに行き、
そこで祈っておられました。

そして人々が起きてくると、
また近くの別の村里へと福音を知らせに行かれたのです。

あなたが、
どんなに忙しい日々を送っていたとしても、
主に祈る時間を、大切にしてください。
1人で主に祈り感謝する時を失わないようにしましょう。

イエス・キリストは、どんなに忙しくても、
朝早く起きて、祈っておられました。

それが働きの祝福の鍵なのです。

2018年12月2日日曜日

ペテロへの召命


「わたしについて来なさい。
人間をとる漁師にしてあげよう。」

マルコの福音書117


イエス・キリストは、
ガリラヤ湖のほとりを通られて、
シモンとシモンの兄弟アンデレが
湖で網を打っているのをご覧になられました。

漁師であった彼らに、イエスは言われたのです。
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」

するとすぐに、彼らは網を捨て置いて従いました。
イエス・キリストの言葉には、
今まで聞いたことのない権威と力、
そして、とても温かいぬくもりがあったのだと思います。

シモンとアンデレの兄弟は
すぐに大好きだった網、
つまり漁師の仕事を捨てて従っていくのです。

自分の生活をかけて、捧げて従って行きました。

あなたにも主イエスが語られることがあります。
「わたしについて来なさい。」と。

その時、あなたもあなたの網を捨てて従っていく時、
弟子としての祝福の人生が始まります。

2018年12月1日土曜日

あなたは、わたしの愛する子


「あなたは、わたしの愛する子、
わたしはあなたを喜ぶ。」
マルコの福音書111

イエス・キリストが、
ヨルダン川で、
バプテスマのヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けられて、
水の中から上がられた時、
天が裂けて御霊が鳩のようにイエスさまの上に下ってきました。

そして天から声がしたのです。
「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」と。

イエス・キリストは、父なる神様の愛するひとり子でした。
父なる神様は、洗礼を受けられたイエスさまを、とても喜ばれました。

あなたがイエス・キリストに続いて洗礼を受ける時、
父なる神様は、
あなたのことも喜ばれ、
同じように語ってくださいます。
「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」と。

2018年11月30日金曜日

イエス・キリストが、いつもともにいる



見よ。わたしは、世の終わりまで、
いつも、あなたがたとともにいます。
マタイの福音書28章20

イエス・キリストが大宣教命令を命じられた時、
最後にこう言われました。
「見よ。わたしは、世の終わりまで、
 いつも、あなたがたとともにいます。」

イエス・キリストを信じた人には
聖霊が内住されます。
つまり
いつもイエス・キリストが共にいてくださるのです。

あらゆる国に出て行って福音を宣べ伝えていると、
その真理が、はっきりと霊の内に分かるようになります。

確かに
「主イエスがともにいてくださる」
ということを、
明確に知り、確信するようになるのです。

2018年11月29日木曜日

全世界に出て行く


あなたがたは行って、
あらゆる国の人々を弟子としなさい。
マタイの福音書28章19

復活されたキリストは、
弟子たちをガリラヤに呼び、
アルベル山で大宣教命令を与えられました。

弟子たちに
「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」
と命じられました。

この命令は、今も変わりません。

キリストの弟子は、
あらゆる国、全世界に出て行くのです。
弟子とするために、
なんども繰り返し出て行くのです。

あなたも
イエス・キリストの福音を携えて、
全世界に出て行きましょう。
人々を弟子とするために、
何度もなんども出て行きましょう。

2018年11月28日水曜日

神に捨てられた神


「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
マタイの福音書2746

イエス・キリストは十字架の上で
「エロイ、エロイ、ラマサバクタニ」と叫ばれました。
これは
「わが神、わか神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
という意味でした。

神であられた方が、
父なる神に捨てられたのです。
私たち一人一人の罪のために。
あなたと私の罪の身代わりとなって
裁かれ罰せられて、
神に捨てられ、
よみ、つまり地獄に落ちられたのです。

