2016年9月11日日曜日

9月11日(日) 十字架の生涯の始まり②





「キリストは、神の御姿であられる方なのに、

 神のあり方を捨てることができないとは考えないで、

 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、

 人間と同じようになられたのです。」




   ピリピ3章6節―7節


イエス・キリストの誕生


イエス・キリストがお生まれになったとき、

彼は、なんと家畜小屋で生まれたのです。

しかも、最初に布にくるまれて寝かせられた場所は、

馬の餌を入れる飼い葉桶だったのです。



ちょうどそのころ全世界の住民登録がありました。

しかもこの人口調査は、

自分の家系でもあり、血筋でもある先祖の町に帰って

登録することになっていました。



それでヨセフは、身重になっているマリヤもいっしょに連れて、

ガリラヤの町ナザレから、

ユダヤのベツレヘムというダビデの町に上って行ったのです。

彼は、ダビデの家系であり、血筋でもあったからです。



このベツレヘムで、イエス・キリストは、お生まれになりました。

マリヤの月が満ちたからです。

そのときヨセフとマリヤは、家畜小屋にいました。

宿屋は、どこもいっぱいで、

彼らを泊めてくれるところは、どこにもなかったのです。

人類の救い主としてお生まれになった方、

私たちのために、人となってくださった神の御子イエス・キリストが、

この地に誕生するときに、私たち人類は、その場所を持っていなかったのです。

家畜小屋しか、イエス・キリストのために用意しなかったのです。



しかし、実は、それこそが、イエス・キリストにふさわしかったのです。



私たちの罪の身代わりとなって、

十字架にかかるために来てくださった

イエス・キリストにふさわしかったのです。



本当なら、イエス・キリストこそ、

最高の宮殿で、最高の設備の中で出産されるべきでしょう。

しかし、それは神の御心ではありませんでした。



イエス・キリストは、ご自分を無にされました。

もっとも惨めで、みすぼらしいところに来てくださったのです。

それは、罪にまみれて、

もっとも惨めでみすぼらしくなっている人間をも救うためでした。



そして、それこそが、

イエス・キリストの何にもまして願っていたことでした。

だから、どんな暖かい布団よりも、

どんなすばらしい設備よりも、

こここそが、救い主であるイエス・キリストにふさわしいところだったのです。



なぜなら「十字架」以外に、私たち罪人を救う道はないのですから。



イエス・キリストは、このように誕生の時から十字架の道を歩いていたのです。



「キリストは、神の御姿であられる方なのに、

 神のあり方を捨てることができないとは考えないで、

 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」

         (ピリピ3章6節―7節)

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