2016年9月30日金曜日

9月30日(金) ゲツセマネの祈り②





そのとき、イエスは彼らに言われた。

「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。

 ここを離れないで、

 わたしといっしょに目をさましていなさい。」

それから、イエスは少し進んで行って、

ひれ伏して祈って言われた。

「わが父よ。できますならば、

 この杯をわたしから過ぎ去らせてください。

 しかし、わたしの願うようにではなく、

 あなたのみこころのように、なさってください。」



   マタイの福音書26章38・39節


苦しみもだえて祈られるイエス


イエス・キリストは、

最後の晩餐が終わると

弟子たちといっしょに、ゲツセマネという所に来られました。

このゲツセマネというのは、

イエス・キリストが、たびたび弟子たちと会合された場所でした。

そして祈っていた場所でした。



実はこのとき、もう十字架が直前に迫っていたのです。

イエス・キリストは、そのことを知っておられたのです。

だから、いつものこの場所、ゲツセマネに来て、祈られたのです。

イエス・キリストは、弟子たちに言われました。



「わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。」



そう言ってから、

イエス・キリストは、

ペテロとゼベダイの子ヤコブとヨハネの3人だけをいっしょに連れて

祈りに行かれました。



すると、あのイエス・キリストが、

祈りの中で、悲しみと深い恐れで、苦しみもだえ始められたのです。



イエス・キリストは、彼らに言われました。



「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。

 ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」



イエス・キリストは、いっしょに祈っていなさいとは言われませんでした。

ただ「ここを離れないで、目をさましていなさい。」と言われたのです。

でも、弟子たちは、目をさましていることさえ出来なかったのです。



石を投げれば届くほどのすぐそばでイエス・キリストは、

ひざまずきひれ伏して、祈っておられました。

今まで見たこともないほど苦しみもだえながら、切に祈っておられました。

あのイエス・キリストが、

こんなにも悲しみ苦しみながら、父なる神に祈られたのです。



イエス・キリストは、これからかかる十字架を知っておられました。

罪を犯したこともなく、

罪を知らない方が、

罪をその身に負わなければならないことも、

サタンの呪いを、その身に負わなければならないことも、

イエス・キリストは、知っておられたのです。



しかし、何よりもイエス・キリストが苦しまれたのは、

父なる神に捨てられなければならないことでした。

主イエス・キリストは、いつも父なる神とともにおられました。



いつも、

どんなときでも、

イエス・キリストは父なる神と一つだったのです。



それゆえ、主イエスは、

こんなにも悲しみ苦しみながら、

血のような汗を流して祈られたのでした。



「アバ。父よ。

 あなたにおできにならないことはありません。

 どうか、みこころならば、

 この杯を私から取りのけ、過ぎ去らせてください。

 しかし、わたしの願うようにではなく、

 あなたのみこころのように、なさってください。」と。



イエス・キリストが、

十字架を前にして、あんなにも堂々としていられたのは、

このゲツセマネの祈りがあったからでした。



主イエス・キリストは、

祈りの中で戦い、悲しみ苦しみぬかれ、

そして、勝利されたのでした。



私たちにも、十字架が許されることがあります。

そんなとき、

私たちも、まず主イエスの御足の後に従って、

ゲツセマネに行きましょう。

祈りの場に行って、

十字架を負う前に主に叫び、心を注ぎ出して、

イエス・キリストのように勝利を受けましょう。



そのとき、私たちは、十字架を喜んで引き受けることができるのです。

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