2016年12月7日水曜日

12月7日(水) 宣教開始—悔い改めなさい①






しかし主はサムエルに仰せられた。

「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。

 わたしは彼を退けている。

 人が見るようには見ないからだ。

 人はうわべを見るが、主は心を見る。」





    第1サムエル16章7節



真実な悔い改め



悔い改めと聞くと、

すぐに暗いイメージを抱く人が

多いような気がしますが、

あなたはどうでしょうか?



もしそうでないなら、

あなたは福音を、正しく理解されているのです。



なぜなら、悔い改めは恵みであり、

私たちを、十字架によって与えられた救いの喜びと平安の中に、

どんなときにも保ち続けてくれる祝福だからです。



でも多くの場合は、

そういうふうに正しく理解されてはいないのです。



残念ながら、

本来救いと喜びにいたるはずの悔い改めが、

責め立てられるような罪責感と自虐的な思いに

変えられてしまっています。



だから人は、本気で悔い改めようとしないのです。



クリスチャンになってからでさえも、

悔い改めの実を結び、

天の御国の豊かな祝福の中に生きている人は少ないのです。



多くの方々が、

悔い改めの実を見ずに、

今なお、

悪魔がもたらす地獄の苦しみの中におられるのです。



それは、

主に2つの誤った悔い改めの態度から来ていると思われます。



まず第一に、

罪に対して、

あやふやな態度のまま成される

いい加減な悔い改めは、

悔い改めがもたらす主の祝福を、

受けることができません。



「私が悪かったです」



という心からの真実な悔い改めは、

実に多くの祝福をもたらしますが、

見せかけだけの形だけの悔い改めは、

主に退けられてしまいます。



主は、心をご覧になるからです。



サウルは、主から

アマレクを打ち、すべてのものを聖絶するようにと命じられましたが、

聞き従うことができずに、

肥えた羊や小羊や牛の最も良いものを惜しみ、

つまらない値打ちのないものだけを聖絶しました。



預言者サムエルは、

このことを怒り、

サウルのところに行きましたが、

サウルはすぐには自分の不従順を認めようとせず

「私は主のことばを守りました」

と言います。



サムエルに

「私の耳にはいるあの羊と牛の声は何ですか」

と問い詰められたときでさえ、

「民が最も良いものを惜しんだのです。

 あなたの神、主にいけにえを捧げるためです」

と民の責任にして、

悔い改めずに言い訳しました。



サムエルが「やめなさい」と言って、

はっきりと

「主の御声に聞き従わず」

と言ったときでさえも

「私は主の御声に聞き従いました」

と言い張ったのです。



その後で、

やっとサウルは自分の罪を認めますが、

その時でさえ自分の面目のために、

サムエルに一緒に帰って礼拝してほしいと頼むのです。



彼の悔い改めは、本物ではありませんでした。



もしも彼が自分の不従順を心から認め、

真実に悔い改めていたならば、

主はサウルを退けはされなかったでしょう。



もしもサウルが、

心から悔い改めていたならば

ダビデの末からではなく、

サウルの末からイエス・キリストが

誕生していたのです。



サウルは悔い改めのない心のゆえに、

主から退けられてしまいました。



そして、主が与えようとされていた

大いなる祝福を失ったのです。


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