2016年9月12日月曜日

9月12日(月)十字架の生涯の始まり③





「だれでもわたしについて来たいと思うなら、

 自分を捨て、日々自分の十字架を負い、

 そしてわたしについて来なさい」



   ルカの福音書9章23節


大工として


イエス・キリストは、30歳のときに家を出て、宣教活動を開始されます。

それまでの間イエス・キリストは、

母であるマリヤと父のヨセフのもとで仕えられるのです。



成人してからは、大工として家族を支えていました。

イスラエルは、木の文化ではなく、石の文化なので、

大工といっても取り扱うのはほとんど石ですから、

石工と言ったほうがいいかもしれません。



ですから、イエス・キリストは、

きっと筋骨隆々とした男性的な体つきをしていたと思います。



神の子であられた方が、両親に仕え、

人々に大工として仕えながら30歳になるまで、神の時を待たれたのです。

イエス・キリストは神の時が来るまで、

ご自分で行動を開始されることはなかったのです。



もし私たちなら、両親を見、人々を見、

暗い世の中や律法主義のはびこっている宗教界を見て、

がまんできずに、すぐに行動を開始してしまうのではないでしょうか。



でもイエス・キリストは、

黙って自分の置かれた場所で、

神の時が来るまで待たれたのです。



毎日、毎日、神が置かれた場所で、同じようなくり返しの日々を送りながら…。神の御子であられた方が待たれたのです。

このとき、イエス・キリストは、

忍耐をもって、黙って静かに毎日の生活の中で、

十字架を負われていたのです。



私たちも神の時が来るまで、

主が置かれた場所で、

いま負うべき十字架を負っていきましょう。

それは目立たないかもしれません。

しかし神さまは、あなたをご覧になって、主の時を用意しておられるのです。



その時まで、静かに感謝しながら、忍耐をもって、

その場所で十字架を負っていきましょう。

イエス・キリストは言われました。



「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、

 日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(ルカ9章23節)

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