2016年11月4日金曜日

11月4日(金) イエスが示された愛の極み③




イエスは答えて言われた。

「わたしがしていることは、  

今はあなたにはわからないが、  

あとでわかるようになります。」




ヨハネの福音書13章7節



あとでわかる愛



イエスは弟子たちの足を、ひとりずつ順に洗っていました。

そして、シモン・ペテロのところに来られたのです。

すると、ペテロは、イエス・キリストに言いました。



「主よ。あなたが、わたしの足を洗ってくださったのですか。」



すると、イエス・キリストは、すぐに答えられました。



「わたしのしていることは、  

今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」



イエスは「あとでわかるようになる。」と言われました。



確かに真実の愛、

本当の愛というのは

多くの場合、

その時は誤解され、わかってもらえないことが多いのです。



しかし、真実な愛は後の日に、明らかになるのです。



例えば、

この地上で示された最高の愛である イエス・キリストの十字架を考えてみてください。

イエス・キリストが十字架にかけられたとき、 だれ一人として、 イエス・キリストの十字架を理解した人は、いなかったのです。

イエス・キリストは、

私たちの罪の身代わりとなって、

ご自分の命を捨てて、死にまで従って、

十字架の上で苦しみを受けてくださったのです。



しかし、そのとき、手塩にかけた弟子たちは逃げていきました。



筆頭弟子のペテロは、呪いをかけて、

イエスを否み、知らないと言いました。



亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた弟子たちもいました。



イエス・キリストの愛に、

まるで恩を仇で返すようにしたのは

弟子たちだけではありません。

群衆は「イエスを十字架につけろ」と叫び、

彼らの罪のために苦しんでいるイエスに、

「十字架から降りてきたら信じてやる」

と罵声を浴びせかけたのです。



だれも、イエス・キリストの愛が、わかっていませんでした。

それどころか、必要とさえ思っていなかったのです。



ガリラヤから来た女たちは、確かにイエスを愛していました。

ですから悲しくて、辛くて泣いていました。



しかし、彼女たちでさえ、

イエス・キリストが、

自分のために、十字架で死んでくださっているということは、

わかっていなかったのです。



この時、だれ一人として、

イエス・キリストの十字架が、

自分の救いのために必要で、

イエス・キリストが、

そのために生命をかけて贖い、

愛を示してくださっているということを

理解している人はいなかったのです。



イエス・キリストは、

最も大きな最高の愛を示している

その只中で、誰にもわかってもらえず、

たった独りぼっちで孤独だったのです。



そして、父なる神様にまで、

私たちの身代わりに捨てられて、

本当に孤独の中を通られたのです。



しかし今、イエス・キリストは、

全世界に、時代と歴史を越えて、

ご自分を心から愛し、

殉教してでも従ってくる弟子たちをお持ちになっています。



これが、真実な愛が見る実なのです。



本当の愛は、後の日に、必ず豊かな永遠に至る報いと実をつけるのです。



もしかしたら、

今、あなたが誰かのために、

真実に、主の愛をもって愛していたとしても、

理解されず、全くわかってもらえず、

それどころか、

誤解と中傷の中にいたとしても、

すぐに投げ出したりしないでください。



心は痛むかもしれません。

けれども、真実な愛は、必ず後の日に豊かな報いをもたらすのです。

天にまで及ぶ永遠にいたる実を必ずつけるのです。



だから、主の愛をもって、

イエス・キリストがなされたように

私たちも無理解と誤解の中で、愛を示し続けましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