2016年9月13日火曜日

9月13日(火)十字架の生涯の始まり④





また、天からこう告げる声が聞こえた。

「これは、私の愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」



   マタイの福音書3章17節


イエスさまの受洗


イエス・キリストは、

公生涯と言われている宣教活動に入る前に、

まずされたことがあります。

それは洗礼を受けることでした。



すでに、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で

「悔い改めさない。天の御国が近づいたから」と教え、宣べ伝えていました。



そして、それを聞いた多くの人々が、

エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域から出て来て、

自分の罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていました。

バプテスマのヨハネが授けていたのは、悔い改めのバプテスマでした。



そこへ、イエス・キリストが、ヨハネからバプテスマを受けるために、

ガリラヤからヨルダンに来られたのです。

ヨハネは、びっくりして言いました。



「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、

 あなたが、私のところにおいでになるのですか」 

 

ヨハネは、なんとかして、イエス・キリストにそうさせまいとしました。

イエス・キリストは罪人ではありません。

彼は人となってくださいましたが、罪は決して犯されなかったのです。

イエス・キリストは罪そのものとなってくださいましたが、

イエス・キリスト自身のうちには、何の罪もなかったのです。

ですから、彼が悔い改めのバプテスマなどを受ける必要はないのです。

ところが、イエス・キリストは、ヨハネに答えて言われました。



「いまはそうさせてもらいたい。

 このようにして、すべての正しいことを実行するのは、

 わたしたちにふさわしいのです」

 

こうしてイエス・キリストが、

悔い改めのバプテスマを受けられて水から上がられると、

天が開け、神の御霊が鳩のように降って、イエス・キリストの上に来ました。

そして天から、こう告げる声が聞こえました。



「これは私の愛する子。私はこれを喜ぶ」



本来イエス・キリストは、ヨハネのバプテスマを受ける必要はなかったのです。

しかし、完全な人となられたイエス・キリストは、

すべての点で、私たち罪人と同じようになられたのです。

こうして、彼が自らを低くしてバプテスマを受け、

罪人のひとりに数えられたとき、

父なる神は、そのへりくだりと従順のゆえに、

天より御霊を注ぎ、声をかけられました。



イエス・キリストは、人間が通らねばならない道を、すべて通過するために、

このバプテスマを受けられたのです。

それは、まさに彼にとって正しいふさわしいことでした。



イエス・キリストは、

このように宣教活動の初めから罪人のひとりに数えられ、

十字架の道へと向かって行かれました。



私たちも、主の御心に従っていくとき、

しっかりと、十字架を負いながら福音宣教していきたいものです。

私たちが、しっかりと十字架を負うそのときに、

主は喜んで、私たちに主の御霊を注ぎ、

天より声をかけてくださることでしょう。



「あなたは私の愛する子。私はあなたを喜ぶ」と。

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