2016年9月26日月曜日

9月26日(月)不妊の胎が開かれて⑦






聞いた人々はみな、それを心にとどめて、

「いったいこの子は何になるのでしょう」と言った。

主の御手が彼とともにあったからである。



   ルカの福音書1章66節


使命ゆえに待たされ整えられる


ザカリヤがヨハネと書いた瞬間、

口が開かれ、

神を賛美し出したのを見て、

人々は驚きました。



そして、神を恐れたのです。



このことの一部始終は、

その地方一帯に語り伝えられていきました。

そして、聞いた人々はみな、



「いったいこの子は何になるのだろうか」と言い、



この子とともにある主の御手を見たのです。



ザカリヤには、使命があったのです。

彼に与えられた子、ヨハネには、

救い主イエスさまの道備えをするという使命がありました。



これから始まるリバイバルの中で、

多くの人々が救われ、神の子とされていくでしょう。

彼らは、主の再臨の道備えをしなければなりません。



その彼らを、

主に聞きつつ、主にあって育てていくのは、

私たちの使命なのです。



それゆえ、主はザカリヤを待たされ整えられたように、

私たちをも、待たせ整えていかれるのです。



主の訓練と懲らしめは、愛以外の何物でもありません。

それは、私たちの祝福のためなのです。

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