2016年10月1日土曜日

10月1日(土)ゲツセマネの祈り③





それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、

彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。

「あなたがたは、そんなに、1時間でも、わたしと

いっしょに目をさましていることができなかったのか。

誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。 心は燃えていても、肉体は弱いのです。」



   マタイの福音書26章40・41節




ひとりで祈り戦われたイエス


イエス・キリストは、祈られてから弟子たちのところに戻って来られます。

その時、弟子たちは眠っていました。

それを見て、イエス・キリストは、ペテロに言いました。



「シモン。眠っているのか。

 あなたがたは、ほんのひととき、たったの1時間でさえ、

 わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。

 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けていなさい。

 心は燃えていても、肉体は弱いのです。」



そう言って、イエスは再び離れて行き、祈られました。



「わが父よ。

 どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、

 どうぞみこころのとおりをなさってください。」



イエス・キリストが、

また弟子たちのところに戻って来て、ご覧になれると、

弟子たちは、またも眠っていました。

彼らは、ひどく眠気がさして、

目を開けていることができなかったのです。



彼らは、イエス・キリストに、どう言ってよいか、わかりませんでした。



イエス・キリストは、ゲツセマネの園で、たった一人ぼっちでした。



信頼して連れて行った弟子たちは、

どんなに注意を与えても、眠ってしまっていました。

イエス・キリストにとって、最も重要な特別な時に、

彼らは起きていることができなかったのです。

すぐそばで、

血のような汗を流して祈っているイエス・キリストを見ながら、

彼らは眠ってしまったのです。



イエス・キリストは、

十字架のときに弟子たちに逃げられ、裏切られたのではありません。

その前に、イエス・キリストが、

父なる神に、悲しみ苦しみもだえながら祈りの苦闘をしているときに、

すでに一人で戦っていたのでした。



眠ってしまった弟子たちは、

十字架のとき、

逃げるしか道はなかったのです。



しかし、

その孤独の中で祈られたイエス・キリストは、

十字架という父なる神から託された、

この地上に遣わされた最も重大な使命を、

しっかりと受け取られたのでした。



私たちも主に従っていくとき、

必ず、だれにも理解してもらえない孤独な時をとおります。

この人だけには、わかってもらいたいと思う人が、

一番大切なときにいなかったり、

眠りこけていたりすることがあります。

そんなとき、

たった一人で、

主イエスの前に出て、

祈らなければならなくなってしまいます。



でも、その時に思い出してほしいのです。

私たちの主イエス・キリストは、

十字架を前にして、

ゲツセマネで、まさにそこをとおられたのでした。



あなたも、その孤独な祈りの戦いを通り抜けたとき、

すばらしい主イエス・キリストの勝利が与えられるのです。

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