2016年10月20日木曜日

10月20日(木) ラザロの復活③




<イエスは彼女に言われた。

「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、    

とわたしは言ったではありませんか。」




ヨハネの福音書11章41節



従う者が見る神の栄光



イエス・キリストは心に憤りを覚えながら、

ラザロの墓の前に来られました。

そのお墓は、ほら穴になっていて、

石がそこに立てかけてありました。



そのとき、イエス・キリストは言われました。



「その石をとりのけなさい。」と。



マルタは、すぐに言いました。



「主よ。もう臭くなっておりましょう。  

4日になりますから。」



マルタの心の中に、

「イエスさま、  

どんなにあなたがラザロを愛してくださっていても、もう遅いのです。  

いまさら、死んで4日にもなるのに。  

石を取りのけても何にもなりません。  

もうラザロは、戻ってはきません。」



そういう思いが、かけめぐっていたかもしれません。



しかし主は、はっきりと言われたのです。



「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、  

とわたしは言ったのではありませんか。」と。



マルタは、このことばを聞いたとき、呟くことも疑うことも止めました。

よくわからないまま、とにかく、主の言われる通りにしたのです。



彼らは石を取りのけました。

主イエスに従ったのです。

そのとき、主イエスは目をあげて、父なる神に祈られたのです。



「父よ。私の願いを聞いてくださったことを感謝いたします。」と。

そして祈り終えられたあと、大声で叫ばれました。



「ラザロよ。出て来なさい。」



すると死んでいたはずのラザロが、

手と足を長い布で巻かれたまま、出てきました。

彼の顔は布切れで包まれていました。



ラザロは生き返ったのです。

復活したのです。



何と死んだラザロが、よみがえってきたのです。

主は言われました。



「ほどいてやって帰らせなさい。」



主の御心は、ラザロのいやしではなく、復活にあったのです。



でも、考えてみてください。

なぜイエス・キリストは、わざわざ石を取りのけさせたのでしょう。

イエス・キリストにとって、

石などあっても、別にラザロをよみがえらせることは難しくないはずです。

かりに石が邪魔なら、

イエス・キリストがよみがえられたときのように

天使に、石を取りのけさせることも出来たはずです。



しかし、イエス・キリストは天使ではなく、

マルタやマリヤたちに、

石を取りのけるようにと言われました。

おそらく彼らは、石を取りのければ、

ラザロがよみがえってくるとは思ってもいなかったでしょう。

いやそれどころか、こんなことをしても、

いまさら何にもならないと思ったかもしれません。

けれども、彼らは従ったのです。

イエス・キリストのことばに従ったのです。



ここに鍵があるのです。



神さまは、彼らの従順を通して働かれたのです。

イエス・キリストのことばに従ったとき、

それを信じるものの行為として見てくださったのです。

ラザロは、よみがえりました。

彼らが考えることも、

期待することさえもしていなかったような

大いなる神の栄光が現わされたのです。

主イエスのことばに従う者は、このような神の栄光を見るのです。

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