父なる神は、
私たちを愛して、
キリストを捨てて、
あなたと私を救い出されたのです。

私たちは、
永遠に神と共にいることができ、
よみ、つまり地獄に行くことはありません。

2018年11月27日火曜日

むりやり負わされた十字架は祝福の始まり


この人にイエスの十字架を、むりやり背負わせた。
マタイの福音書2732

イエス・キリストが十字架を負って
カルバリの丘、ゴルゴタに向かわれた時、
途中で倒れたキリストの代わりに、
田舎から出てきていたクレネ人シモンが、
十字架を背負いました。

ちょうどその時、そこにいたからです。
断ると殺されてしまうので、
むりやりに背負わされたのです。

でも、それが彼と彼の家族にとって
大きな計り知れない祝福となりました。


あなたも、
むりやり十字架を負わされる時があったなら、
悲しんだり落胆したり、
不運だと嘆かないでください。

きっと、
そのむりやり負わされた十字架を通してしか
見ることのできない神様の栄光と祝福が待っています。

2018年11月26日月曜日

1時間目をさまして祈る


あなたがたは、そんなに、1時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。
マタイの福音書2640

ゲッセマネでイエス様は祈られて、
それから弟子たちのところに来られました。

すると弟子たちは眠っていました。
イエスはペテロに言われました。
「あなたがたは、そんなに、1時間でも、
 わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。
 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。
 心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

そして再び祈りに行かれ、
三度同じ祈りをされて、
祈り切られ十字架に向かって行かれます。

私たちも主の恵みをいただいて、
ゲッセマネに行き、
祈り切って十字架を負うものとしていただきましょう。

2018年11月25日日曜日

ゲッセマネの祈り


しかし、わたしの願うようにではなく、
あなたのみこころのように、なさってください。
マタイの福音書2639

イエス・キリストは、
ゲッセマネで祈られる時、ひれ伏してこう言われました。
「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。
 しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってくださ
 い。」と。

イエスは、神であられたのに、
父なる神から捨てられて、神であることを捨てられるのです。
私たち人間には及びもつかない恐れがあったと思います。

イエスでさえ、できれば去らせてくださいと言われたのです。
私たちが十字架を負うとき、
イエスの十字架とは本質的に違いますが、
本当に小さな、あまりにも小さな小さな十字架を負わなければならない時、
できれば過ぎ去らせてくださいと言うことがあるかもしれません。

でもそのあとにイエスが言われたように、私たちも言いましょう。
「しかし、しかし、わたしの願うようにではなく、
 あなたのみこころのように、なさってください。」と。

その時、主イエスが助けて、十字架を負う恵みを与えてくださいます。

2018年11月24日土曜日

目を覚まして祈る


ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。
マタイの福音書2638

イエス・キリストは十字架にかかられる前に、
弟子たちを連れて、ゲッセマネというところに行かれました。

そして弟子たちに
「わたしがあそこに行って、祈っている間、
 ここにすわっていなさい。」と言われました。

そしてペテロとヨハネとヤコブの三人だけを連れて、
祈り始められました。
祈り始められると、
イエスは悲しみもだえ始められたのです。
イエスは戦っておられました。
そして彼らに言われたのです。
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。
 ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」と。

イエスはこのあと、祈り切られて十字架に向かわれます。
でも弟子たちは起きていることができず、眠ってしまいました。

弟子たちがイエスが十字架にかかられた時、
逃げてしまったのは、
この時に目をさましていなかったからでしょう。

もし目を覚ましていれば、
イエスを裏切り逃げなくて済んだのでしょう。

でも慰めがあります。
ここで眠り十字架の時に逃げた弟子たちを
イエスは見捨てることなく、
その弟子たちに、のちに聖霊を注ぎ、
彼らを通して福音は全世界に宣べ伝えられるのです。

