2016年9月10日土曜日

9月10日(土) 十字架の生涯の始まり①





「十字架のことばは、

 滅びに至る人々には愚かであっても、

 救いを受ける私たちには、神の力です。」


   コリント人への手紙 第一 1章18節


キリストの十字架


あなたは、教会に行ったことはありますか。

もしまだ行ったことがないなら、ぜひ行ってみてください。



ただその時、気をつけないといけないことがあります。

それは、必ず「十字架」のある教会に行ってください。



もちろん、教会には、十字架はあるに決まっていますよね。

でも、偽物の教会には十字架はありません。



では、どうして本物の教会には「十字架」があるのでしょう。

それは、イエス・キリストが、私たちの罪の身代わりとなって、

十字架で、私たちの代わりに死んでくださったからです。

イエス・キリストのあの十字架によって、

私たちは赦され、義とされ、救われたのです。

だから、教会には、必ず「十字架」があるのです。



十字架のない教会は偽物です。

決して行かないでください。

たとえ聖書を使っていても、

キリスト教の名前を使っていても、

十字架がなければ、それは本物ではありません。



それほど「十字架」はキリスト教にとって大切で、大事なのです。

なぜなら、イエス・キリストの十字架―そこに救いがあるからです。



使徒のパウロもコリント人への手紙の中で、こう言っています。



「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、

 救いを受ける私たちには、神の力です。」(Ⅰコリント1章18節)



「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです」

 (Ⅰコリント1章23節)



「なぜなら私は、あなたがたの間で、

 イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、

 何も知らないことに決心したからです。」(Ⅰコリント2章2節)

 

イエス・キリストは、

最後に十字架にかけられたときにだけ、十字架を負われたのでしょうか。

そうではありませんでした。

確かにあの荒削りの十字架を、その身に負って、

罪の身代わりになって死んでくださったのは、

3年半の宣教活動の最後の「あの時」だけでした。



しかし、彼の生涯は、その誕生のときから、すでに十字架の生涯だったのです。

神であられた方が人となったそのときから、

もうすでに十字架の生涯が始まっていました。



今回は、イエス・キリストの誕生のときのことから話を始めていきましょう。

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