2016年10月19日水曜日

10月19日(水) ラザロの復活







そのようなわけで、

イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、

そのおられた所になお二日とどまられた。




ヨハネの福音書11章6節



栄光を受けるため、
すぐ来られないイエス




ラザロが病気になると、

すぐにマルタとマリヤは、

イエス・キリストのところに使いを送りました。



「あなたの愛している者が病気です。」



そう言えば、

すぐにイエス・キリストは飛んできてくれる。

そして、きっとラザロはいやされる。

2人は、そう堅く信じていました。



そして、ラザロも

イエス・キリストが来てくれれば、

「自分は治る」と信じていました。



彼らは、主が自分たちを愛しておられることを、知っていました。

だから、必ず来てくださる。

しかも、すぐに飛んできて、

ら 完全にいやしてくださると信じていたのです。



ところが、主は言われたのです。



「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。  

神の子がそれによって栄光を受けるためです。」と。



まるで、ラザロは死ぬと言っているようではありませんか。

しかもイエス・キリストは、

なお2日も、そこにとどまっておられたのです。

それから、やっとイエス・キリストは、

重い腰を上げてラザロのところに行かれました。



しかし、もうラザロは死んでいました。

しかもイエス・キリストが

ベタニヤについたときには、 何とラザロが死んで4日もたっていました。



なぜイエス・キリストは、

すぐに飛んできてくださらなかったのでしょう。

主イエスは、ラザロを愛しておられるのに・・・・。



ラザロもマルタやマリヤたちも、

イエス・キリストを心から愛し、

必ずいやしてくださると信じていたのに。



彼らは信じていたのです。

必ずいやしてくれると信じていたのです。

しかし、イエス・キリストは来てくださらなかった…。



マルタやマリヤは、それでも主を愛していました。

主を信じていました。

でも、もうラザロは戻ってこないのです。

やりきれない気持ちが、彼らの中にあったでしょう。

確かに、天でラザロと会うことができる。



でも、なぜイエス・キリストは、

すぐに来てくださらなかったのだろうか、

という思いはどうしても消えなかったでしょう。



ですから、イエス・キリストがベタニヤに来たとき、マルタは言いました。


「主よ。もしここにいてくだったなら、  

私の兄弟は死ななかったでしょうに。」



イエス・キリストは彼女に言われました。



「あなたの兄弟はよみがえります。」と。



マルタは

「私は、終りの日のよみがえりの時に、  

彼がよみがえることを知っております。」と答えました。



この答えは間違いではありません。

しかし、イエス・キリストの言いたかったこととは違いました。

イエス・キリストは、

ラザロが今よみがえると言われたのです。

しかしマルタにはそれが理解できませんでした。

それを不信仰と言うにはかわいそうです。

だれもこのとき、

主がなさろうとしていることを理解できる人など、

いなかったでしょう。



それほどに、

主がなさろうとしていた業は、

人の理解を、はるかに越える大いなるものだったのです。



マリヤも同じことを言い、泣きました。

回りにいたユダヤ人たちも泣きました。



主イエスは、それをご覧になると、

霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、

言われたのです。



「彼をどこに置きましたか。」と。

そして、イエス・キリストも涙を流されたのです。

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