2016年7月5日火曜日

7/5(火) わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。




「『わたしはあわれみは好むが、

いけにえは好まない。』

 とはどういう意味か、行って学んで来なさい。

 わたしは正しい人を招くためではなく、

罪人を招くために、来たのです。」



       マタイの福音書9章13節





取税人のマタイを、

イエス・キリストが弟子に招かれた後、

イエスは、マタイの家で食事の席についておられました。



マタイはイエス・キリストが自分の家に来てくださったことと、

イエスの弟子になれたことが嬉しかったのでしょう。

その食卓に、たくさんの取税人や罪人を招きました。



それで、取税人や罪人が大ぜいやって来て、

イエスや弟子たちといっしょに同じ食卓についていました。



すると、

これを見たパリサイ人たちは、

イエスの弟子たちに言いました。



「なぜ、あなたがたの先生は

 取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」



パリサイ人たちは、

取税人や罪人のような汚れた者たちとは付き合わず、

もちろん食事もいっしょにしなかったからです。



取税人は、売国奴、裏切り者と言われていました。

また罪人というのは、律法を守れない人たちのことで、

律法を厳格に守っているパリサイ人たちは、

取税人や罪人のことを軽蔑し、

彼らとは付き合ったり交わったりすることは、なかったのです。



イエスは、これを聞いて言われます。



「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。

 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』

 とはどういう意味か、行って学んで来なさい。

 わたしは正しい人を招くためではなく、

 罪人を招くために、来たのです。」



元気な時に病院に行き、お医者さんに診てもらう人はいません。

もちろん、検査のために、

時間とお金と心に余裕のある方は病院に行かれるかもしれませんが、

普通は行きませんね。



でもどんなに病院嫌いな人でも、

病気になれば、病院に行き、お医者さんに見てもらいます。



同じように、

自分のことを正しいと思っている人は、

赦しもあわれみも必要とはしないのです。

だからイエス・キリストのところに来ません。

キリストの十字架を必要と思わず、感謝も出てこないのです。



自分には神様のあわれみと赦しがないと生きていけない、

そう思っているので、イエス・キリストのところに来るのです。

そして

キリストの十字架によって救われ、神への感謝が溢れてくるのです。



神さまは、どんなに律法を厳格に守っても、

その心が神さまから遠く離れている人は好まないのです。

そのようないけにえには、愛がないのです。



しかし、どんなに弱く不十分で罪にまみれている罪人であっても、神さまの前に低い砕かれた心で、悔い改め、

憐れみにすがる人は、

受け入れられ好まれるのです。



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