神様の愛は深く大きいのです。

2018年11月23日金曜日

世の終わりは近づいている


目をさましていなさい。
マタイの福音書25章13節

目をさましていなさい。
これは眠るなということではありません。
説教中に寝ている人がいますが、
その人への注意ということでもありません。

今がどういう時代なのか、
そのことに、しっかり目を向け、
永遠に対して備えていなさい、ということです。

今までなかったような大きな地震が
日本中、世界中で短い期間に次々と起こり、
異常気象や民族紛争にテロ、
ヨーロッパがEUになり、再びローマ帝国の復興を思わせ、
イスラムが猛威を振るい始めるなど、
明らかに聖書に書かれている終末のしるしが起こり現れ始めています。

そのことに、しっかりと目を向けて、
今の時代がどういう時代かを捉えて、
永遠に対して備え、永遠のために生きなさいと
主イエスは言われているのです。

2018年11月22日木曜日

親子より夫婦が土台


人はその父と母を離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者が一心同体になるのだ。
マタイの福音書19章4節

日本では、夫婦より親子の絆の方が、強く確かと思われているように思います。
夫婦は他人だけど、親子は血が繋がっているからです。

もちろん、
聖書も父母を敬うこと、
子供を主の教えによって愛を持って育むことを教えています。

しかし、親子の前に「夫婦」がまず土台なのです。
まず最初にアダムとイブが創られ、
それから子どもたちが生まれたのです。

聖書には、結婚する時、
父母を離れ妻と結ばれ、二人のものが一心同体になると書いてあります。
父と母を離れ、妻と一つとなる。
これは、とても大切なことです。
結婚するとき、
それまで親の権威の下で守られていたところから、
妻は夫の権威の中に入るのです。
夫は神さまの権威の下で、妻を守るのです。

2018年11月21日水曜日

神が導かれる結婚


人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。
マタイの福音書196

結婚は、お互いがお互いを選びあったときに出来る。
そう思っている人が多いかもしれません。
でも聖書では、神さまが二人を選び出したと書いてあります。

夫が妻を選んだのでもなく、
妻が夫を選んだのでもなく、
神さまが、2人を夫と妻として一つにするために選んだのです。
だから、神さまが2人を一つにしてくださるのです。

時間が経つと、いろんな二人の違いが見えてきます。
相手の弱さも、受け入れにくい事も色々とわかってきます。
でも、そんなとき、
主のもとに、主イエスの十字架のところに行くとき、
主の恵みと聖霊の助けの中で、
受け入れ赦し合い、一つにされていくのです。

時間が、かかるかもしれません。
でも、そうして愛が育まれていきます。
神様があなた方を選ばれたのです。
神様にすがり、一つとされていきましょう。

2018年11月20日火曜日

砕かれた心は奇跡をもたらす。


「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」
マタイの福音書15:28

娘がひどく悪霊に取り憑かれているカナン人の女が、
イエスのところに来て「憐れんでください」と叫びました。
しかしイエスは、彼女に一言もお答えにならず、
それどころか、こう言われたのです。
「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません。」と。
これは、わたしはユダヤ人のところに遣わされいて、
異邦人であるカナン人のあなたには遣わされていないということを意味します。

それでも、この女はあきらめることなく、
イエスの前にひれ伏して
「主よ。私をお助けください」と言いました。

するとイエスは、それに答えて
「子どもたちのパンくずを取り上げて
 子犬に投げてやるのは良くないことです」
と答えられたのです。
普通ならこれであきらめるか、
あるいは逆に怒り出す人もいるでしょう。

ところが、この女の人は
「主よ。そのとおりです。
 ただ子犬でも主人のパンくずはいただきます。」
と答えます。

すると、そのときイエスは彼女に、こう言われました。
「ああ、あなたの信仰はりっぱです。
 その願いどおりになるように。」
そしてそう言われると、
彼女の娘は、その時から直ったのです。

あなたにも、
全くイエスが祈りを聞いてくださっていないように思えたり、
無視されているように思えることがあるかもしれません。

でも、このカナン人の女のように、
確かに自分は偶像礼をはじめ、罪が溢れている異邦人ですと罪を認め、
それでも、そんな私にも主は憐れみをかけてくださるということを信じて祈るなら、
主は、必ずその信仰に答えてくださるのです。