2016年6月27日月曜日

6/26(日) らい病をいやされたキリスト「わたしの心だ。きよくなれ。」






ひとりのらい病人がみもとに来て、ひれ伏して言った。
「主よ。お心一つで、  
私をきよめることがおできになります。
イエスは手を伸ばして、彼にさわり、
「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。
すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。


マタイの福音書8章2・3節



イエスの山上での説教は終わりました。

人々はイエスの教えに驚きました。

それはイエスが律法学者のようにではなく、

権威ある者のように教えられたからです。



つまり、イエスのことばには力と権威が満ちていたのです。



それでイエスが山を降りて来られると、

多くの群衆がイエスに従い、ついてきました。

イエスから離れたくなかったのでしょう。



そこへ、ひとりのらい病人がやってきました。



らい病というのは体が腐ってくる病気ですが、

当時、らい病になると、

単に肉体が病で汚れているというだけではなく、

宗教的にも汚れているとされ、

社会的にも隔離され、家族からも引き離されて、

らいの谷という所で住まなければなりませんでした。



もし、人がらい病の人に触れると、

その触れた人も汚れるとされていたのです。

また、らい病の人は、

どうしても人々のいるところに来なければならない時は、

体を衣で隠し、「私はらいです。私はらいです。」

と叫びながら歩かねばなりませんでした。



ですから、このらい病の人は、

イエス・キリストの周りにたくさんの群衆がいるのにもかかわらず、

イエスのところに来たということは、

本当にイエスのところに行けば、必ずきよめて直して下さる、

と信じて期待していたのでしよう。



彼はイエスのみもとに来て、ひれ伏して言います。

「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」



この「ひれ伏して」というのは、

「拝んで」と訳せることばで、礼拝を意味します。

ユダヤ人であった彼にとって、

礼拝する方は唯一の神さましかいません。

ということは、

彼はイエス・キリストが神であると信じていたのです。

つまり、イエス・キリストこそが、

メシアなる救い主であると信じて、イエスのみもとに来たのです。



そしてイエスを礼拝しました。

必ずイエスが自分のらい病をきよめて下さる、

いやして下さると信じて期待して、

礼拝したのです。



「主であるイエスさま、あなたには私をきよめることができます。   

あなたが御心としてくだされば、私のらい病はきよめられるのです。」



彼は信じていました。

イエス・キリストは汚れた病であるらい病になってしまった自分を、

必ずきよめることを、御心として下さると、信じていました。



イエス・キリストは裁くためではなく、救うために来てくださった、

責めるためではなく、赦すために来てくださったことを、

信じて知っていたのです。



「主イエスさま、

 あなたは、私をきよめることを御心としてくださいますよね。」

心の中でそう叫びながら、

イエスのみもとにひれ伏し、叫んだのです。



イエスはすぐに手を伸ばして、彼にさわり、

「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われました。



すると、すぐに彼のらい病はきよめられ、いやされたのです。



マルコの福音書には、

「イエスは深く憐れんで手を伸ばし」と書いてあります。

らい病人には触れてはいけないのです。

触れると、その触れた人も汚れるのです。



しかしイエスは、このらい病人の真剣さ、必死さ、

そして何よりも、その信仰を見て、

心の深いところからあわれみが湧き上がってきたのです。

この深く憐れんでというのは、

言語では内臓を引きちぎるような感情を意味します。



ですから、イエスは本当に、

このらい病人の眼差しを見、叫びを聞いたとき、

心が沸き立って放って置けなくなったのでしょう。



思わずも手を伸ばし、らい病の彼にさわり、そして言われました。

「わたしの心だ。きよくなれ。」と。



イエス・キリストは、彼に触らなくても、

「わたしの心だ。きよくなれ。」と言えば直せたのです。

別に触る必要はなかったのです。



でもイエスは触られました。



きよくなる前に、らい病のままの彼に触られました。



あなたは、そのらいのままで、わたしは愛している。

きよめられて、らいがなくなったら、愛するのではなく、

らいのある今のままで、わたしはあなたを愛している。。

そう言われたかったのでしょう。



らい病の人は嬉しかったと思います。

家族でさえ、触れてはいけないと引き離されていたのに、

イエスは、このらい病の人にさわり、

それから「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われたのです。



イエスが、そう言われた瞬間、

この人のらいはきよめられ、癒されるのです。



イエスは、癒された彼に言われます。

「気をつけて、だれにも話さないようにしなさい。

 ただ、人々へのあかしのために、

 行って、自分を祭司に見せなさい。」と。



らい病がきよめられて直ったことを宣告するのは、

祭司の仕事でした。

「その祭司に見せなさい。」と言われたのは、

きちんと正しい手続きを踏んで、正式に清められ、

癒されたことを認めてもらい、社会復帰するように言われたのです。



イエスは、このらい病の人をきよめ、いやして家族の元へ、

社会へ復帰させたのです。



同じように主は、あなたが、どのような弱さの中にあっても、

たとえ罪の中にあっても、

あなたが「きっとイエスは赦してくださり、いやしてくださる。」

と信じてイエスのみ元にやって来るならば、

主イエスは、その叫びに答えて、

必ずきよめていやしてくださるのです。



そして、あなたを家族の所へ、社会へ戻してくださるのです。






0 件のコメント:

コメントを投稿